りこちゃんへのお返事用トーク
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- かいじゅゅう
かいじゅゅう 珠理奈論とっても良かったです。
読み初めてすぐにSKEができた頃を思い出しました。
SKEができた頃はまだAKBも少しづつファンが増えてきた位で今のように毎日テレビに出るなんてみんな想像も出来なかった頃です。
自分も在宅だったので公演にも行ったことは無く、AKBINGOの前身番組AKB1じ59ふん!をやっていた位だったと思います。何故このタイミングでSKEを作るのか意図がわからなかった。AKBの地盤も固まっていない頃(確かレコード会社との契約が切れた頃だったと思います)で大丈夫なのか心配でした。
SKE1期生メンバーが決まりAKBもレコード会社が決まり新曲の発売も決まって選抜が発表されたら………センターが2人になってるし、しかもSKEだし小学生だし。申し訳ないけど良い印象は持てなかったです。
SKEも2期生、3期生、4期生が入った頃、在宅だった自分は少しづつ現場に行くようになってきました。この頃のAKBはすごくメンバー同士の仲が良く、先輩後輩もニックネームで呼び合う関係になっていてとても魅力的だと思って見ていました。
しかし、SKEでは今でもそうですが先輩を「⚪⚪さん」と呼んでいて、中学生の珠理奈を20歳を越えているメンバーが「珠理奈さん」と呼んでいるのを見てついSKEを、珠理奈を敬遠してしまいました。自分が中学高校と野球をやっていたこともあり体育会系の良さはもちろんわかっているし大事なことなのですがアイドルに必要なのか少しウーン(-_-;)となってしまいました。AKBが上手くいっていたからこそSKEもニックネームで呼び合うような先輩後輩が仲の良いイメージをつけていった方が良いのではないかと思うようになり、埼玉に住んでいたので、名古屋に行くこともないし、仕事も連休が取りずらい仕事だったので意識的にSKEは見ないようにしていました。でも、大箱でのコンサートやAKBの選抜でテレビに出ている珠理奈のパフォーマンスは圧倒的で常に魅力的でした。あんなにも細い体で何年間も頑張って頑張ってパフォーマンスレベルを上げて、SKEとして高みを望み続けてSKEを背負って後輩も育てて。どんなに辛い大変なときでもファンの前では笑顔で笑っていました。
そんなときに滋賀県への転勤になってしまいそれまで見ないようにしていたSKEの劇場まで2時間の場所に住むことになり劇場にも公演を観に行くようになりました。
研究生公演のパフォーマンスの熱さや各チームの公演の素晴らしさを目の当たりにし常に感動させてもらいました。その時に先輩を敬いつつも先輩を越えるために努力を続けていて本当にみんなで切磋琢磨しているのが良くわかりました。また、SKEを卒業して芸能界で生きていくのであれば実年齢ではなく芸歴で先輩後輩が決まる世界であって実年齢は関係ない。だからこそ今のうちにしっかりとその基礎を身に付けておかないといけないんじゃないかと思うようになりました。
初めて珠理奈を見てから握手会に行こうと思うまでに何年も経ってしまいました。
初めは2枚買って行きました。テレビや雑誌で見る満面の笑顔でよく月の玲奈と太陽の珠理奈と称される通り本当に太陽のように明るくて人懐っこい笑顔で迎えてくれました。その笑顔にまた感動し今度はもっともっと握手したくなりました。
その数ヵ月後1日5部ある握手会で全部の部で3枚づつ買って行きました。コンサートに行ってとっても楽しかった等の当たり障りのない会話をして帰りました。
その3ヵ月後に握手会に行ったときにしっかりと覚えていてくれたんです。それ以来今でもしっかりと覚えてくれています。今から3年前の出来事です。トップクラスの忙しさを誇るメンバーがファンの事も大切にしてくれていて本当に感動しましたし、どんなに新しいメンバーが入ってきてもやっぱり珠理奈がセンターに立っていると安心するしどんなパフォーマンスを見せてくれるのかワクワクするしそんな珠理奈に引っ張られて他のメンバーも120%のパフォーマンスを見せてくれる。
だから俺はもう珠理奈がセンターで良かったって思ってます。
レビューの感想というかただの自分の珠理奈に対する思い出話になってしまっている気がします。
こんな下手くそな文を最後まで読んでくれていたら本当にありがとうございますm(__)m
やっぱり文を書くのは難しいです。やっぱりメインは読むことになりそうです(^人^) - かいじゅゅう
かいじゅゅう 安保法案成立を受けて。
を読みました。
