yuri.のトーク
トーク情報- ゆり
ゆり 今年は映画をよく観ている。去年は007の新作と、Perfumeの世界ツアードキュメンタリー二本だけ。
今年は『キャロル』『シン・ゴジラ』『君の名は。』そして『怒り』。どれもそれぞれいま観る意味がある映画がだった。
でもわたしが映画に求めるのは、楽しさじゃない。心が揺さぶられること、魂が震えること、その映画の爪痕を心に残されること。面白いものは映画に限らずたくさんあるけれど、そういう心の奥底、人生までに関わってくるものはあまりない。だから『怒り』は観る意味がある映画だった。あとは『キャロル』もよかった。観た後は映画の世界からなかなか抜け出せずぼーっとしていた。「世界」にまるごと包まれるような感覚になれるのは、映画の醍醐味だなとも思った。こういう映画は何度も観たいと思う。 ゆり 見城徹見城徹 興味深々生さん。吉本は革命闘争に勝利出来るとは露ほども考えていないのです。絶望的な戦いであっても自分は逃げ出す訳には行かないと覚悟を決めているだけです。たとえ絶望的であっても戦い切るしかないと。それは吉本の内部の問題であり、人間としての矜持の問題です。
同時に、吉本が陥っていた人妻との道ならね恋の行方が吉本を苦しめていました。二重の過酷さの中で、吉本の目に映った「マタイによる福音書」はキリスト教の成立に至る致命的に暗い、負の捩れた感情に満ちていたのです。自己否定と暗闘する吉本が「マタイによる福音書」をバネに再生しようとした自分肯定の試み。人間の精神の営みの暗さが通り過ぎるマタイ伝に[関係の絶対性]を見い出した時、吉本の自己肯定の絶唱が読む者の胸に染み渡るのです。「マチウ書試論」が吉本の思想的出発点と言われる所以です。- ゆり
ゆり 見城さんが755を辞められるということが、ショックでなりません。
わたしは他の皆さんのように、常に見ていたわけでもないし、昔からやっていたわけでもない新参者です。でも、それでも見城さんの一言一言に、落ち込んでいたときには勝手に励まされ、鼓舞していただいていました。そして見城さんがおすすめしてくださる映画や本が気になって、見に行ったものや、見に行こうとしているものがありました。見に行った後には、人生の見え方が少し変わっていました。
真実の言葉を話し、その言葉どおり生きている人の、言葉をこんなに簡単に聴くことができるサービス、755は確かに奇跡です。それは見城さんが、自分の時間、つまり命を削って、返信サービスではなく、本気で向き合ってくださっていたからです。今までありがとうございました。わたしは足元にも及ばない者ですが、見城さんのように、真剣に自分の人生を生きようと思います。755に見城さんがまた戻られると信じながら、くじけたときには、『たった一人の熱狂』のページをめくります。暗闇の中でジャンプは怖いけれど、だからこそ人生には本当の喜びがあると信じます。