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AKB本箱ヲじ

上の文章では間の説明を省いているので、あたかも山口さんを神格化して崇める原理主義者がイコール彼等が香港の民主派学生や某イスラム国の最高指導者に反対する進歩派学生である、と言っているようにみえる。勿論実際は全く反対のことを言っている。 山口さんが告発した事変に対して運営会社の上層部があまりにもお粗末かつ無責任な弥縫策(びほうさく)を弄してさらに事態を悪化させる一方であった。それがために被害者であり告発者である山口さんにシンパシーを抱き、支持をする、それが少なくとも正邪や正誤を判定する際に山口さんを正とし、運営会社上層部を悪とする根拠となった。そこまでは良い。しかし、それがどんどん自己肥大化してついには山口さんを絶対無謬(決して誤ることのない)の者と祀り上げる即ち神格化するに至ったのだ。さらにそこまではまだ我慢しよう。それが高じてついにその神を敬い支持することを積極的に表明しない者は全て神の敵と見做すに至ったのである。あたかもそれが唯一の絶対正義であるが如くに。故に私はこれをイスラム原理主義者に似た行為と呼んだ のだ。 そう言う彼等が好んで使う言葉が「本間はAKSの犬だ」「自分の利益しか考えない」などなどだ。そこで私は感じた。彼等はまるで山口真帆を反権力の象徴と考え、それを持ち上げる自分たちを中国共産党やイスラム最高指導者に反権力闘争をする学生闘志たちのように勘違いして酔いしれているようではないか、と。しかし実際は彼等こそが山口真帆正義という教条主義にのめり込んでしまった走狗でしかない、ということなのである。土台、人に対して「犬」と呼ぶ時にはそれだけの思想と覚悟を持ってしなければならない。かつて昔の学生たちはそれだけの覚悟を持ってその言葉を使っていたのだ。安易にマネゴトをしてはいけない。山口さんとて、当初は公的義憤から言挙げをしただろうことは理解できるが、さりとて彼女が個人的な利害を全く計算していない筈はない。 ということを簡単にはしよったのが上に引用した文章である。

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