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吉田真悟
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4/13という日 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/4月13日 【出来事】 1598年 - フランス国王アンリ4世が「ナントの勅令」を発布。プロテスタントにカトリックと同等の信教の自由を認める。 1888年 - 東京・下谷黒門町に日本初のコーヒー専門店「可否茶館」が開店。 1941年 - モスクワで日ソ中立条約が締結。 1943年 - 第二次世界大戦: ドイツのラジオ放送が、ソ連領内カティンの森でポーランド将校4,000人の遺体を発見と報じる。(カティンの森事件) 1970年 - 発射されてから2日後のアポロ13号で機械船の酸素タンクが爆発し、月面着陸を断念、帰還の途につく。 1975年 - ロックバンド、キャロルが解散。 1982年 - 毎年8月15日を「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」とすることが日本の閣議で決定。 1990年 - ミハイル・ゴルバチョフソ連大統領が、カティンの森事件がソ連秘密警察の犯行であったことを認め陳謝。 1992年 - ポルトガルと中華人民共和国が1999年にマカオを返還する旨の共同声明に調印。 【生誕】 1838年(天保9年3月19日) - 後藤象二郎、政治家(+ 1897年) 1924年 - 吉行淳之介、小説家(+ 1994年) 1926年 - 宮尾登美子、小説家(+ 2014年) 1933年 - 藤田まこと、俳優(+ 2010年) 1955年 - 西城秀樹、歌手 1958年 - 萬田久子、女優 1961年 - 牛島和彦、プロ野球選手・監督 1984年 - 水嶋ヒロ、俳優 【忌日】 1844年(弘化元年2月26日) - 間宮林蔵、探検家(* 1775年) 1874年 - 江藤新平、政治家(* 1834年) 1912年 - 石川啄木、俳人、歌人(* 1886年) 1929年 - 後藤新平、政治家(* 1857年)

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前略 見城先生
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  • 吉田真悟
    吉田真悟
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    最初から心臓バクバクして2時間もつのかな?と思っていたらあっという間に終わってしまった。
    一瞬のたるみも感じなかった。
    こんな映画を毎日観たい。

  • 吉田真悟
    吉田真悟
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    まだ昨日観た映画『正体』を引きずっていて二日酔い気味である。まぁ心地良いのだが。

    山田孝之演じる、捜査一課の幹部が最後の良心的象徴なのに対して松重豊演じる刑事部長のクズっぷりが……。
    こういう役はむしろ山田孝之の方が適当と思った次第です。

    役者の演技力については全く解らないが、横浜流星演じる鏑木慶一が見るたびに別人に見えたのは凄かったな。

  • 吉田真悟
    吉田真悟
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    昨日WOWOWプラスで放送された『蘇る金狼』(1979)を観はじめている。

    このジムでサンドバッグ打ちをしているのはご存知松田優作さん、スーツ着てそれを押さえているのは角川春樹さんだ。😁懐かしいな

  • 吉田真悟
    吉田真悟
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    今日は44年前の角川映画『野獣死すべし』を観ていた。
    松田優作とか鹿賀丈史は若く精悍なのに泉谷しげる氏は今と変わらない事に驚愕してしまった。化け物だな

    『蘇る金狼』はまだ原作を思い出しながらついて行けたがこの『野獣死すべし』は全く原作からかけ離れて破茶滅茶で意味不明な映画であった。

    以下Wikipediaより↓
    本作の場面描写には抽象的な点が多く、特にラストシーンは日本映画の中で最も難解なシーンのひとつとされている。解釈には「待ち伏せていた警官隊により狙撃され死亡した」「伊達の狂気が生み出した幻影」「突発的にフラッシュバックを起こし、錯乱した」など諸説あるが、公式に明示された例はないため、結論は得られていない。
    この印象的なラストシーンは、脚本のラストから大きく変えられており、撮影の途中で、主演の松田たちが自分のやりたいように改変した結果であるという。この件について、映画監督の大島渚は評価し、原作者の大藪春彦は何も言わなかったが、「客が納得して帰るのが娯楽映画」と自負する製作者の角川は激怒し、渋谷東映での初日の舞台挨拶が終わったら、主演の松田を拉致して、渋谷のガード下に連行するよう、角川書店の武闘派社員2人に命じていた。ところが劇場内が客で満員だったとの報告を聞いて矛を収め、未遂に終わった。


    武闘派社員のうちの1人は思い当たる。😅

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