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[星と舵 石原慎太郎]
長い作品だった。読み進めるうちに、私も現実と並走するように、内側を航海しているような気持ちになった。読了までの二〜三週間、私は心の中で海に漂い、自問自答した。
これは感想ではなく、この物語を自分の中に落とし込み完結させるための投稿になります。
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物語の舞台は、太平洋横断のヨットレース。全長12m程のヨットに身を預け、ロサンゼルスの港を出発し、カタリナ島を越え、ゴールであるハワイへと向かう。
石原さんが31歳の頃。「コンテッサIII世号」で参加をされた、数々の書籍で語られている国際ヨットレースの経験がベースとなっている。
初版は1965年4月。なんと60年以上も前の作品だ。
序盤から衝撃的だったのは、ヨットを港に停泊させている時点から、石原さんは、女の肉体、肌の感触、汗や鼓動を、ヨットの機能美や操舵と重ねて描写されたこと。制御しにくいヨットと女が生々しく交錯する。自分自身のつたない経験や欲望も自ずと脳内に蘇った。
仲間たちとの、猥雑な、しかし情熱溢れるさまざまな雑談に時間を費やす様子が長く描かれる。
女との話を掘り下げる。不埒な逸脱もあり、同じ話の繰り返しもある。しかし、この長い凪の時間にこそ、経験や知識、常識を遥かに超えた、自分に実在をもたらす何かがあるのではないか。
命を共にする仲間たち。彼らのツッコミや笑いに導かれ、自らの負の要素を曝け出す。時に判断を保留し、受け入れる。
現実の生活にもあるこうした混濁の時間は、自分に個のアウトラインを確認される時間なのだとわかる。
私はこれを「忙しさ」というカードで避けてきた。それを思い、振り返りながら、洋上のタイムラインに潜り込む読書体験もまた楽しいものだった。
海は男のロマンと語られるが、石原さんの作品を読むと、その表現はあまりにも言葉足らずだとわかる。
海は、死と隣り合わせ。不可知に満ちた、この世の真理と接続しうる場所。
死地で一人前の男かどうかを問われる。風の使徒が現れ、風の罠があり、遭難者の死に際を想像せざるをえなくなる。
見上げる星は、もう何万年も前にこの世から消滅しているかもしれないのに、海に届くその光を頼りにヨットの舵を切る。この[星と舵]の戦慄を覚える関係性。
過去から来る光を頼りに、現実の舵を切る行為を想像し、私は途方に暮れる想いになった。自分が頼りにしているものはすでに過去の光という不確かな世界を私は生きている。
石原さんは他の書籍で、海に出ることを「一人勝手な自己陶酔」「不条理でない情熱などあるものか」という言葉で語られていた。
自己陶酔。果たしてそうなのだろうか。満天の夜空が広がり、そこに個が同化する、そんな錯覚に私は思いを馳せた。
ギリシャ神話の神々やオデュッセイアを思い浮かべ、膨大な知を欲し、極へ向かって舵を切るしかなくなってくる。
そして、終盤に向かって迫り来るこの作品の核心。
石原さんは女を、自己存在を支える支点として結晶化していく。美しい記憶が鮮明に再現され、言語化され、女をいわばタヒチの星のように確立していく。
この思いが、果たして陸にいる女に伝わるのか。女と心が重なることが可能なのか。
オアフ島が近づき、いよいよゴールが迫る。私の胸はこれでもかというほど高鳴った。この物語はどう帰還するのか。
石原さんの数々の小説の、突き落とされるような結末部分が頭によぎる。心は激しく動揺した。
私の事務所には帆船の模型が3つある。引越したり、新たな事業に取り組む度に買い足したもの。
もう置く場所も無いのだが、この作品を読み、次はヨットの模型が欲しくなってしまった。
この長編は、石原さんの小説[風についての記憶]の後書きに北方謙三さんがふれられていたから読んだもの。私の中ではこの2作が溶け合って、壮大な一つの物語になっている。
「アロハ、太平洋ーー。」
石原さんがあとがきの最後に残された言葉。
混濁の方向に舵を切る。
その中で立ち上がる女に触れようとして、自分の輪郭を知る。
その果てにある確かな何かを求めながら生きていくしかない。
この作品は、遠い星が放った光のように、私の中で残り続けていくと思う。
ありがとうございました。




