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シーラカンス

クリスマスメドレー、一回目になんとなく長いと感じ、この曲数あれば他の栄の曲の時間に出来るよなぁ、と少し首を傾げたくなったので、もっとフラットに見てみよう、2回目は良く注意して聞いてみました。48にはノエルの夜や真夏のクリスマスローズなどもあるのだから、そこまで童謡で攻めなくてもと一度目は思ってしまったのですが。2回目注力して観てると、固唾をのんでメンバーの演出が成功するか失敗しないかドキドキしながら魅入ってました。サーカス見てるみたいにドキドキする。その世界に入り込む事が必要だったんです。コンサートにあって、LVの雰囲気と現場の雰囲気がまるで違う事がありますが、一回目は採点するように見てしまったんですかね。それは楽しみ方が違う。シラケやりたきゃ学校行きなって言葉、花のあすか組のセリフでありましたね。あすかのように珠理奈のように命の火を燃やして生きていたい。つまらない大人になってしまった/(-_-)\

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シーラカンス
トーク情報
  • シーラカンス
    マルチェロマルチェロ
    シーラカンス
    先日、総選挙投票CDの願い事の持ち腐れラスト握手会が大阪であってやっと参加。珠理奈に一年以上会ってませんでした😅 本人曰く、「そんなに会ってない気がしない!」でした。 ライブやコンサートには行ってたからかなあ? 一年ずっとどこに行ってたの?釣り!?楽しそうだけど私にも癒されに来てよね!という事でした。 豆腐プロレスの感動も伝えられました。 まさなさん卒業コンガイシ、行きますのでお会いしましょう

    珠理奈と話せて良かったですね。間が空くと”何から伝えればいいのか分からないまま時は流れて”となっちゃいますが、がっちりロックアップ出来たようで👍🏻
    前回お会いしたのもガイシでしたね。ガイシには必ずいるイメージです(笑)
    ガイシで会いましょう!

  • シーラカンス
    シーラカンス
    マルチェロ
    前回お会いした時計の辺りにいます。青いやくざくさいシャツ着てます。黒いかばん、グレーのパンツ。

    時計のあたりに来ましたが見当たらない

  • シーラカンス
    しのぶしのぶ

    足がつったり、大事な部分でSKEでやりきった事はありません!と言い間違えちゃって会場総ツッコミされる真那らしい笑顔に溢れた卒業コンサートでした。
    真那、卒業おめでとう

  • シーラカンス
    さくらさくら
    シーラカンス
    ガイシではご挨拶させていただきありがとうございました。またどこかでお会いできたらさきぽんやSKEのお話、48のお話を聞かせてくださいm(_ _)m

    こちらこそありがとうございましたm(__)m
    755、本当にありがたいツールです。シーラカンスさんとはマルチェロさんきっかけで繋がり、ついには昨日ご挨拶出来て嬉しかったです!
    また機会がありましたら、ゆっくりお話したいですね! さきぽんには最近とことんやられてますから(笑)話はたくさんあります(笑) その一部始終は、マルチェロさんは知ってますけど(笑) さきぽん、中々にSであります😂
    いずれまたお会いしましょうね(^^)/

    2
  • シーラカンス
    マルチェロマルチェロ

    恋を語る詩人になれなくて

    大矢真那卒業コンサートは静謐なピアノの音色で幕を開けた。曲はあの曲だとすぐに分かった。
    ピアノの音色は清楚で美しい真那さんにぴったり。そして上品な響きと重厚な鳴りは彼女の卒業コンサートの幕開けにふさわしい。
    本日の主役が舞台に登場し、ドラムのフィルインからいつものアレンジで始まった。「恋を語る詩人になれなくて」。

    詩人と略されるこの曲はSKE躍動の象徴と言っても過言ではない。激しさで知られる公演「制服の芽」の必殺オープニングナンバーには、生半可なダンスに微動だにしないSKEファンも初日からノックアウトされたと聞く。
    しかしこの曲は躍動の象徴であるとともに”静”に支配される曲でもある。
    歌詞を見て欲しい。主人公は恋する女性を遠くから静かに見守っているのだ。言葉も踊らず、ただひたすらに想いは主人公の胸の中にとどまっている。
    ただ遠くから見守り、廊下ですれ違っても何もアクションを起こさない主人公を描くこの曲がなぜこんなに激しいのか。それは”恋を語る詩人になれなくて”などと少し気取って語る主人公だけど、実はその胸のうちでは激しく鼓動が鳴り響き、頭の中にはとめどない妄想や想像が溢れかえっているからである。
    リルケの詩集を読む恋の対象の手前、インテリを気取ってはみたものの、身体と頭の中はまるで違うのだ。恋する想いは四六時中動き回って休むことを知らない。その途方もない運動量に言葉が追いつくはずなどないのだ。
    この曲の激しさは、主人公の頭の中のとめどない心の運動である。

    ピアノから始まる本コンサートのアレンジは、静の中に動があり、静の中に動がある、このような「恋を語る詩人になれなくて」という楽曲の性質を明確に浮き彫りにして見せてくれたように思う。
    そしてこの動と静、あるいは表層と内面の関係性には大矢真那という人間を思わずにはいられない。
    清楚で上品な外見、でもちょっとおっちょこちょいなところがある真那さんだから、天然でマイペースなイメージを持たれやすい。しかしながらその天然マイペースな印象を与える表層の内側には、どこまでも深いグループへの愛情や強い信念、熱い想いがあることが彼女を見続けるうちにひしひしと分かってくる。
    そんな意味では「恋を語る詩人になれなくて」の”動の中に静があり、静の中に動がある”という二層構造の性質は、そのまま大矢真那さんの人間性と重なって来るのである。
    そんなことから大矢真那卒業コンサートのオープニングを飾るのは、もはやこの曲しかなかったのではないかと私は思っている。