確かに今回は強引に可決させたことは決して良いことではないです。でも、それだけ急がなければいけない理由があると思うんです。
中国の漁師は日本の領海に入ってきて勝手に大量の魚を取っていきます。中国の漁師はとても攻撃的で沖縄の漁師さん達には命を落とすかもしれないと思うこともあるほど怖いと言っていました。
そんな沖縄の人たちを守るには個別的自衛権では守れないんです。先に攻撃されないと日本は攻撃できないんです。漁師さんも痛い思いはしたくないからなんとか攻撃されない所までで引き下がることになります。大袈裟に言えば命のやり取りを常にしているんです。だからこそ早く法案を成立させてアメリカと協力して抑止力を強くしなければ日本の領海は自由に入って良いんだと思われてしまいます。舐められてしまうということです。
審議の時間が足りない、強引に可決させようとしている、戦争しようとしている。とマスコミは批判的なことばかりを報道してこの法案の良い点、先に書きましたが沖縄の漁師の現実等助けを求めている声をあまり報道していません。また、PKO活動等で海外の内紛がおさまっていない場所で道路を作ったり井戸を掘ったりする活動をしていても、他の国に護衛についてもらいながらの活動です。護衛についてもらっているときに攻撃されることは当然ありますが、そのときに自衛隊は建物に隠れてやり過ごすんです。護衛についてもらっている軍が交戦しているときに個別的自衛権では一緒に戦うことは出来ないんです。そんな国の軍を信用してくれる国は少なくなってしまうのは当然だと思いますし、舐められるのも当然だと思います。分かりやすくいうと、私は今スーパーマーケットで働いています。この仕事は店舗間の移動が発生します。前にいた店でどんなに評価が高くても移動先の店で指示だけを出して事務所で涼んでいる人を実際に汗をかいて商品を出している部下のパートさんやアルバイトさんは絶対に認めません。お前もやれよ!と思うはずです。わかりずらかったらごめんなさい。
野党に対して1番納得がいかないのは安倍内閣がこの法案を提案してから約1年が経ちますが、反対している野党はいつまでも代案を出さずに批判だけをしている点です。批判するだけなら誰にも出来ます。ここが良くないのでこうしたらどうだろうか?ということが全くないんです。維新の会は代案をだしましたが本来は民主党が出すべきなのではないか?と思いますし反対の意見として戦争に子供を行かせたくないという内容の感情論ばかりで今の世界情勢を理解していないように思えてしまいます。
戦争は絶対にしてはいけない事です。しかし、世界のあちこちで戦争は終わっていません。世界の国々にどこよりも平和を守ろうとする憲法をもつ日本がこの決断をしたことを世界は評価しています。
法案は可決されました。可決されたからこそこれからはもっと内容をしっかりと伝えてほしいと切に願っています。 - かいじゅゅう
かいじゅゅう ⭐17読みました。
人種差別。
肌の色での差別は日本ではあまりないと思ってました。でも、まさかスワンちゃんのすぐそばで起こっていたとは思いませんでした。
人それぞれ色んな事を考えます。好きなこと嫌いなことみんな違います。思うことは誰にも止められないことだし自由なことです。相手が悲しくなることを口に出してしまったり、態度に出してしまう事が一番いけない事だし悲しいことです。
恥ずかしい事ですが私は外国の方が得意ではありません。それは私が外国語を話せないので、何て言っているのか解らない事と体格が大きくてなんか怖い。という思い込みです。いけないことだとわかっているんですが、実際に見かけると「おおぅ!」と思ってしまいます。
でも、態度に出して相手に不快な思いは絶対にさせたくないので態度には出しません。自分に対して残念な気持ちになってしまいます。
今の日本は思いやりの気持ちをもった人が本当に減ってしまったと思います。体に障害を持ったかたに対してもですがお年寄りに対しても冷たい態度をとる方がとても増えました。
何でだろうって考えたときに1つは元気なお年寄りが増えました。それ自体はとっても良いことですが、なぜか態度も大きくなっている方が多くて元気な方に限って年寄りを敬うのが当然だ。という考えの方が少なくないと思うんです。思いやりの心って押し付けられるものではないと思うんです。
パソコン、スマホ等知らない事は簡単に調べられる時代になりました。素晴らしい事ですがこの事によって知らないことを教えてくれるお年寄りとの触れ合いがとても減ってしまいました。これが年配の方を色んな事を知っていてすごいなぁ。という尊敬から調べればすぐにわかることを教えてくる人。に変えてしまっているんだと思います。そしてそこには尊敬はほとんどなく、忙しい現代人にはゆっくり動く邪魔な人。という認識に変わってしまっているように思えます。
