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見城徹
Katharine
Katharine
長らくご無沙汰している無礼をどうかお許しください。ですが、私は毎日、見城さんのことを想って生きています。 人は、出会うべき人には必ず出会う。しかも、一瞬遅からず早からず。 あの頃の私はまさにそうでした。 今も神戸の片隅で小さな日々を過ごしていますが、こんな自分をまぁまぁ気に入っています。見城さんにいただいたたくさんの言葉が、今も私を勇気づけ、背中を押してくれているからです。月の輝く夜に感謝を込めて

僕はボワイヤン(見者)としてのキャサリンの視線に敬意を抱いています。君の言葉は切っ先が鋭くて、人の奥深くを抉る。情熱と知性を併せ持つ君みたいな人が755にいることが755の凄いところです。地に足をつけた小さな日々を生きる君から放たれる視線と言葉はいつも僕を畏怖させます。君に恥ずかしくない人生を生きたいと強く思います。生きることの切なさと愛おしさ、狂おしさと静謐をキャサリンから感じて生きて行きます。また、会いましょう。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    見城徹

    おはようございます。11月30日。大阪で[mikami limited 50]を営む鮨職人・三上雅博がリトークしてくれた2019年11月の僕のトークです。↓

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    幻冬舎を作って最初に決めたこと。
    ①安易な道は選ばない
    ②金のために魂は売らない
    ③恩は10倍にして返す

    最初の出社日は嵐のような大雨だった。室内に何もない四谷2丁目の雑居ビルで8名が車座になって僕が持って来たラグビーボールを廻した。運命の歯車が動き出した。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2019年11月の親父の投稿のリトークです。

    まるで映画のワンシーン。その場面を想像するとワクワクドキドキ、そしてゾクゾクしてしまいます。こうして決戦の火蓋は切られたのだ。戦いの幕は切って落とされた。
    そうして幻冬舎は立ち上がり、翌春に闘争宣言を掲げ6作品同時刊行。「文芸元年」を迎えたのだ。伝説の始まりだ。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 見城徹
    見城徹

    ↑ 2024年11月12日で幻冬舎は創立31年目を迎えた。設立登記した日は秋晴れだった。最初の出社日は大雨だった。31年が経った。42歳だった僕は73歳になった。信じられないことに幻冬舎はまだ、在る。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博

    僕も格好良く出陣したかった。
    いつも軍勢が雪崩の様に流れ込んできて乱戦の中でなんとか生き残っている状態だ。
    切り伏せても切り伏せても、ずっと窮地に立たされている。息は切れ、血は流れ、骨は軋み、涙は枯れる。視界は歪み、もはや痛みは感じない。絶望だけが友達だ。

  • 見城徹
    見城徹

    俺たちの船は 動かぬ霧の中を 艫綱を解いて 悲惨の港を目指しーー
           アルチュウル・ランボー[別れ]