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コウチャンのトーク
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  • トークが開始されました
  • コウチャン
    見城徹見城徹


    ぼくはでてゆく
    冬の圧力の真むこうへ
    ひとりっきりで耐えられないから
    たくさんのひとと手をつなぐというのは嘘だから
    ひとりっきりで抗争できないから
    たくさんのひとと手をつなぐというのは卑怯だから
    ぼくはでてゆく
    すべての時刻がむこうがわに加担しても
    ぼくたちがしはらったものを
    ずっと以前のぶんまでとりかえすために
    すでにいらなくなったものはそれを思いしらせるために
    ちいさなやさしい群よ
    みんなは思い出のひとつひとつだ
    ぼくはでてゆく
    嫌悪のひとつひとつに出遇うために
    ぼくはでてゆく
    無数の敵のどまん中へ
    ぼくは疲れている
    がぼくの瞋りは無尽蔵だ

    ーー吉本隆明[ちひさな群への挨拶]より抜粋

  • コウチャン
    見城徹見城徹
    秋元康
    個体の掟、共同体の掟。素晴らしい言葉ですね。

    [個体の掟]と[共同体の掟]は普通、対称的関係になります。つまり、倒立して現れるのですね。[共同体の掟]を維持するために[個体の掟]で生きようとする人たちを共同体の常識やルール、倫理や道徳、法律で裁こうとするのです。しばしば[個体の掟]に依る人たちは共同体からすれば「狂人」「変態」「反社会的」というレッテルを張られます。しかし、個体であることの喘ぎや怒り、切なさや哀しみ、そして歓喜や恍惚は明確なロジックを獲得した時、個体の圧倒的情熱と努力によって共同体のルールや常識を破壊します。僕は[個体の掟]で生きようと七転八倒している人たちが好きです。世界を変え、革命を成し遂げるのはそのような人たちです。
    秋元康、堀江貴文、西野亮廣、前田裕ニ、その隊列の中に僕も並んでいたいと願っています。やるか?やらないか?ただ、それだけです。

  • コウチャン
    削除されたユーザー削除されたユーザー

    理由もなくかなしかったとききみは愛することを知るのだ
    夕ぐれにきて夕ぐれに帰ってゆく人のために
    きみは足枷になった運命をにくむのだ
    その日のうちに
    もし優しさが別の優しさにかわり明日のことが思いしられなかったら
    きみは受肉を信じるのだ 恋はいつか
    他人の血のなかで浅黄いろの屍衣のように安らかになる
    きみは炉辺で死にうるか
    その人の肩から世界は膨大な黄昏となって見え
    願いにみちた声から
    落日はしたたりおちる
    行きたまえ
    きみはその人のためにおくれ
    その人のために全てのものより先にいそぐ
    戦われるものがすべてだ
    希望からは涙が
    肉体からは緊張がつたえられ
    君は力のかぎり
    救いのない世界から立ち上る


