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ikutama

今、三島由紀夫の「葉隠入門」を読んでいる。「葉隠」をこの本で知ったので、三島の解釈が一般的なものなのか、私にはわからない。ただ、“生が保証される”と“生に飽きる”という人間の本質を据え、『毎日死を心に当てることは、毎日生を心に当てることと、いわば同じことだ』という思考に一つの説得力を感じる。 1970年の今日、民主主義の時代を生きた三島由紀夫は武士として死んだ。

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ikutamaのトーク
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  • ikutama
    ikutama

    無謀であっても仁義を通す。やるしかないから無理を通す。奇跡を丁寧に記憶し感謝する。
    組織の分岐点に気づき、敢えて戦う。どれだけ味方がいても、自分の戦い、自分の決断をする。
    挑戦者は、人の背中を追いかけるところから始まる。それが、いつの間にか人に流されている。楽な手段にすがる自分に気づかされる。

  • ikutama
    見城徹見城徹

    自分が相手の気持ちを考えるほど相手はこちらのことを考えていない。それを当たり前のことだと割り切らない限り、仕事や人間関係は辛くなる。
    相手に期待しないこと。しかし、相手には出来るだけのことをすること。
    時たま苦しく、切なくなるがそれを飲み込まなけば日々は成立しない。自分の未熟さを痛感する。同時に、企業を作り、存続させるのは孤独だなあ、とも痛感する。

    自分で汗をかきなさい。
    手柄は人に渡しなさい。
    そして、それを忘れなさい。
    ーー前半2行は竹下元首相。後半1行は氏家日本テレビ元会長

    タフでなければ生きていけない。
    優しくなければ生きていく資格がない。
    ーーレイモンド・チャンドラー

    僕はまだまだ未熟でおセンチで甘ちゃんだ。それでもここまでやって来た。辛く苦しい道を自ら選んで来た。損得計算はなかった。鮮やかな結果を出して、会社と社員を守りたかっただけだ。社員にはいい人生になって欲しい。

    人を怒るのは己の未熟。
    人を恨むのは己の未熟。
    人が理解してくれないのも己の未熟。
    全ては天が見ている。

    自分に言い聞かせる。

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  • ikutama
    ikutama

    依存せず、自立した関係を保つため、孤独を覚悟し、耐える。レイモンド・チャンドラーは米国の小説家。強さと優しさ、一方には偏れない。悔いのないように両極を往来する。調べると、チャンドラーはこの他に『私の自尊心は違う。それは他に何も持たない、男の自尊心』という言葉も残している。
    孤独と未熟。解決困難な2つの恐怖が今日もエネルギーをくれる。

  • ikutama
    見城徹見城徹

    イルカの[なごり雪]を聴いている。
    この歌詞のような青春が僕にも確かにあった。まだ親の脛を齧りながら、当て所のないセンチメントを生きていたあの日。彼女との日々だけが自分を支えていた。別れの日の予感に怯えながら抱き合っていた2人。人はいつまでも純情のままではいられない。薄汚れた[人生という戦場]に一歩を踏み出さなければならない。
    佐々部清監督[チルソクの夏]。毎年交互に開催される釜山と下関の高校親善陸上試合で始まった釜山の高跳び男子選手と下関の高跳び女子選手の恋。親善陸上競技は中断され、2人の恋は終わる。時を経て23年振りに下関を会場に再開された親善陸上競技大会。男は韓国で実業家として成功し、女は離婚を経てささやかに生きている。男は親善陸上競技大会の復活に金銭を提供し、女はスタッフとして参加する。高校時代の想い人からスタッフを介して女に手渡された一片の紙片。そこには再開場所が書かれていた。観客席の上の方にあるその場所に向かって歩く女。男は居た。円柱に持たれて待っていた。2人が23年振りに再会する直前でストップ・モーション。イルカの[なごり雪]がかかる。そして映画は終わる。
    こんなに感動的にイルカの[なごり雪]がかかったシーンを僕は知らない。号泣した。

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  • ikutama
    ikutama

    なごり雪:春が来ても消えずに残っている雪や、春に降る雪。
    『今、春が来て君はきれいになった。去年よりずっときれいになった』
    実らなかった恋。あんなに忘れる事に必至だったことが、いつの間にか忘れてはならない記憶になっている。思い通りにならなかった。全身全霊で苦しんだ。幸せを祈るしかできなかった。

  • ikutama
    ikutama

    見城さん、リトークありがとうございます。
    昔から知っていた『なごり雪』。見城さんの感動が連鎖して、歌と向き合った。“なごり雪”の意味を調べて更に歌詞の深さに気づくことができました。聞く人の辛い経験を美しい景色に変えてくれる歌ですね。

  • ikutama
    見城徹見城徹

    旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る

    芭蕉の最後の句になったこの句が頭にこびりついて目が覚めた。夢の中で枯野をかけめぐっていた。高校時代から何故かこの句を自分なりに映像化していて、何度か夢に出て来る。死の直前、走馬灯のように自分の人生の断片が頭の中でかけめぐる。そんなイメージだ。角川書店で17年、幻冬舎で26年。辛く苦しい道を喘ぎながらここまで来た。12月末で69歳になる。予想外の人生だった。今、こうしてここに在るのが信じられない。もう充分に生きた気がする。仕事と戦った。女性を愛した。友と過ごした。死の直前は荒涼たる枯野だろう。その荒涼たる枯野を僕の人生の一刻、一刻がかけめぐる。そうやって人生を終える。微笑して。

  • ikutama
    ikutama

    調べると、「枯野」は冬を表すとともに、春の訪れを予感させるもの。身体は病に伏しても、心はまだ見ぬ新たな枯野を駆け巡る。
    絶えず変化する景色から美と感動を見出す芭蕉。疲れなんて微塵もなく、無尽蔵の好奇心が身体を飛び出して、益々自由に景色を巡る様子が目に浮かぶ。
    辞世の句を求められ『平生即ち辞世なり(日々一句一句を辞世の思いで詠んでいる)』と答えたという。日々を丁寧に生きた芭蕉に真の強さをを感じる。

  • ikutama
    ikutama

    今、三島由紀夫の「葉隠入門」を読んでいる。「葉隠」をこの本で知ったので、三島の解釈が一般的なものなのか、私にはわからない。ただ、“生が保証される”と“生に飽きる”という人間の本質を据え、『毎日死を心に当てることは、毎日生を心に当てることと、いわば同じことだ』という思考に一つの説得力を感じる。
    1970年の今日、民主主義の時代を生きた三島由紀夫は武士として死んだ。