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橋場日月

日本武尊が女装したのは熊襲退治のための計略ということになっている。 女装の牛若丸(源義経)が弁慶を翻弄して負かしたという話は、タネ本の『義経記』成立当時に僧侶が稚児を性対象とする衆道が猖獗を極める中、稚児が僧侶を圧倒するという「この世にあらざる物」を見せる意図があったのではないか。この企みは、義経伝説が6世紀を経た今も愛されている通り、空前絶後の成功を生んだ。

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