そして、お年寄りと障害をもった人をひとまとめにしてしまっている人がとても増えてしまっているんだと思います。悪く言えば、「変な動きでスピードも無いから邪魔だなぁ」今の人達は無駄に計画を立てすぎていてその計画に支障をきたすことをいやがります。色んなものが便利になった弊害です。色んなものがきれいになりすぎて障害をもった人の苦しみをわかってあげられない、思いやりをもって接してあげられなくなってしまっているのだと思います。
2つ目は、今は簡単に映画やドラマ、動画サイト等で心暖まる映像が簡単に見れるようになりました。普段思いやりをもって接してあげられていない人達でも、心暖まる映像を観ることでなにもしていないのに「良いことしたな」って勝手に思い込んで満足してしまっている人達がとても増えたように思えます。なにもしていないのに、相手に悲しい思いしかさせていないのに映像を観ることで満たされてしまっている人が沢山います。とても悲しいことです。困っている人を気遣ってあげるだけでも「ありがとう」とかけがえのない感謝の気持ちを見せてくれるのに。どんなに小さな「ありがとう」でも映画やドラマや動画サイトでの映像よりも素晴らしいリアルがあるのに。
最後に、思いやりをもって接する事って大部分が親の教育がとっても大事になってくると思うんです。教育って勉強の事ではないんです。勉強は学問を学ぶものですがそれ以外の人格形成や心を育む事などは家庭での教育になると思うんです。子供がどんなに優しい心を持っていたとしてもその気持ちの相手への伝え方を教えて、実際にやらせてみて、上手くできたら誉めてあげる。とっても良いことをしたんだって子供に教えてあげられるのはやっぱり親がするべき事だし親の影響が大きいと思います。私達が親になったときに優しい心を上手く表現できる子供に育てたいなって改めて思わせてくれました。
スワンちゃんいつも色んな事を考えさせてくれてありがとう。
相変わらず下手で上手くまとまってない長い文になっちゃってゴメンね。 - かいじゅゅう
かいじゅゅう 今回は俺の事を書こうと思います。
7年前だから俺が26歳位だったかな。
親父が肝臓の病気になって肌が黄色になってしまって、姉が二人いるんだけど二人共治るから頑張ろうねって励ましていたんだけど、なぜか俺はもう助からないんだなぁって勝手に思ってしまって。でも親父の前では治るから大丈夫だよって言ってた。
俺は末っ子だけど長男だから不安しかなかった。けど、ひたすらどっしりと構えていることしか出来なかった。母親や姉達の不安を少しでも減らすことが出来るならどっしりと構えていようって思ったから。
しばらく入院していたんだけど少しよくなってきて一時的に家に帰って来ることができた時に親父のいる部屋に呼ばれて「これから迷惑をかけるけどお母さんを宜しくな」って言われて「うん、大丈夫だよ、ゆっくり休みなね」って感じのはなしをしたんだけど、数日後に急に悪くなってしまって、入院して、そのまま意識がなくなってしまって。
数日後の朝、起きた瞬間に病院に泊まり込んでいた母から電話がきて、直ぐに病院に向かいました。
病院に着いたら先生が待っていて、俺が到着するのを待ってから最後の脈、瞳孔の確認をして、ただいま亡くなりました。と言われました。
家族皆が泣いてました。親父の兄家族も姉の旦那さんも皆が泣いてくれました。
でも、俺は泣きませんでした。正確には、泣いちゃいけない。俺が折れちゃダメなんだって思ってしまって。なんとか家族を支えないとって思ったら俺が泣くわけにはいかないって思ってずっとがまんし続けてました。
まだ50代だった親父の通夜と葬式は数日後に行われることになりました。勤めていた市役所の人が葬式の前に沢山来てくれました。同僚の人達はもちろんですが20代や30代の女の人も2、3人で何組も来て皆が良い人でしたって言って泣いてくれました。
通夜の時にもビックリするくらい沢山の人が来てくれ、沢山の人が泣いてくれました。
役職はついていないから偉くはないけれど優しくて人として誇れる親父でしたが通夜の光景を見て改めて尊敬しつつ越えられない壁としていてくれることが嬉しかったです。
葬式の出棺の前に花を飾ってあげるのですがその時に親戚皆が泣きながら親父の死を悼んでくれました。
最後に家族に顔を見せてくれるのですが、皆で泣きながら声を掛ける中で俺はあまり近づけなかった。もう、泣くことをがまんするのが限界だったから。俺だけは折れちゃいけないって思っていたから。でも俺が我慢していることは姉にはバレてました。「今は我慢しなくて良いから思いっきり泣きなさい」言われた瞬間に関を切ったように溢れてしまいもうダメでした。
