#勝手に秋元康三昧
僕も今では神曲だと思っているが、正直、最初に聴いた時はそんなに良い曲だとは思わなかった。
しかし発表されてから、メンバーとオタが一体となり、リクアワ等幾多のドラマを積み重ねて神曲にまで押し上げたんだろうと思う。
この曲のように楽曲の音楽的な技術が凄い凄くないという話しではなくて、メンバーとオタがチーム8の国歌と呼ばれる曲にまで育ててくれた事が実はクリエイター冥利に尽きる、つまりクリエイターにとって一番嬉しい事なのではないかなと思ったりしますね。
僕がクリエイターならそう思うという話しですが。
#生誕前夜祭
#勝手に秋元康三昧
かっこいい。
僕がそう思う理由の一つはメロディーに合う音感やビート感を持つ言葉が音に乗っているからかなと。基本的に歌詞は日本語なんだけどノリが洋楽っぽい。
この曲をカラオケで歌ったことはないが多分歌ったらとても気持ちいい曲だと思う。
例えばあるメロディーに適当に鼻歌で歌詞をつけると自分が歌って気持ちのいいビート感を持つ言葉を選ぶと思うのだが、つまりそんな感じ。
シンガーソングライターなら普通のことなんだけど、まさか秋元さんご自分で歌いながら歌詞を書いたのかなと思うくらい言葉がしっくりきてかっこいいなと。
何言ってる分からん人はサビの日本語の歌詞の所を歌ってみてください。
それも面倒臭い人は「できるならちょっかい出したい」だけでも歌ってみてください。気持ちいいから(笑)。
#生誕前夜祭
#勝手に秋元康三昧
秋元さんは職業作詞家なので詩の内容は全てフィクションだと思うのだが、この歌詞ほどご自身の恋愛体験をベースに書いたことを匂わせた歌詞は今すぐに思い浮かばない。
学校が歌詞の舞台になっているようだが、彼女の切りすぎた前髪を見て奈良美智を連想するそんな渋い学生が今時いるのかなと。
彼女を褒めるのにチャーミングという表現も渋みが効きすぎてるし、「僕はそう思わない」とか強めの表現でどれだけ気持ち入ってるんですかねと。
そう考えるとリアリティーに溢れて説得力のあるこのラブソングは神曲であると断言しておきます。
#生誕前夜祭
#勝手に秋元康三昧
「ポップと反抗」
例えばそれをグループの活動で表現するのであれば、てちありきの楽曲やパフォーマンスと、青空とMARRYやゆいちゃんず、ねるのソロ等で表現する事は可能だし実際にそういう活動をしていた。
つまり反抗路線とポップ路線をそれぞれ別の楽曲で表現していたのだが、そもそも二つは相反する方向性なのだからそうせざるおえない訳で。
ところが! なんと!
一曲で鮮やかに「ポップと反抗」を表現した奇跡の楽曲があったのです。
この先も書き続けると長くなりそうなので割愛しますが、聴いてもらえば解ってもらえると思います。
#生誕前夜祭
#勝手に秋元康三昧
この曲に限った話しではないが、こんなにも学校内の日常的な風景や学生達の感情を細かく描写できるのが凄い。天才と呼ばれる人は記憶力が良いのだと思う。ただし、時として人を苦しめるのも記憶力なので記憶力とは厄介な能力ですな。
さてこの曲は、メロディーに対してのアレンジ、歌詞のテイスト、そして声質が見事にマッチしていてとても好きな曲です。この季節になると聴きたくなる曲。
#生誕前夜祭
#勝手に秋元康三昧
本当にどこから来るのか?
いやそもそも来るのか?
それは兎も角、春の訪れは特別ドラマティックなことかあって気付くのではなく、ありふれた日常のふとした瞬間に気付くものらしい。
ただし同じことを目にしたり経験しても感じ方は人それぞれ。
彼もある出来事があって春の訪れに気付くのだが、それは彼の脳内辞書では春と書いて "こい" と読むからであろう。
#生誕前夜祭
#勝手に秋元康三昧
この曲、あきらかに泣かしにきてますよね。ええ、泣かせていただきました。
拾う神を信じたいとか、信じてるじゃなくて、「信じていたかった」なんですよ。
信じることを諦めた訳ではないけど、でも拾う神なんていないだろうなと、何となく気付いてはいるけれど、でもまだ信じたいの「信じていたかった」。
ピュアで一直線な感情ではなくて、感情が揺れ動いてる様子を捉えているのがとてもロックであり共感ポイントでもあるのです。
#生誕前夜祭
#勝手に秋元康三昧
渋い曲ですな。大人の恋愛模様シリーズ。
使いづらくなったデンマークのソファーの位置に二人のズレ始めた気持ちを投影させて表現するとか天才ですかね。
そもそもタイトルがNMB48ぽくおしゃれ。
甘噛み姫はみるきーをイメージしたのかなと当時思った気がする。
#生誕前夜祭
#勝手に秋元康三昧
この曲やNMB48の「太陽が坂道を昇る頃」のような、ほのぼの少女コミック風味の曲がまず好き。しかもこの曲は歌詞が女の子目線なんですよ。もうね、メンバーの歌声聴いているだけでキュンですよキュン。
#生誕前夜祭
#勝手に秋元康三昧