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読書備忘録 2月 『シモーヌ・ヴェイユ・アンソロジー』 『太宰治全集』 『圏外編集者』 『傲慢と善良』 『たたずまいの美学』 2月は読了したタイトルの通りで、錯乱と静穏の間で、フワフワしながら過ごしました。 仕事に関連したものを除外すると、ここ数年は読書をさほどしていなかった。 しかし、コロナで引き篭もり生活が始まった辺りから、古典や比較的売れている小説などは読む様になりました。 僕の場合、(本を読まなきゃ!)って意気込む事が殆ど無いんです。 読書の優先順位もそんなに高くはないし、若い頃の様な乱読も今はやらない。 ただ先月は太宰にどっぷりハマりました。 特に『HUMANLOST』は、ここまで世の中が悲壮感に満ち溢れていると、あの独特の重ささえも軽く感じて来るのだから不思議です。 特に本文中にある「妻をののしる文。」は、入院中に脳内で理性が完全に消失したとはいえ、特有の鋭い感覚までは消えていない事が証明されている。 まぁ、この時期の私生活の乱れ具合を考えると、同情する点も多々ありますが。 太宰は『小説の面白さ』で「小説は、婦女子を騙せたら大成功」なんて言ったり、「『夜明け前』を読了し寝て起きたら内容を忘れていた」なんて事も言っているのだから、文豪に対して失礼かも知れないが、こういう捉え方も満更間違えてはいない気はします。 小説って作家自身の内部に存在する、いわゆる「異界」を見せてくれる訳だけれど、太宰って妙な思想が絡んでいないから、暗く重い作品でも楽しめるのでしょう。

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    修治修治

    2号店の方ですが順調な滑り出し。ぶっちゃけると1号店以上の売り上げ😅
    勝因は店のある場所・ロケーション。仕事というのは、自分の為だけに頑張るのは限界がありますね...
    自分も常にお客さんの満足の為に・スタッフの生活を豊かにしてあげたい...という気持ちで、自分の利益は最後に...という考えでやっているのが、良い結果に繋がっている様に感じる。
    1号店と貿易の仕事だけで、十分にやれているけれど、2号店がうまくいく事で利益が増えても、着るものは相変わらずUNIQLOやオッシュマンズ、ジーンズメイトで良いし、高級なレストランに行く気にもならない。
    そういう場所は20代の頃に散々行ったしね。
    お客さんが楽しめる場を、今後も育てていきたいものだ。

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    まずは二号店の無事オープン、おめでとうございます。
    そして「その店、盛況につき」は、オーナーの考え方がそのまま店舗に反映されている事は安易に想像がつく。
    だから今回の投稿には全てに共感しています。

    顧客満足とスタッフを豊かにしたい。

    高級店での食事も高い服も要らない。

    僕も同じくです。
    がむしゃらに働く事が美徳とされていた世代ですが、若い頃は多分ストレス発散と見栄がぐちゃぐちゃになっていたんだろうな。
    今回の引越しで高い服も殆ど処分したけれど、結果四十万くらいになったから儲けた気がする。笑

    まぁ今まで通り、のんびりやるつもり。

    3
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    昨日はMLBワールドシリーズ第1戦を生中継で観ていた。
    注目していたジャッジは第一打席から変化球に対応出来ず苦労しているようだ。
    特に9回表、スライダー2球で追い込まれた場面は、全く合っていない。
    しかし、今日の二戦目は修正して来るはず。
    いい選手とは弱点を克服する能力がずば抜けている。
    それは当たっていない大谷も同じだ。

    第一戦は足を怪我していたフリーマンのサヨナラ満塁ホームランで決着したが、ヤンキースがフルスイング出来ないフリーマンと勝負するのは当然だが、足を引きずりながらホームへ向かうフリーマンを、苦々しく眺めるジャッジが印象的だった。

    そして、今日の第二戦
    ジャッジの第一打席
    今日もスライダーに合わせられず三振。
    ここまではドジャース投手陣のテクニックが上だろうが、このまま終わるはずがない。
    このシリーズは、そこからが面白くなるはず。

    スポーツを勝った負けたのみで語るのもいいし、プロ野球なんて面白くないと公言してもいい。

    楽しみ方は人それぞれだから、それはそれでいい。
    ただ僕は、野球中継をこういう風に楽しんでいると言いたいだけ。

    さ、今日はどんな試合になるのか。

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    “感性”とか“感受性”といった言葉や、賢い自分を主張してるような言葉は、自分を追い込むことになるので使いたくないんですが、そういうものが自分には決定的に欠けている、と常々感じている。
    だからこういう言葉を好んで使う人と接すると、間違いなくヘコむんですよね。
    めんどくさいな、と思ってしまって。笑

    でも、田舎の爺ちゃん婆ちゃんが、演歌や民謡を聴いて「この人、上手いねぇ」と語るは、技術的な事は解らなくても、直感的に理解してしまうあの感性は、以前森山大道がインタビューで「量を超える質はない」と語っていた事と合致する。
    観たり聴いたりして来た量が半端ないから「上手い」の基準がハッキリしているんだろう。

