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流されゆく日々 連載11912回 私が本を読む場所 ③ 五木寛之 (昨日のつづき)  [き]ょうは幻冬舎の見城徹氏と対談。  ふつう対談というのは、お互いに社交的なエールの交換から始まるものだが、そこは半世紀も前からの間柄とあって、挨拶ぬきの放談となった。  見城さんは圧倒的なコピーの名手である。あまりに有名な 〈顰蹙(ひんしゅく)は金を払ってでも買え〉  にはじまる数々の名文句のなかでも、私の記憶に深く居座ったのは、 〈感想を述(の)べあうことから関係が始まる〉  といった意味の発言だった。  初対面の人間同士がたちまち接触し合うためには何が必要か。  それは相手の仕事、生き方、その他なんでもいいが、とにかく率直な感想を述べることが必須である、と彼はいう。  天気のことを喋るのもいいだろう。最近みた映画についてでもいい。気に入った音楽でも、テレビの番組に関してでも、とにかく自分の意見をいう。いちばん大事なのは、相手の仕事に関して感想を述べることだ。  [そ]れが必ずしも賞賛でなくてもかまわない。反対なら反対、批判なら批判、できれば最近、自分が関心をもった相手の仕事について、率直な感想を述べることができれば、なおいい。  相手が怒って背を向けるなら、それもいいではないか。反論には反論で応じる。  そうやって知らない同士の対人関係が生じるのだ。生きている時間は短い。オベンチャラを言っている時間などないのだ。  これを〈応酬(おうしゅう)〉という。応酬といえば、なんとなく「やり合う」ことを連想するが、〈酬(しゅう)〉は必ずしも否定的な表現ではない。〈相手にそれを差し出すこと〉ではないのか。  評価が分かれて議論の応酬となれば、それは一つの交換の場が成立したことになる。  たがいに率直に相手の仕事や発言について感想を述べあい、共感できなくて論戦になったとしても、それはそれで、一つの関係が成立したことになるのだ。  [見]城氏は、その〈感想をのべる〉ことの名手である。お互いの仕事に関して興味のない相手と話をしても仕方がないことがわかっているからだ。  私は彼の編集者としての見識を、また出版人としての抱負について感想を述べる。彼は彼で私の過去・現在・未来の仕事について率直な感想をのべる。  そのための対談なのだ。そして本日の3時間ちかい対談は、予想以上に充実したものだった。 (この項つづく) ——協力・文芸企画

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schläfrig 13
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    東北大震災の時も、『津軽海峡・冬景色』を、レコーディング時の歌唱方法で歌い、能登の震災の今年も『能登半島』を十九歳の本人で歌う。
    石川さゆりさんの底力、胆力、なにより歌唱技術に震える。
    昔々、何かのインタビューで美空ひばりさんが「歌は魂ですか?心ですか?」と訊かれて、「技術よ」とバッサリ答えたのを思い出します。
    桁外れの、「今」の『能登半島』でした。
    ありがとうございました。

    ( 。・_・。 ) ♪

    #石川さゆり
    #能登半島

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    21万部突破のロングセラー
    たった一人の熱狂
    幻冬舎
    代表取締役社長
    見城 徹
    [幻冬舎文庫]650円(税込価格715円)
    幻冬舎 〒151-0051 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-9-7

    【特別収録】母校の創立50周年の記念誌に寄稿
    静岡県立清水南高等学校 創立50周年記念誌に寄せて(2013年)

