見城徹見城徹 中川 剛丹羽宇一朗・著「死ぬほど読書」(幻冬舎新書)を拝読しました。「読書」に骨の髄まで嵌りきっていらっしゃる丹波さんが、一部始終、「読書」について熱く語っておりました。『読書の価値』について、多くの学びと共感を得ることのできる大変魅力的な本でした。いち本好きとして、「読書」の大切さを改めて感じることができ、嬉しくもありました。 素晴らしい本を届けて下さり有難うございます。読書をすることは自分の言葉を獲得し、その言葉を使って思考力を高め、ブレない実践力を養うための一番の方法です。読書をする人としない人では一年で大きなさが付きます。読書こそ貴方の人生を照らし出します。こんなに安い人生の指針は他にはありません。丹羽さんの「死ぬほど読書」を読むとそれがよく解りますね。
tsym43のトーク
トーク情報tsym43 tsym43 見城徹見城徹 <かけがえのない今日>
50年前、僕は四回生として、静岡県立清水南高等学校を卒業した。
小学校・中学校と劣等生だった僕にとって、
高校入学は今から考えても決定的に大きな人生の転機になった。
東京での大学生活を通じても、高校時代ほど生命のエキスが凝縮された時間はなかった。
海と山に囲まれて、日差しがさんさんと降り注ぐ、花と緑が目に染みる、
青春ドラマの舞台になるような高校で、僕は全身をぶつけて、
恋愛や友情、勉強やスポーツに向き合った。
あれほど懸命に生きた記憶は、後にも先にもあの三年間だけである。
あの三年が今の僕を形作り今の僕をあらしめていると、はっきりと断言できる。
それほど僕にとって、濃密で一心不乱の季節だった。
はじめて異性を愛しいと思い、一挙手一投足に振り回され、思い詰めた日々を過ごしたこともなかったし、
ロックンロールに夢中になって
ビートルズという一組のミュージシャンにあれほどの熱量でのめり込んだこともなかった。
ラグビーに出会って、鈍い運動神経ながらも初めてスポーツを楽しいと思ったのも、高校の三年間だけだった。
社会に出てからも、ラグビーのクラブチームをつくってトレーニングにも励んだけれども、高校時代のようなトライの快感は得られなかった。
嫌だ嫌だと逃げたい心を押さえつけて一日3時間睡眠で受験勉強をしたのも、
海辺で友人と日が暮れるまで議論したのも、
本を片端から読んだのも、その三年間に限られている。
一歩を踏み出すこと、目標に向かって努力すること、死ぬ気で何かに熱中すること、
それらすべてを高校の三年間は僕に天の恵みのように教えてくれた。
自分の信じた道を真っ当に努力さえすれば、時間がかかろうとも必ず少しは報われる、そのことに僕は高校に入って初めて気づいたのだった。
何故それが高校時代だったのか、
丁度、強烈な自我に目覚める年頃だったのか、よく解らないけれど、
高校三年間で僕は、生きるという営みの歓喜と切なさを全身で受け止めたのだ。
自分が信じたものに熱狂できる特権は若者特有のものだ。
社会に出れば、様々な大人の事情が、それを許さない。
小・中学生では子供過ぎるし、大学生では自由過ぎる。
親のスネをかじりながら、受験という目の前に立ちはだかる乗り越えるべき大きな壁にぶつかりながら、自分が熱狂するものにもがき苦しみ、全力を尽くす。
僕が清水南高で得たものは62歳の僕の人生を左右し、僕の人生を決定づけた。
あの三年間がなかったら、今の僕はなかった。
そのさ中にある者には、その貴重さは解らない。
そのさ中をどう生きるのか。
何とどう向き合うのか。
君達は二度と戻らない、その貴重な季節のさ中にいる。
何でもいい。何かに熱中しろ。何かと格闘しろ。もがき、苦しみ、悩み抜け。
それが、どれだけ大切だったか、思い知る時がきっと来る。
光陰矢の如し。今日と違う明日をつくれ。
それには圧倒的努力が必要だ。10年なんてあっという間だ。
昨日と同じ今日、今日と同じ明日。そんなものはつまらない。
「君がなんとなく生きた今日は、
昨日死んでいった人達が、どうしても生きたかった大切な明日だ。」
アメリカ原住民に伝わる言葉である。
人生の中で最も恵まれた季節を、なんとなく生きるな。
失恋してもいい。失敗してもいい。
勇気を出して、自分が夢中になれる何かに一歩を踏み出してくれ。
どんなにボロボロになっても、それがあとで、かけがえのない一日になる。tsym43 見城徹見城徹 よしんば安倍政権によって民意が問われ、憲法が改正されたとしても、安倍さんに僕が涙することはない。安倍晋三は政治家だからだ。安倍さんは政治家として自分の信念を貫いただけだ。歴史的な快挙を賞賛はするけれど、泣くことはない。
三島由紀夫ほど日本の歴史と文化、伝統、自然、そして、何よりも日本語とその表現にこだわった文学者はいない。美しく正確無比な日本語で個体としての人間を書き続け、自分も個体として生きた。その三島由紀夫が自分の死と引き換えにしたのが日本国憲法の改正だった。三島は日本語で書かれた日本国憲法の虚構と欺瞞を許せなかった。
憲法が改正された時、僕は三島由紀夫に対して涙を禁じ得ないと思う。三島由紀夫は自分の死さえも文学にしたからだ。僕という個体が三島由紀夫という個体に涙する。それは文学に対する涙である。生きて死ぬという人間の宿命に対する涙である。