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マインズのトーク
トーク情報
  • マインズ
    ikutamaikutama

    「自分を見失わないとは、1億円の勝負に勝っても、300円のラーメンの味が変わらないこと」昔、桜井章一の本で読み、心に残っている。どれだけ成功しても、強くなっても、自分が大切にしていたものを同じように愛せるか。
    見城さんのエピソードを読むと人生は本当に自分の心掛け次第で豊かになる、そう思える。

  • マインズ
    見城徹見城徹

    溜息をついていても、何も始まらない。グズグズする理由を全部否定する。先に行く。一歩を踏み出す。ジャンプする。多分、沢山の自己嫌悪に出会う。それでも行く。突破する。まだ、行ける。

  • マインズ
    三上雅博三上雅博

    逃げて逃げて逃げ続けた先にいる未来の自分が、もしタイムスリップして過去に戻ってやり直す事が出来たとしたら、その過去をどうやって生きるか考える。

    今がその過去だと思ったら、1日も1時間も1分も1秒も、刹那も無駄には出来ないんだ。
    蹲ってはいられない。
    立て。動け。踠いて足掻いて今日と言う日を生きるんだ。

  • マインズ
    見城徹見城徹

    箕輪は編集者として結果を出している。中山は医者として結果を出している。だから様々な多動力が可能になる。そして、その多動力が自分をまた立体的に彫り上げる。オーソドックスを極める。そこを突き抜けてエッジの効いたこともやる。要は両極をスウィングする。真っ当を極め、ファースト・ペンギンになって危険な海にダイブする。それが厚みだ。それが魅力だ。それがセクシーだ。圧倒的努力。暗闇の中のジャンプ。正面突破。仕事とは根源的に苦しくて、危険で、憂鬱なものなのだ。全てを支えるのは人に有無を言わせない圧倒的な結果だよね。圧倒的な結果の前で人は黙る。非難は納得と賞賛に変わる。ひねくれた奴は無視すればいい。新しく出て行く者が無謀をやらなくて一体、何が変わるだろか?

  • マインズ
    見城徹見城徹

    大金持ちになれないのは、そのために必要なことをしないからだ。

    私はジムに入るとき、いつも大きな目標を意識している。
    そして同時に、その日その日の小さな刺激を与えることを忘れないようにしている。

    2つともアーノルド・シュワルツェネッガーの言葉です。[大金持ち]というのは一つの比喩で[大きな目標の達成]とでも考えればいいでしょう。シュワルツェネッガーの言葉に僕はいつも励まされて来ました。

  • マインズ
    見城徹見城徹

    また、次のようにも言っています。

    拷問に近いようなハード・トレーニングでも、
    ただひたすら自分のやるべきことに打ち込むことだ。

    自分を駆り立てる意欲によって、体は目標に対し忠実な奴隷となるのだ。

    初心者の進歩は小さな成功の積み重ねであるべきで、大きな期待と共に一歩一歩の前進を楽しみにするべきだ。

    この精神性にあの肉体は支えられていたのですね。

  • マインズ
    見城徹見城徹

    なるべき自分をイメージする想像力。今、目の前のやるべきことにひたすら励む集中力。そして、拷問のような苦痛に耐えて前に進む圧倒的努力。この3つがあればある程度の結果は出ると思います。しかし、戦いはそこからです。だから、志を持った人にとって人生は地獄です。

  • マインズ
    見城徹見城徹

    自分が相手の気持ちを考えるほど相手はこちらのことを考えていない。それを当たり前のことだと割り切らない限り、仕事や人間関係は辛くなる。
    相手に期待しないこと。しかし、相手には出来るだけのことをすること。
    時たま苦しく、切なくなるがそれを飲み込まなけば日々は成立しない。自分の未熟さを痛感する。同時に、企業を作り、存続させるのは孤独だなあ、とも痛感する。

    自分で汗をかきなさい。
    手柄は人に渡しなさい。
    そして、それを忘れなさい。
    ーー前半2行は竹下元首相。後半1行は氏家日本テレビ元会長

    タフでなければ生きていけない。
    優しくなければ生きていく資格がない。
    ーーレイモンド・チャンドラー

    僕はまだまだ未熟でおセンチで甘ちゃんだ。それでもここまでやって来た。辛く苦しい道を自ら選んで来た。損得計算はなかった。鮮やかな結果を出して、会社と社員を守りたかっただけだ。社員にはいい人生になって欲しい。

    人を怒るのは己の未熟。
    人を恨むのは己の未熟。
    人が理解してくれないのも己の未熟。
    全ては天が見ている。

    自分に言い聞かせる。

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  • マインズ
    見城徹見城徹

    30年前、僕は38歳だった。編集長だった[月刊カドカワ]は毎月、倍々ゲームで部数を伸ばして破竹の快進撃を続けていた。僕が一人でコツコツと作っていた銀色夏生は出せば100万部を超えた。担当作品は次々直木賞を取り、ベストセラーを量産した。坂本龍一や尾崎豊、ユーミンを初めとするミュージシャンたちと決定的な仕事をした。毎夜のように楠田枝里子とバー・ラジオやル・クラブで会って飲んでいた。会社を一番儲けさせていたから、大概の希望は通った。金は湯水のように使った。今から考えれば最高の日々だった。しかし、毎日、毎日、辛くて仕方がなかった。楠田枝里子といる時だけが唯一の慰めだった。今から思えば絶頂の時だったが、40年前だって、20年前だって、10年前だって絶頂期だった気がする。人は絶頂期だと後から気付くのだ。そして後から気付いてももう遅い。