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上田洲裕

引退した医師に復帰するよう要請とあるが、これは正味とんでもない提案ということを現場からは訴えたい。 今回の件で結局動員されるのは内科医か外科医。これらの科の先輩方はどなたも概ね生涯精一杯働き切って、お年を召されて引退なさる。その方々が現場に引き出すというのはむしろ重症化のリスクを高める。そして、もう一群「セミリタイア」と言える医師たちがいるとすれば、それは無給に近い形で労働している大学院生達だ。考えてもみて欲しい。彼らはお礼奉公の伝統のもとに大学に学費を払いながら病棟医として働いた後に研究をしている人たちだ。若いし体力もある現役世代。しかし、あらゆる面において全く守られない。丸腰で現場に飛び込んでいくことになる。こんなことは許容されまい。 そう、日本は医師は余っていません。みんな精一杯です。

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或る脳神経内科医のトーク
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  • 上田洲裕
    見城徹見城徹

    見城さん、おはようございます。

    昨晩は奇跡の時間をありがとうございました。心も頭も興奮状態のまま、見城さんへの感謝の気持ちが溢れ続け、メッセージを書いては消し書いては消しを繰り返し、こんな時間になってしまいました。誠意はスピードと教えていただいているのに、申し訳ありません。

    改めまして、キューバサンドの会を再び開催してくださりありがとうございました。あのような奇跡の時間を作っていただけたことに心から感謝しています。
    1度でもキューバサンドナイトが開催されたこと自体奇跡だったのに、その奇跡が2度も起きるとは夢のようでした。
    2度目だからこそ、1度目よりももっと美味しく、もっと感動してもらいたいと、藤井共々精一杯準備をして今日を迎えました。
    1度目を高く評価してくださった見城さんの顔を潰してはいけないと、前日の土曜も店を休業し準備に充てました。恥ずかしながら、私たちは何か特別な技術があるわけではありません。見城さんを想い、見城さんに楽しんでいただきたい気持ちを込めることしかできず、何週間も前から時間をかけて何度も試行錯誤を繰り返しました。
    土曜日の夜中、準備を終えた藤井はずっと不安そうにしていました。まだきっと足りていない。もっともっと努力できるところがあるはずだと、ずっと言っていました。

    会が始まり、見城さんに料理を召し上がっていただきたくさんのお褒めの言葉をいただく度に安堵していきました。見城さんの「美味しい。」という言葉は魔法の言葉です。私たちを幸せの頂点まで連れて行ってくれます。
    見城さんのためならなんでも出来る!どんなことでもする!と本気で思っています。
    ただ実際は、10年経っても相変わらずの力不足で何も恩返しのできない自分たちに情けなくなります。

    最後の挨拶でもお話しさせて頂きましたが、見城さんに渋谷の松五郎にお越しいただいてから10年以上経ち、昨晩また見城さんと秋元さんに藤井の料理を召し上がっていただけた事が本当に嬉しくて感動しています。私にとって、見城さんとの出来事は全てが奇跡です。

    秋元さんや奥様、矢嶋社長がキューバサンドナイトを楽しんでくださっていたら幸いです。

    ここだけの話ですが、藤井は片付けが終わり1人になった時に悔し涙を流していました。見城さんにもっと喜んでいただくために、出来ることがまだまだあったはずだと。
    お料理の提供もたくさんお待たせしてしまいました。タイミングが悪かった場面もありました。説明が至らない点もありました。反省点を数え上げたらキリがないほどです。本当に申し訳ありませんでした。
    そんな中でも、広い心で私たちを受け止めてくださり気遣ってくださり、たくさん褒めてくださいました。感謝してもしきれません。
    もし、3度目の開催をしていただくことが叶うなら、1度目の感動を超える料理を提供できるようもっともっと圧倒的努力をし準備します。もちろん今回も自分たちとしては全てを賭けて準備をしました。ですが、終わってみると自分たちとしてはあまりに反省点が多すぎました。申し訳ありませんでした。

    こんな私たちですが、どうかこれからもよろしくお願いいたします。
    心から見城さんを想っています。
    本当にありがとうございました。

    見城さんが会の最後に、「ここにいるみんなが松五郎を応援しているよ」と言ってくださったこと、一生の宝物です。
             ↑
    森貴代江の許可を得て、森から僕に来たLINEをアップします。

  • 上田洲裕
    上田洲裕

    大の松五郎ファンとしても、森さんと藤井さんと仲良くしていただいている友人としても、ただただ涙。

  • 上田洲裕
    上田洲裕

    秋元さんの書かれた有名な詞に、乃木坂46の[きっかけ]があります。1番も2番も特にサビが本当に素晴らしい。

    決心のきっかけは 理屈ではなくて
    いつだって その胸の衝動から始まる
    流されてしまうこと 抵抗しながら
    生きるとは 選択肢たった一つを選ぶこと

    決心のきっかけは 時間切れじゃなくて
    考えたその上で 未来を信じること
    後悔はしたくない 思ったそのまま
    正解は分からない たった一度の人生だ

    この歌詞に深く感銘を受け、上京することを決めました。

    この時期には見城さんからも、「上田、出て来い!無数の敵のど真ん中へ。」という熱いメッセージをいただき、腹が決まりました。

    迷える僕に森さんは「(東京へ)来たらいいよ。正解なんて決まっていないんだから。それを正解だと言えるようにすればいいんだよ」と言ってくれました。

    このお三方の言葉が無ければ、本当に今日は無かったのです。

    よし行くと決めた時の青年に声をかけてやりたい。人生最良の選択をしたと。

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  • 上田洲裕
    上田洲裕

    755を経て松五郎はどんどん成長していきました。もちろんさまざまな苦労はありながらも、(側から勝手なことを言って森さんごめんなさい)概して言えば順風満帆だったのではないかというほどにすごい勢いでした。特に冬場は大入満員が3回転するほどの大盛況でした。
    そんな日常が続くと思っていた矢先に試練が。コロナ禍でした。ただでさえダメージを受けた飲食業界。多くの店が閉店やUberなど宅配へ舵を切りました。そんな中、松五郎はどうだったか?営業は止めざるを得なかった。しかし、絶対にUberはしない。なぜかと森さんに尋ねると、ここだけは絶対に譲れないのだと。自分たちの手でお客様に料理やサービスを提供出来なければ意味がないのだと。当時住んでいた本郷までわざわざ弁当数個のために森さんが持って来てくれたこともありました。
    そんな大変な中で命運を賭けてスタートしたひとりしゃぶしゃぶ業態。そこからの5年間の精一杯を超える、圧倒的努力を間近で見て来ました。それでも決してブレることのない姿勢に、この人達はどこまでも本気で真面目過ぎるのだと確信しています。常人に成しがたいほどの忍耐強さです。
    普段は面と向かってこういうことは言わないのですが、昨日の感銘とともにこれらが回顧されました。

    そして、これまでに蒔いてきた種が、絶やさなかった水やりが、今芽を出し、少しずつ大きくなって来ています。必ず大輪の花を咲かせるでしょう。
    松五郎を応援し続けたいと思っています。同時にお友達でいてくださることを光栄に思っています。

  • 上田洲裕
    上田洲裕

    恐縮至極に存じます。
    見城さん、あの時に背中を押してくださって本当にありがとうございました。そしてもっと強く、そうして良かったと思っていただけるように、弛まぬ精進をお誓い申し上げます。

  • 上田洲裕
    上田洲裕

    往年のmixiが2として復活したとのことで早速登録してみました😊
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