    先日糸井重里が、グーグルの社内規範に「邪悪になるな」という文言があると語っていたが、この邪悪の境界線っていうの中々難しい。 

    頭が柔らかくて想像力があって、たとえ自分が経験していないことでも感情移入できたり、心を揺さぶられるような“感性”や“感受性”があれば、量=経験が無くても邪悪か否かは解るんだろうなぁ。

    SNSでも現実でも「俺は解っていた」とか「前から思っていた」とか語る人が多いが、そんなサイキックな才能を持ち合わせているのなら他でも発揮して欲しいものだ。

    まぁ僕には到底無理な話だから、やっぱり量から質って事を続けていく。

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    昨日の投稿は、この映画を観て感じた事を書きました。

    映画製作の裏側もさることながら、タランティーノがどれほど多くの映画を観て、どれほど多くの役者と会って、話し、構想し、脚本を書き、一つの作品を仕上げて来たかが解りました。

    映画や小説、料理や写真など、あらゆる作品と呼ばれるものに「自分を込める」とはそういうめんどくさい作業だと思います。
    そして、映画の様に人と人が関わり合えば、そこに感情が生じる。
    人の感情を無視したりないがしろにすることは相手の心を踏みにじる行為でもある。

    僕がこの映画を「とっておきの作品になった」と感じたのも、タランティーノの〝感性”ではなく、人と人との濃密な関係性にフォーカスし、描いたものだったからなんです。

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    ミニコミからスタートした『ロッキン・オン』の創始者であり、かなり偏った評論家として有名な渋谷陽一が療養に入って一年になる。

    学生時代に聴いていたサウンド・ストリートは、ブリティッシュロックに偏った選曲で刺激的だった。
    当時主流だった「ベストヒットUSA」や「MTV」のアメリカ主体の洋楽ではなく、シンプルなギターロックが中心。
    ジョイ・ディビジョン、ニュー・オーダー、スミス、PIL、ディス・ヒート、バウハウス、ジザメリなど、僕の人生に彩りを与えた音楽に出会えたのは、全て渋谷陽一のお陰。

    ミュージックマガジンの故中村社長に「あいつは楽器は下手なくせに、古いブルースやソウルについて偉そうに書いてやがる」という記事を読んだ事があるが、渋谷さんは表彰式など公式の場では野次られるほど嫌われていたそうだ。
    役者やミュージシャンなど、いわゆる文筆の素人が書く批評が読まれれば読まれるほど、面白ければ面白いほど、職業評論家の怒りは増幅したんでしょう。
    本来、筆だけで競う土俵なのに、楽器の巧さまで持ちだすのはあまりにも理不尽な気がします。
    まぁ先に喧嘩売ったのは渋谷陽一の方だけど。

    ピーター・バラカンとの辛口対談や佐野元春とのソウル談義など、もう一度聴きたいテーマはまだまだ沢山ある。
    今はゆっくり療養して頂き、ぜひとも再開してもらいたいものだ。

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    https://youtu.be/x-PtdM08LKA?si=TR5V3w-3ki-qzrTo

    友人から「チバユウスケ、亡くなったよ」って電話もらって一年か。
    ホント早いなぁ。
    アベの高速カッティングとチバのガナル歌は、人によっては不快だと思う。
    しかし、ブリティッシュロックとレゲエを独自の解釈でミックスし、同世代には懐かしいテイストの曲を唯一無二の歌声で聴かせてくれたバンドだった。
    デビュー直後にNHKが特番を放送したけれど、そもそも新人バンドを国営放送が1時間も特集する事自体がレアだったので深夜だったが観ながら録画し、何度も繰り返し観た。

    ミッシェル、ロッソ、バースディのライブはそれぞれ一回づつ行った事がある。
    その時の様子を例えるなら、ミッシェルは「おらおらー!」、ロッソは「俺はこういうのやりたかったんだよなぁ」、バースディが「高校時代に聴いてたロックやるから観に来てよ」って感じ。
    特にバースディのライブは心地良いものだった。

    チバの書く詩は造語が多く含まれているが、その理由について「響きがかっこいいから笑。意味なんてない」と、語っていた。
    しかしこれに似た事を三島由紀夫も言っていたし、辛口な渋谷陽一もビートニクのイメージを用いて造語の完成度を高評価していた。

    聴き手へストレートに届かない言葉は文字にすると意味のないものだが、三島は文字の「形」に拘り、チバは言語の「響き」に拘っていたようだ。
    ここに作家としての余裕に感じてしまう。

    本来なら時速200キロで走れる車が、そこら辺を徘徊している様な詩は、その余力を反芻へ廻している気がする。
    真っ直ぐ行けば行けるのに、敢えて迂回し批評的スタンスを取る表現は、余白のなかった後期ミッシェルとは大きく異なる。

    まぁ、チバやアベについては色々言いたい事はあるけど、同世代で、同じ様なバンドを聴いてきたからこそ伝わるものがある。
    まぁファンクラブ入ったり、記事を隅々まで読む様な人から見たら、かなりテキトーなファンの1人だけれど。
    命日の2日後にアップするくらいの節度は持ってるつもり。
    それと「元ミッシェル」じゃなく「The Birthdayのチバ」だからね。