HiroHiro 自然派について
Hiroの備忘録
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- Hiro
Hiro 消費資本主義
近代の産業資本主義は必要に基づいているので、人は実体的に必要なものを追いかける。その動力が生きる力であり、資本主義の力であった。
それは生命としての存在に必要なものをいかに効率的に生産するかの時代。しかし産業資本主義が進むと必要が満たされ、消費が進まなくなる。経済が回らなくなり恐慌が起きる。消費を拡大するために植民地を作って経済を回そうとする。その結果として世界大戦が起きる。
そこで必要を満たすのではなく、欲望を満たすような社会に移行する。初めは必要とは遠い所にある欲望だが、それがコモンになると必要に思えてくる。欲望のコモディティ化。自動車やPC、スマートホンしかり。欲望は生理的な必要性ではなく、人との関わりの中で意味が与えられるもの。人のコミュニケーションに内在するもの。
そして人の欲望と想像力とコミュニケーションがある限り消費は止まない。それが消費資本主義。
消費資本主義において物事や人物は基本的に欲望の対象であり、それは記号的な存在性格を持つ。それは常に何か他ものもを指し示していて、実体的な意味合いを持つものではない。その記号をどのように繋ぐか、そして意味を持たせるかが大切になる。その記号の指示関係を追い求めるのに夢中になり、それが動力となって経済が循環する。
その記号に与える意味を見出せない場合、世界が無意味に思えて前に進む力が無くなってしまう、つまり鬱になってしまうのだろう。
現代において鬱や自殺が多いのは、社会の根本的なあり方が原因の一つ。 - Hiro
Hiro 【日常と非日常】
記号過程の二つの概念、記号表現(シニフィアン)と記号目標(シニフィエ)。
リンゴという文字からなるシニフィアンは、現物のしての赤いリンゴをシニフィエとして指示している。
必要の経済に置いてはリンゴを食べることでシニフィアンとシニフィエが完結する。
しかし欲望の経済になると、リンゴを食べることが生理的な満足以外の何かを求めてる事になる。リンゴを食べることがシニフィアンになる。その社会においてはリンゴを食べることの意味が最終的なシニフィエになる。
しかしリンゴを食べても、欲望は満たされずすぐに他の欲望に変わる。終わりのないシニフィエの連鎖。
流行りのお店に行ったり、ブランドに拘ったり、やたら旅行に行ったりと、非日常を大切にしてる人が多い気がする。
誰かが与えた価値に振り回されて、ラットレースを走ってる印象を受ける。
美味しい料理を出す店は人気が出るし、ブランドモノは確かに質が高いし、海外旅行は面白い。
でも、日常の素晴らしさを知っているのだろうか?
空の美しさや風の心地よさ、暖かいシャワーの気持ち良さやコーヒーの香り。生きてることの素晴らしさは、非日常だけでは全くない。
日常も非日常も等しく味わい、そんな人生を生きる素晴らしさを、学んでいく。 - Hiro
Hiro 【利潤の追求】
仕事は社会的な役割が第1にあり、それを追求・継続するために利潤の追求がある。ここでいう利潤はマネー。
新聞社の役割は正しい情報を伝えることや真剣な議論を起こすこと。記者の給料を支払って、新聞を刷って、会社を運営していく為の手段としての利潤の追求がある。
でも今の資本主義はそれが逆転している。利潤の追求が第1にあって、それを実現する為のビジネスモデルがある。
新聞社であれば、1番儲かる形で記事を書いて、組織を運営することが大切になる。
最終的にはその大元の資本家の利潤の追求の為に、社会全体が踊らされている構図になる。
でもそれは労働者にとっても同じ。所得を上げ、安定的なライフスタイルを維持する為に働き、自身にとって利潤が大きくなる形で仕事をしている。
世界全体が自らの利潤の追求で動いている無機質な社会。
貨幣はものを得る為の手段でしかないのに、その増殖が目的になっている。
必要が満たされた今、人は何を求めているのか?
欲を満たす快楽的な生き方か。
実際は、
住むところを確保して、食べ物を手に入れる為にまずは働く。家族がいれば、家族の分も働く。子供の養育費などの為、それが終われば自身の老後のために、お金を貯めておく。
ここまでは人間として必要な部類に入ると思われる。
少し贅沢な食事の為に、旅行のために、音楽や読書など文化を味わうために、好きな服を着るために、健康でいる為に、やりたい事をする為にお金を稼ぐ。これは必要ではないけど、人生の素晴らしさを味わうこと。
人は人生の必要を満たし、人生の素晴らしさを味わう為に利潤を追求する。
必要に関してはおおよその水準がある。ただ人生を味わうことには上限がない。
人生の素晴らしさを味わうことと欲望とは同じことなのか?
個々人で見るとまずは必要を満たすことが第1だが、社会全体で見るとモノは溢れている。
【考えがまとまらないので一旦中断】