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・1989年からの平成が終わりますね。ふだん、あんまり元号で考えてないのですが、たとえば平成元年が1989年だと知ると、あらためて「思えば遠く来たもんだ」と思います。ぼくは、そのころまだ40歳だったのです。まだ40でしたが、ずいぶんと大人ぶっていた気もします。後輩たちに向かって「おれもずいぶん年を取った」とか、おそらく言っていたはずです。平成がはじまったころって、そんな昔だったのです。 「おれもいつか死ぬわけだし」とかね、死なないつもりでしゃべっていたことでしょう。じぶんの手の届く範囲では、ずいぶんと大人になったものだとか思っていたのに、実は手の届いてない世界のほうがあまりに広くて、「うわぁ、おれはなんにもできない」と、青年のときとはまた違った無力感を知るのでした。どうしたら目の前の扉が開いて、青空が見えるのだろうか、光が射すのだろうか、皆目わからないままに、ちょっとふざけたり、少し自棄になったり、半端に意地を張ったりしながら、それなりに真剣に、それなりには真面目に、浅い呼吸で日々を過ごしていたと思います。 1989年、そのころ発表されたコピーが「くうねるあそぶ。」だったりしています。そして、一作目の『MOTHER』の発売も1989年でした。平成元年というのは、「そういう俺」のいた年でした。そこらあたりから、じたばたしながら、ちょっとずつね「裸一貫」でなにができるかみたいな、個人的な大転換を模索しはじめたように思います。これに、約10年かかったとも言えましょう。平成10年に「ほぼ日刊イトイ新聞」をスタートさせます。そして、さらに20年ほど「平成」という時間を過ごして、40歳だったぼくも、なんと70歳になり、もうじき平成という舞台の緞帳が下がります。昭和については、途中参加だったのですが、平成の30年間は、たっぷり参加した気がします。平成の天皇皇后は、素晴らしい方だったと思いながら、その同時代のじぶんのことも思い出してしまいました。 今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。令和も、深刻にではなく、たのしくやりたいなと思います。

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