    ー吉本隆明『恋唄』より

    見城さんから教えて頂いた、吉本隆明の「恋唄」。
    今この詩が、僕は一番好きです。

  • コウチャン
    藤田晋bot藤田晋bot

    樹林伸さんのtwitter より

    他人の創ったものに素直に感動する人。
    そして自分も何か創りたいと思う人。
    →クリエイター向き

    感動しつつも、ここがこうだったら
    もっと良いのにと、つい考えてしまう人。
    →編集者やプロデューサー向き

    私も日々仕事をしながら社員を見て
    そう感じます。

    クリエイターは誰かの作品に対して
    感動したり、泣いたり、笑ったり、
    素直な感情で向き合っています。

    プロデューサーはその作品が創られた
    経緯や背景など、真意を探った上で、
    改めてユーザー目線で見て何が
    足りないかを考えます。

    どちらにしても共通しているのは、
    実際の苦しみや難しさと向き合う
    必要があるということです。

    クリエイターは、誰かの作品に感動した
    からといって、自分も何かを創れるか
    どうかは全く別問題です。
    無から生み出す苦しみが待ってます。

    プロデューサーは、
    様々な現実の制約を跳ね除けて
    作品を生み出す難しさがどれほどの
    ことかを知らなければなりません。

    それらを認識している人は、そう簡単に
    他人の作品を評価することはできなく
    なってしまいます。

    最後に、

    何でもすぐあら探しする人。
    →モノ創りには向いていない

    と樹林さんは言っています。

    他人の創ったものに完璧を求めて
    粗さがしするのは意外と簡単で、
    一度始めると癖になるものではないか
    と思います。

    しかし、それを続けていると、
    前も書きました が、自分の時に
    現実の厳しさと向き合えなくなって
    しまいます。

    我々のネットビジネスにおいても、
    モノ創りに関わる人は気を付けましょう。

  • コウチャン
    小松成美小松成美

    小松成美著「M-愛すべき人がいて-」を読んだ。暴露本と言われているらしいが、ノンフィクション作家小松成美が書いたものは一人の少女のサクセスストーリーの光と影だ。興味本位のものではない。「俺を信じろ」音楽プロデューサーは少女に言う。
    2人は手を繋ぎ、時代の階段を一気に駆け上がる。同志だった2人はやがて恋に落ちる。その切ない思いが歌詞になり、多くのオーディエンスの共感を得て、少女は恋をする者たちの代弁者となった。

    浜崎あゆみというスターがどう誕生したか?
    「M-愛すべき人がいて-」は、生きることに不器用な少女が必死にもがいて夢を掴み、恋をして傷ついて、同世代のカリスマになるまでの独り言の記録なのだ。

    2人の恋は、あの時代に生きたみんなの恋だったのかもしれない。

    上記のコメントは、秋元康さんが、「M 愛すべき人がいて」を読み、755にアップしてくださいました。

    この一文を読んで、私は立ち竦み、震えました。なぜなら、私が執筆の間、追い掛けていた浜崎あゆみさんの姿が、そこに浮かび上がったからです。
    スターになることを望んだのではなく、スターを誕生させることを使命とした恋人のために、全身全霊で歌う浜崎あゆみさんを、私は愛し、抱きしめたくなるような表情と痛切な想いを、文字にしていきました。秋元さんは、その浜崎さんのすべてを受け止めてくださったのです。本当に嬉しいです。ありがとうございます。

    時代の寵児だった音楽プロデューサー 松浦勝人さんが世界に送り出した一人の少女の、時代を分けるような楽曲の根源は、唯一、プロデューサーである松浦さんへの愛情でした。

    私は、浜崎あゆみさんの胸で呟かれる独り言を綴りながら、何度も涙を流しました。浜崎あゆみさんが、生涯で一度だと思える恋が、間も無く終わることを知っていたからです。

    秋元さんが、文末に記した2行が胸を打ちます。
    「2人の恋は、あの時代に生きたみんなの恋だったのかもしれない。」

    私も、そして誰もが、大切な人と別れ、慟哭の日々を過ごしました。それでも生きていかなければならないと立ち上がり、大人になっていきました。

    「M 愛すべき人がいて」が、秋元さんの言葉通り、みんな恋の書になることを願ってやみません。
    そう思いながら、今朝も、浜崎あゆみさんの曲を聴いています。

    今朝早く、幻冬舎から連絡があり、「M」のテレビ朝日での連続ドラマ化が正式に決定しました。

    2020年4月から、土曜日の23時15分〜24時05分の枠で連続ドラマとして放映されるそうです。
    関係者の皆さん、ありがとうございます。

    ネット上では、小説の主人公である浜崎あゆみさん、松浦勝人さんを誰が演じるのか、様々な名前が囁かれていますね。
    特に浜崎あゆみさんを誰が演じるのか、ファンの方々が、その配役について語っています。
    一番、名前があがっているのは、沢尻エリカさん、でしょうか。

    キャスティングの最終決定までには、まだ時間がかかると思いますが、誰が浜崎あゆみさん、松浦勝人さんを演じるのか、原作者としてこれ以上の楽しみはありません。

    4月の連続ドラマ決定の報を受け、キャスティング発表の日を、今、心待ちにしています。

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