俺にとって親父がこんなに大きな存在だったんだって改めて実感しました。
そしてそんな親父にどこまで近づけるのかはわからないけれど、これからも永遠に大きな目標です。
相変わらず上手くまとまらない文になってしまいました
( ̄▽ ̄;)
最後まで読んでくれていたらありがとう。 - かいじゅゅう
かいじゅゅう スワンちゃんこんばんは。
俺は小学生の頃は泣き虫だったんだ。
「バカ」って言われただけで泣いちゃってた。
今思うと本当に情けないんだけど、言われたときには本当に悔しくて心のなかで「バカじゃないもん!」って連呼してると涙が溢れてきて、泣きたくなんて無いのにわんわん泣いてしまってました。
いじめにもなってないって今では思うんだけどあの頃は悩んでたなぁ。
生きてたって…まで考えたこともあったし………本当に弱い子だった( ̄▽ ̄;)
でも、中学生になってからなぜかパタリと泣かなくなったんだ。
「バカ」って言われても「うっせー」って返せるようになったし、小学校が同じだった人たちも皆仲良かった。
ただ、いじられる人はいたしちょっといじめっぽくもなってたんだ。皆が無視しているのも分かっていたんだけど、俺は何も出来なかった。むしろ少しいじめに荷担していたと思う。
でも、完全な無視は出来なかった。俺から話しかけることはしなかったけど話しかけられたら返事しちゃって、もちろんそれで良いんだけど、皆からしたら面白くない。ってなって何で?って聴かれたりしたけど「体が反応しちゃってダメだ、野球やってるから自分に向かってくるものには瞬発的に反応しちゃうんだもん」って言い続けて………じゃあ仕方ないかぁって納得してたなぁ( ̄▽ ̄;)
高校はヤンキーが多めの学校だったんだけど、特にそういうことをする人はいなかったよ。いじめはカッコ悪いって皆言ってた。だけど、ヤンキーじゃない生徒は違ったんだ。やっぱり何人か無視が始まって俺にもそうするように言ってきたの。俺も弱い人間だったから今回も同じ様に俺から話しかけることは止めておいたんだけど、話しかけられるとどうしても反応しちゃって(^_^;)
まぁ、それでよかったと思っているんだけどね(^ω^)
そのうちだんだん俺も標的になり始めたんだけど、何かどうでもよくなってきて、小さいやつらだなぁって思うようになってた。
気がついたらちょっと強くなったなぁ。って思った。
大学は北海道に行くことが決まってたしこの人たちとはもう付き合わなくてもいいかなって気持ちになってた。それはそれであまり良くはないのかもしれないけど( ̄▽ ̄;)
そのまま卒業して今は全国どこに移動になるかわからないし平日にしか休めないスーパーで働いてるから全く連絡も取ってないなぁ(>_<)
たまに中学の友達と大学の友達からの連絡で手一杯だから良かったのかなって思ってるけどね(^ー^)
結局俺のケースを書いただけだから何も解決には結び付かないんだけど、俺には忙しくても話を聞いてくれる両親といろんな趣味を教えてくれる姉が2人いたから毎日楽しく過ごせたんだ。
何人かでいいからそういう人が近くにいれば人って強くなれると思う。
今回もいまいちかも( ̄▽ ̄;)
ここまで読んでくれていたらありがとう(^ー^) - かいじゅゅう
かいじゅゅう りこちゃんこんばんは。
病気は本当に怖いです。
去年の年明けにおかんが滋賀に遊びに来ることになっていたんだ。
埼玉から滋賀に来る前に神奈川の姉の家に1泊してから来ることになっていたんだけど、体調が悪くなっちゃって病院に行くことになって。
俺は年末年始の疲れがたたったのかと軽い気持ちでいたんだけど、そのまま検査入院して数日後には「癌です」って言われて心のなかでなにかが音を立てて崩れるってこういうことかってくらいにガラガラと崩れていきました。
うちは数年前に親父が死んで関東に二人いる姉がおかんの相手をしてくれていたんだけど、急いで病院に行って先生に話を聞いて、まだ初期段階だからもしかしたら完治できるかもしれないって言われたけど、やっぱり「癌」って言われた時点で諦めちゃってる俺がいて、でも姉は二人とも絶対に治るからって涙を流しながらマイナスなことは絶対に口に出さなくて、姉ちゃんたちは本当に強くって、俺は本当に弱くって帰りの新幹線でちょっと泣いてしまった。
手術は無事に成功して、抗がん剤治療に入って、その間も姉ちゃんたちはどんなものを食べたら良いのか、どんな生活をすれば良いのか沢山調べて実践して、俺はいろんな事を