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ひでのトーク
トーク情報
  • ひで
    見城徹見城徹

    人がやっているのと同じ苦しさなら差はつかない。人より苦しいからこそ差はできる。苦しさを耐えに耐える。これでもか、これでもか、という風に苦しい方へ舵を切り続ければ、やがて結果は出るはずだ。

  • ひで
    秋元康秋元康

    誰の前にも階段がある。あとは、それを昇るか、昇らないか。
    2005年12月8日、彼女たちはその一段目を昇ったんだ。

  • ひで
    見城徹見城徹

    人生を楽しむために仕事をしているんです。貴方の想像も出来ない楽しいことがあるから、苦しみ抜いて仕事をするんですよ。限界を超えなければ、何も手に入りません。でも、その人その人の人生ですからその人の勝手です。僕は僕の人生を生きるだけです。正解はありません。

  • ひで
    見城徹見城徹

    何故、憂鬱になるのか?
    それは他の誰にも出来ない「達成」を自分に課すからです。
    「絶対に逃げない」
    そう決めるからです。
    他の誰かができるようなことをしていても大きな結果は出ません。
    「憂鬱」にならなければ駄目なのです。
    だから、「憂鬱」こそ黄金の果実の素なのです。
    憂鬱でなければ、仕事じゃない。
    憂鬱こそ我が友。
    だから、昨日までの自分を振り切って、もう一段ギア・チェンジ。
    オーバー・ザ・トップ!

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  • ひで
    見城徹見城徹

    破滅の予感がするほどの逆風。企画も流通も宣伝も今のままでいいはずがない。今まで成立して来たものの根本を見つめ直し、変えなければならない。どこかの援助を期待したって、そんなものは一時的に過ぎない。昨夜の[世界一受けたい授業]で五木寛之さんも言っていた。
    「八方ふさがりでも後二方は空いている」
    そのニ方を考えて、考えて、考え抜く。

  • ひで
    吉田真悟吉田真悟
    投稿画像

    加藤諦三著
    「人生、こんなはずじゃなかった」の嘆き


    「老いても幼稚な人」「晩節を汚す人」にはなりたくない!
    「我が人生に悔いなし」と言える人と言えない人、どこが違うのか?
    ――老いと成熟の心理学


    自分の人生はもっと幸せなはずだったのに、と嘆く老人は多い。
    最後に「我が人生に悔いなし」と言えるかどうかは、
    どれだけの社会的成功を手にしたかで決まるのではない。
    勝ち組人生を送ってきた人でも、いつまでも自分が「すごい人間だ」と思い込んでいたら「裸の王様」になって孤立し、不満と後悔のうちに死んでいくことになる。
    人生を最後まで生き抜くのは大変な難事である。
    普通の暮らしに感謝する。他者との比較をやめ、執着しない――。
    人生の見方を変え、老いを輝かせて幸福を引き寄せる、高齢者とその家族必読の書。


    「老いを認められる人」は若い!

    ●恨みで一生を終えるのですか
    ●失敗は人生を意味あるものにする
    ●老化に失敗すると孤独になる
    ●老いてなお生きるのは恥ずかしいのか?
    ●高齢者は本来幸せで、健康で、活動的である
    ●「英雄末路哀れなり」の意味
    ●なんであんなことで、あんなに怒るのか?
    ●過去の成功に頼る人は行き詰まる
    ●完璧な健康を求めてはいけない
    ●幸せな人は不幸を受け入れている ……ほか

    著者について
    1938年、東京都生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修了。元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員。早稲田大学名誉教授。ニッポン放送「テレフォン人生相談」のパーソナリティを半世紀以上にわたり務めている。

  • ひで
    見城徹見城徹

    昨夜は[場面を張る]という言葉について偉そうに自分の考えを述べてしまった。
    人はお金の使い方でその人の人間力が出ると思っている。無理をしてもお金を綺麗に相手のために使える人は結局、大きな結果を相手から引き出す。これは公式のようなものだ。あくまで数字を使っての解り易い例え話だが、今、無理をして自分が見込んだ相手のために10万円を使えば、3年後に1000万円になって返って来る。しかし、それを解っていても、人は今日の10万円にこだわってしまう。3年に1回でいい。大事な相手にどこまで綺麗にお金を使えるか?つまり、どこまで潔く場面を張れるか?それが出来れば仕事も人生も上手く行く。

  • ひで
    見城徹見城徹

    僕は自分の閃めきと腕力で幻冬舎の舵取りをして来た。しかし、会社も大きくなり、社員の数も増えた。創業当時は僕と取締役と社員が一体となっていたが、今は僕の考え方が通用しない社員も沢山いる。その彼らを理解しようとしなければ会社はこれ以上大きくならない。異物を飲み込むということだ。最初は嘔吐もしたが、少しは慣れて来た。変わらなければならない。自分が変われば相手も変わるのだ。安全地帯にいたら何にも変わらない。僕は社員の善意を信じる。

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  • ひで
    見城徹見城徹

    創業して5年目ぐらいから複数の証券会社、銀行がしきりと上場を勧めて来た。僕は上場という概念すらなかったから不思議な気分だった。自分が自分の会社を上場するなんて考えたことすらなかった。全く縁がないものだと思っていたから、上場したらどうなるのかなど解りようがなかった。結局、創業9年で上場した。風景が変わった。順調だった。しかし、上場していることの窮屈さも感じていた。上場から7年が経ってMBOで上場を廃止した。丁度、60歳になったばかりだった。気が楽になった。上場を廃止して9年が経とうとしている。僕は会社のことで新たな大きな決心をした。それが会社にも社員にも一番いいと判断したからだ。リスクは僕に降りかかるが腹をくくった。
    しかし、こういう時に困難や問題は同時多発する。そう決めた途端、会社のことや大事な友人のことで決断しなくてはならない状況が起こっている。知らんぷりをすれば安全だが、それが正しい道かどうか?何をしていても気分が晴れない。