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ケント

見城さん 今日はお昼のゆっくりされているひと時に割り込んでしまい申し訳ございませんでした。 午後から四谷で会合があったので、そうだ早めに行って見城さんおすすめのパスタを食べようと、四谷しんみち通りでながいさんを探してウロウロ。お一人老紳士がお店が開くのを待っているようで、お待ちですかと伺ったところ11時30分からのようですよと数分待って開店と同時に入店。カウンターでその老紳士の横に座りメニューを見ていると、その老紳士がたまごとベーコンの醤油味と注文されており、私も同じ大盛りとグリーンサラダハーフを注文。お隣の老紳士に見城さんの755をご覧になっているのですかとお尋ねしたところ、後ろに見城さんいらっしゃいますよと衝撃の一言笑。後ろを振り返ると一番奥のテーブルで一人目を瞑られている見城さんを発見。その瞬間衝動的にカウンター席から見城さんのテーブルに伺い、755で交流させていただいておりますケントですとご挨拶をさせていただき、名刺交換まで図々しくもさせていただいてしまいました。後ろに見城さんがいらっしゃるオーラを感じながら、パスタを待っていると、さっと見城さんが○○さんお先にと私の苗字で呼んでくださってお店を後にされました。 初めていただくたまごとベーコン醤油味大盛りは、絶妙の火入れのトロッとしたたまごの黄身とベーコンの塩味に隠し味程度に入れられているであろう醤油の風味が細さと茹で具合が最高のパスタと絡み合って、今まで味わったことのない美味しさが口の中にいっぱいに広がりました。余韻を楽しむという見城さんのお言葉が今日は実感として共有できているのも嬉しい次第です。 お隣いらした老紳士は755を見られているそうで、札幌からお越しになってながいさんに来られたとのことで、名刺も持っていないので見城さんにご挨拶するのも恐れ多いとおっしゃられて、札幌の家内への土産に見城さんのお名刺写真撮らせてくださいと頼まれましたので、見城さんのご了解もないままではありましたが、どうぞお撮りくださいとお見せしたことも事後ではありますが見城さんにご報告させていただきます。 見城さんとの一期一会に感謝しつつ御礼までの一文とさせていただきます。

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ケントのトーク(他者への想像力を駆使した言葉で考える!)
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    なんか見城さんの投稿を読んでいたら私も昔の思い出が蘇ってきて、書き留めておきたくなってしまった。
    市ヶ谷駅を日テレ方面に坂を登った通り沿いの地下にあった「葡萄の実」という喫茶店。当時近くの女子大に通っていた彼女との待ち合わせ場所だった。
    社会人になって結婚しようと思っていた別の彼女を連れて、その喫茶店に行った。オーナーのママさんは私のことを覚えていてくれて、状況を察したようにあの頃の皆さんはお元気?懐かしいわねと笑顔で話しかけてくれた。なぜ、以前の彼女との思い出の店に行ったのだろう。きっと、忘れられない思い出を上書きしたかったのかなと今になると分かったような気がする💦。

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    見城徹見城徹

    かつて自由が丘、青山、六本木にもキャンティがあった。自由が丘には石原慎太郎と、青山には五木寛之と、六本木には村上龍とよく行った。

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    ケント

    単なる飲食店ではなく、日本のイタリアンのレガシーであり、文化発信の拠点として、関係者は守り続けなければいけない名前とお店なのだ。

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    見城徹見城徹

    静岡新聞の僕の連載コラム[窓辺]の第6回目です。
    『エド』(2019.2.11掲載)

    20年程前、熱海に温泉付きリゾートマンションの1室を持っていた。
    最上階の角部屋で地中海と見紛うような景色が見渡せて、一目で気に入った。
    森村誠一さんが「人間の証明」で人気絶頂の頃から各社の担当編集者が集合する会が年に2回盛大に熱海で催され、毎回出席していたので土地勘もあった。週末は熱海で過ごすことが多くなった。中華の「壹番」、フレンチの「カフェ・ド・シュマン」、洋食の「スコット」、しゃぶしゃぶの「はまだ」等によく通った。
    丁度、エドと名付けたシェットランドシープドッグを飼い始めたところだったのでエドとよく街を散歩した。フランス・ニースの海浜公園を彷彿とさせる海岸沿いをトレーニングも兼ねてエドと走った。子供の頃、飼い主夫婦の夫だけに喋る馬が主人公の「アイ・アム・ミスター・エド」というアメリカの連続ドラマがあって、大好きだった。だから馬に似た犬種で、いつか喋ってくれるという期待を込めて名前もそこから頂いた。走り終わった後、海を見ながら海浜公園のベンチに座って、傍らのエドに仕事の愚痴や人生の感傷を話しかけたものだ。エドはついに喋ることもなく15歳でこの世を去った。
    マンションは6年程で売り払ったが、何人かの作家が熱海に住んでいることもあって時々、熱海を訪れる。
    海岸に足を伸ばす。ベンチに腰をかける。あの頃、エドは僕を励ましてくれる一番の親友だった。目を閉じると熱海の海にエドの姿が浮かんで来る。

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    見城さんとエドがいる熱海の海岸線、公園のベンチでの光景が鮮明に浮かぶ素晴らしいエッセー。

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    森村誠一さんが貸し切りで関係者の皆さんと一献やっていたワンショットバー。

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    静岡新聞夕刊の僕の連載コラム[窓辺]第7回目です。
    『清水南高』(2019.2.18掲載)

    高校からの下校途中、西折戸から乗ったバスを新清水で途中下車し、清水銀座の戸田書店によく立ち寄った。50年前の清水銀座は賑わっていて戸田書店は人で溢れていた。小田実「何でも見てやろう」、柴田翔「されどわれらが日々―」、五味川純平「人間の條件」、高橋和巳「邪宗門」等は戸田書店で買い求めた。
    僕は本の巻末に買った日と書店、読了日を書く癖がある。蔵書を整理すると日記を付けていたせいもあり、あの頃の自分の心情が蘇ってくる。
    「お前は何のために生きているんだ」
    受験勉強に追われながら毎日そんな問いを自分に突きつけていた。
    本を読む度にその世界に圧倒され、打ちのめされた。決して楽しい読書だったとは言えない。しかし、振り返ってみると高校時代の読書は今の僕を形成しているとハッキリと思う。大学に入って学生運動にのめり込み、挫折し、廣済堂出版に就職後、角川書店に移り、やがて幻冬舎を作った。
    その原点は清水南高の風と空と海、初恋に涙し、友人と議論し、読書に入れ上げた3年間にあると思っている。
    「月刊カドカワ」の編集長になった33歳の頃、親しかった楠田枝里子を清水南高や三保の松原、日本平に案内した後、高校時代によく通った清水銀座の「富士」という喫茶店に連れて行ったことがある。そこで紅茶を飲みながら彼女が言った言葉が忘れられない。
    「なるほど。この町であなたは今の見城くんになったのね」
    あの頃の僕を抱きしめたい気持ちだ。

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  • ケント
    ケント

    歳を重ねると、くんと呼んでくれる人、名前で呼んでくれる人、呼び捨てで呼んでくれる人がめっきりと少なくなる。そして、そういう呼び方をしてくれる人が益々愛おしくなる。

  • ケント
    ケント

    情けない徹夜仕事💦
    でも、まだまだ徹夜できるんだとまぶしい朝日の射すオフィスで一人755を見る(^^)

  • ケント
    ケント
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    ながいさん訪問(^^)
    早く食べたくて肝心のパスタの写真撮り忘れ💦
    グリーンサラダも野菜シャキシャキでドレッシングも美味でお勧めです❣️