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モウリス@ニコ生NEX ZERO

いろんな人が、それぞれの解釈や感想を述べてて、面白いですね。 かつて70年代にコント55号(萩本欽一、坂上二郎)は、即興や素人的な要素を大胆に持ち込んで、テレビのお笑いに変化をもたらした。それに対して作り込まれた笑いで対抗したのがドリフターズ(8時だョ!全員集合)だった。結局、息が長かったのはドリフだった。 80年代には『笑っていいとも!』が登場する。テレビでライブショー(AKB劇場のような近接性のある)を再現したと評される。演者が気さくに観客に語りかけた。レスのようなものだ。生放送だから、モンタージュや音声の被せは出来ないから、観客の反応や笑い声は全てリアルなものだ。でも、それを成し得ていたのは、周到に練られた構成・演出と、ライブスキルの高い芸人たちの腕だった。タモリはそもそもが素人の宴会芸、即興芸からスタートした人だったが、いつしか国民的なプロの司会者になっていた。 90年代にはアイドルがほぼ壊滅し、アーティストと呼ばれる人たちの時代になった。秋元氏も何度かアイドル的なものの復活を試みたが、失敗が続いた。一転、ブロードウェイのようなショーを東京でやろうと思い立ったが、その構想は、劇場アイドルというかたちでスタートを切ることになった。結果出来たものは、ショーではなく、「ショーを作り上げていくショー」だった。この「成長過程こそ応援熱が上がる」というフォーマットは、現在、アジア諸国でも顕著に好まれている。 しかし、とりわけ日本国内に限って言えば、そこに時代的な変化が訪れた。成長の末に辿り着く目標だったはずの(主に)メディア全般が、急激に「夢としての対象」ではなくなっていった。それと期を同じくして「AKBになることが目標」というメンバーが現れ始めた。それは良いことなのか?どうなのか?という議論が生じた。 そして今。その結果として、少なくとも2つのことが起きているように思います。 ひとつは、「目標としての AKB」そのものに、プロフェッショナルなスキルが要求されるようになってきた。成長というよりは「才能と努力の結果」を見せる流れ。それが歌唱力No. 1や、ダンスオーディションや、去年の AKB紅白だったりするわけですよね。楽曲などの、もともとメンバー個人が備えてる特技も、機会あるごとに用いられることが増えた。「AKBになりたい」という夢には、「AKBにどんな特技・才能を持ち込むか」ということが顕著になってきた。それでも一級のプロ並みとはいかないから、やはりそこはアイドルであることに違いはない。 さて。特技や才能は、何もないがらんどうの部屋では発揮できない。時代を踏まえた企画があり、練られた構成があり、演出が施され、最新の照明、音響、衣装などが意欲的に装飾していくことで、初めて歌もダンスも楽器もバレエも、そのポテンシャルを最大限に発揮できる。 STUは「↑いまここ」というやつですね。 今村ねずみ氏は、70年代歌謡を、オタの空気など一切読まずに大胆にぶち込んで来たけれど、コールしたいというオタクの欲求もきちんと満たしてくれている。むしろ親切だ。親切な革命だ。 来年、HKT新劇場オープンの際にも、おそらくこれまでのオタクがイメージするありきたりなパターンを壊してくると思います。そうでないと「新」劇場で再オープンする意味がないし、かつてのホークスタウン劇場のスタイルに戻っても仕方ない。時代は流れていくし、いま、それは大きく変化している真っ只中であるという認識は、それほど間違ってはいないように思います。 だから、AKB48グループは変わる。 だから、オタクも変わらなければならない。

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