    〈かけがえのない今日〉
    44年前、僕は四回生として、静岡県立清水南高等学校を卒業した。
    小学校・中学校と劣等生だった僕にとって、高校入学は今から考えても決定的に大きな人生の転機になった。
    東京での大学生活を通じても、高校時代ほど生命のエキスが凝縮された時間はなかった。
    海と山に囲まれて、日差しがさんさんと降り注ぐ、花と緑が目に染みる、青春ドラマの舞台になるような高校で、僕は全身をぶつけて、恋愛や友情、勉強やスポーツに向き合った。あれほど懸命に生きた記憶は、後にも先にもあの3年間だけである。あの3年がいまの僕を形作り今の僕をあらしめていると、はっきりと断言できる。それほど僕にとって、濃密で一心不乱の季節だった。
    初めて異性を愛しいと思い、一挙手一投足に振り回され、思い詰めた日々を過ごしたこともなかったし、ロックンロールに夢中になってビートルズという一組のミュージシャンにあれほどの熱量でのめり込んだこともなかった。
    ラグビーに出会って、鈍い運動神経ながらも初めてスポーツを楽しいと思ったのも、高校の3年間だけだった。社会に出てからも、ラグビーのクラブチームをつくってトレーニングにも励んだけれども、高校時代のようなトライの快感は得られなかった。
    嫌だ嫌だと逃げたい心を押さえつけて一日3時間睡眠で受験勉強をしたのも、海辺で友人と日が暮れるまで議論したのも、本を片端から読んだのも、その3年間に限られている。
    一歩を踏み出すこと、目標に向かって努力すること、死ぬ気で何かに熱中すること、それらすべてを高校の3年間は僕に天の恵みのように教えてくれた。自分の信じた道を真っ当に努力さえすれば、時間がかかろうとも必ず少しは報われる、そのことに僕は高校に入って初めて気づいたのだ。
    何故それが高校時代だったのか、丁度、強烈な自我に目覚める年頃だったのか、よく解らないけれど、高校3年間で僕は、生きるという営みの歓喜と切なさを全身で受け止めたのだ。
    自分が信じたものに熱狂できる特権はわかもの特有のものだ。社会に出れば、様々な大人の事情が、それを許さない。小・中学生では子供過ぎるし、大学生では自由過ぎる。親のスネをかじりながら、受験という目の前に立ちはだかる乗り越えるべき大きな壁にぶつかりながら、自分が熱狂するものにもがき苦しみ、全力を尽くす。
    僕が清水南高で得たものは62歳の僕の人生を左右し、僕の人生を決定づけた。あの3年間がなかったら、今の僕はなかった。
    そのさ中にある者には、その貴重さは解らない。
    そのさ中をどう生きるのか。
    何とどう向き合うのか。
    君達は二度と戻らない、その貴重な季節のさ中にいる。
    何でもいい。何かに熱中しろ。何かと格闘しろ。もがき、苦しみ、悩み抜け。それがどれだけ大切だったか、思い知る時がきっと来る。
    光陰矢の如し。今日と違う明日をつくれ。
    それには圧倒的努力が必要だ。10年なんてあっという間だ。
    昨日と同じ今日、今日と同じ明日。そんなものはつまらない。
    「君がなんとなく生きた今日は、昨日死んでいった人達が、どうしても生きたかった大切な明日だ」
    アメリカ原住民に伝わる言葉である。
    人生の中で最も恵まれた季節を、なんとなく生きるな。
    失恋してもいい。失敗してもいい。
    勇気を出して、自分が夢中になれる何かに一歩を踏み出してくれ。
    どんなにボロボロになっても、それがあとで、かけがえのない一日になる。
    (本文より)

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    『ここがロドスだ、ここで跳べ!』
    歌唱:AKB48
    作詞:秋元 康
    作曲:つじたかひろ
    編曲:武藤星児

    長い道程を走り抜け
やっと 山の麓まで来た 夜明け
前に聳え立つ その夢は
雲がかかる頂に 似ている

現実は 厳しい
登るのは 辛い
思うようにいかない
諦めてしまいたくなる

後ろを 振り返るなよ
「努力した」とか
「頑張った」とか
口にするな
    
今の自分 見せてみろ
ここがロドスだ
さあ ここで跳べ
WOW WOW

    
月も星もない山道を
闇に怯えながら 歩いた 絶望
時に 逆風に吹かれたり
強い雨に 行く手を阻まれて

後から来た人に
抜かれてしまった
夢までの地図がない
運のせいだと 石を蹴るのか

自分で 見せるしかない
拗ねてみたって
泣き言 言っても
はじまらない
    
過去を捨てて 生きてみろ
ここが舞台だ
さあ ここで跳べ
WOW WOW

    
報われるか なんて 考えるな
暗闇でジャンプしろ

言い訳する その前に
まず やってみろ
直向きな力で

後ろを 振り返るなよ
「努力した」とか
「頑張った」とか
口にするな
    
今の自分 見せてみろ
ここがロドスだ
さあ ここで跳べ
前を向いて
さあ ここで跳べ
WOW WOW


    ( 。・_・。 ) ♪