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かおる

#ゆいりーメール 僕は中学生の頃に勉強とかと全く関係ないことでやってみたいと思うことがあったんだけど、将来その道に進んでそれでご飯を食べていけるのはほんのひと握りの人だけと言われてるようなことだったんだよね。 小学生の時に母親がレールを敷いてくれて、運良く環境に恵まれたこともあって、僕は中学受験して世間的に凄いと言われるような進学校になんとか入れたんだ。 そのまま行けば将来ほぼ安泰だろうと思われるようなレールの上に頑張ってなんとか乗れたのに、そのレールからみずから降りて、やったこともない成功確率も極めて低いところへ飛び込むなんて中高生の頃の僕は不安でできなかった。 僕の底の浅さを晒すようで恥ずかしいんだけど、当時の僕は進学校に通っていることを自分のステータスだと思っていて、そのレールからはずれてしまったら、自分に価値なんてないんじゃないかって不安だった。 自分のアイデンティティをそういうところに置くことで自分の弱さを繕(つくろ)っていたから、それを失うことが怖かったんだと思う。 行動経済学っていう学問でプロスペクト理論っていう話があって、人間は何かを得たことによる幸せよりも、全く同じ何かを失うことによる不幸のほうをより敏感に感じてしまうものなんだって。 人間は失うものがあったり守るべきものがあったりすると、それを失ってしまうかもしれない恐怖心に引きずられて挑戦することをためらってしまいやすいっていうことがあるんだよ。 僕の話に戻すと、当時は今みたいにスマホが普及していたわけでもなくて、情報がなくて何から始めたらいいのかもわからなくて、結局自分の気持ちにふたをしてそのままやり過ごしてしまったんだよね。 そのあと僕は綺麗なレールにしがみつきたくても運悪く途中で振り下ろされちゃったり、また綺麗なレールにある程度戻りつつあったりみたいなことをして今に至ってるんだけど、そうこうしてるうちに今の僕には特に失うものなんてない気がしてるんだ。 自分のアイデンティティを世間で良いと言われる学校や会社にいることに置かなくても、自分自身の価値や可能性を心から信じられるようになってきたから、何かに挑戦するにしても自分の中で失うものがないんだと思う。 ゆいりちゃんが好きな言葉で「継続は力なり」って書いてたことがあったと思うけど、僕も継続する力っていうのはとても大事なことだと思ってるんだ。 もちろん、何も考えずにただやるっていうのはダメなんだけど、そう簡単に諦めたりしないで、地道にコツコツ積み上げたり、行き詰まってもそこで投げ出したりしないでちゃんと考えて色んな手段を試したりしてさらに続けて道が拓(ひら)けると自分の自信になるんだなって思う。 僕は自分がめげずに地道にコツコツ続けるということには自負できるようになってきたから、この先何かで失敗しても自分ならなんとかさせることはできるだろうっていう自信は湧いてくるようになってきたんだ。 どうしたらいいか全くわからなくなったときに僕は能力が低いから無理なんじゃないかって思って塞(ふさ)ぎ込んだこともあったけど、それでもそこからめげずに続けてやれることを色々試して道が拓けたような感覚を得られた経験があって、今はそう思えるんだ。 振り返ると道が拓けた時って「なんだ、こんな程度のことで良かったのか!」って思うことばっかりなんだよね。 もし一番最初に書いたやりたかったことを中高生の時からやっていたとしても、たぶんどこかで躓(つまず)いていたと思うし、自分には才能が無かったんだとか言い訳にして諦めたりしててもおかしくなかっただろうなって思う。 仮に上手くいったとしても今の僕よりも底の浅い人間になっていた気がするし、やりたかったことを結局やっていない今の自分が全然嫌いじゃないからそれは幸せなことだなって思うんだ。 今はどうしてもやらないといけないことかつやりたいことがあるから、当面はそれをやるつもりなんだ。 でも、やりたかったことはやっておかないと人生を終えるその直前に後悔するものらしいから、かつて漠然と思い描いてた理想とは結構違うことになると思うけど、昔やりたかったことを悔いのないようにやってみたいなって思ってる。 もう過ぎた時間は戻せないけど、数年後からでもそれなりに自由な時間を確保できる環境を整えてやってみたいなって思ってるんだ。 やりたいこととか成し遂げたいことがないと人生は退屈で長すぎるけど、夢中になれることがある人生は短すぎると思うんだ。 メールを読んで色々と考えてしまうものがあったから、自分語りしてたくなりました! なんか自分の気持ちを振り返る良い機会になったような気がするよ!ありがとう😊

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かおるのトーク
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  • かおる
    かおる

    #ゆいりーメール

    「人と比べてはいけない」とはよく言われることだけど、人と比べてしまうのは人間の性(さが)みたいなもので、これはどうしようもないものだと思うんだ。
    「人と比べないようにしよう」と心に決めて、人と比べないようになれるならみんなそうしてるはずだけど、「本当に人と比べないでいられる人っているのかな?」って思う。

    個人的には、人と比べていいと思う。
    ただ、人と比べるなら徹底的に比べることが大事だと思う。
    誰かの優れた結果や能力だけを見て、「それに比べて自分はなんてダメなんだ」って落ち込むだけでは、比較が甘い。

    比較するっていうことは、共通点と相違点を明らかにすることだと思う。
    身近な誰かでさえ共通点って実はそんなになくて、せいぜい「人間である」とか「同じ集団に属している」とかその程度のことしか共通することなんてない。
    むしろ最初から自分とは違うことがほぼ100%だと思う。
    生まれ持った形質も違うし、生きてきた境遇も違うから、人生で考えてきたことや意識してきたことも、そのなかで形成されてきた価値観も違う。
    だから、結果や能力が違うのは当然といえば当然だったりする。

    あと、単純に表に出ている結果や能力だけに着目するんじゃなくて、結果や能力を得た過程まで知ることによって、その人は何を考えてどうして結果を出せたのかとかどうやって能力を身につけたのかがわかるし、そこから学べることは大いにあるように思う。

    それと、物事の二面性を見ようとすることで、誰かを羨んだりすることは無くなると思う。
    優れた結果や能力を得る代償として、何かを犠牲にしている面は必ずあるんだよね。
    「果たして自分もその犠牲を払えただろうか?」って考えると、そういう凄い人と同じような犠牲を払うことはできなかっただろうから、自分がそういう人になれないのは当然だったと納得がいく。
    「光と影」「コインの表と裏」みたいなかんじで、物事には二面性があるから、華やかな面だけを見て他人を安易に羨んだりするのは、逆にその人に対して失礼だったりする。

    あと、他者と自分を比較することで自己を相対的に見ることができて、自己の独自性が浮き彫りになるはずだから、そういうところを見つけられると自分に対する理解も深まると思う。

    思ったことを取り留めもなく書いてみたくなったから書いてみたけど、徹底的に比べてみると「他人は他人、自分は自分」であることがわかって、逆説的に心が平穏になるかもしれないということです!以上!😊