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にじいろのトーク
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  • にじいろ
    見城徹見城徹

    一流と三流を分けるものは何だろう?
    当たり前だけど、地位や名声や財産ではない。
    僕は他者への想像力だと思っている。一流はどんな小さな場面でも命懸けで他者への想像力を駆使している。その上で場面を張る。つまり繊細と豪胆をスウィングしている。その心のダイナミズムに人は魅せられる。三流はいい人だけど、悪魔の繊細さがない。小さいことに目が行かない。実は大事なものを悪意もなく見過ごしてしまうのだ。だから、何事も上手く行かない。一流であり続けるのは辛い。心が引きちぎられる。それでも僕は一流の人になりたいし、一流の人でいたい。一流とは生き方の問題なのだ。

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    見城徹見城徹

    毎日、2つ3つのことをクヨクヨと考える。落ち込む。自分を理解して欲しいという気持ちが強過ぎるのだ。つまり、自己愛。「小さなことにクヨクヨしろよ」とずっと言って来たが、自己愛から発するクヨクヨにはうんざりする。

  • にじいろ
    見城徹見城徹

    明け方、不安と共に目覚めて、眠れない。何が不安なのか?不安の根源ははっきりしない。とにかく不安なのだ。あれが上手く行っていない気がする?あの言葉が相手を傷付けたかも知れない?ああいう手を打ったが間違いではないのか?あれは早く撤退しておけば良かったか?これから会社の業績はどうなるのか?自分の気付かないところで沢山の悪意が進行している気がする?あの誤解は何故、生じたのだろう?自分は裏切られているのではないか?自分の想いは届いていないのではないか?生きるとは何だろう?様々な想いが黒い塊りになって内臓にズシンと来る。明日は破滅するような予感…。昨夜は楽しい会食だったのに、うなされるように目覚める。思えば幻冬舎を設立してから不安と恐怖と背中合わせに生きて来た。多分、それはこれからも続く。

  • にじいろ
    見城徹見城徹

    生きるということは、自分の醜い自意識と向き合い、他人の嫉妬という悪意を受け止めることだ。器量は大きく。懐は深く。義理と人情には厚く。全ては天が見ていると思うしかない。

  • にじいろ
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    この[編集者という病い]は精神の格闘家、激闘の記録である。
    解説は小説家の小池真理子さん。以下、解説より一部抜粋。

    「おかしな言い方かもしれないが、彼が死んだら、通夜に大勢の表現者が押しかけ、彼に関するエピソードを披露し続けて、涙と笑いのひとときは三日三晩かけても終わらないのではないか、と私はいつも思っている。彼のエゴイズムとナルシズムは強烈すぎて、周囲の人々の目を眩ませるに充分なのだが、目眩しにあった人々は皆、それぞれ、彼の心の奥深くに潜んでいる小さな、豆粒のような、本当の彼自身の姿をよく知っている。見抜いている。愛している。
    とどのつまり、彼は、「表現者」として表現者にかかわってきた希有な編集者、経営者であり、同時に、自ら「見城徹」という手に負えない男を抱え、その怪物的な自己愛に溺れながら、いつも大まじめに「見城徹」を演じてしまうという「病い」を抱えた、永遠の少年なのだ。」

  • にじいろ
    見城徹見城徹

    本日の静岡新聞夕刊の僕の連載コラム[窓辺]です。
    『755』(2019.2.4掲載)

    755というトーク・アプリがある。逮捕され、服役していた堀江貴文が出所して、親友のサイバーエージェント社長・藤田晋と作ったSNSだ。因みに、755は堀江の囚人番号である。2人に頼まれてスマホなど使ったことがなかった僕が、覚束ない手つきで始めてみた。
    2回の中断後、2016年2月10日から再開し丁度3年、ウォッチ数も600万近くになる。見知らぬ人たちからの質問に答えるのだが、その中に僕の熱狂的ファンだと言ってくれる「長太郎飯店」というユーザーに気づいた。トークに行くと美味しそうな中華料理の写真をたくさんアップしている。所在地が静岡市清水区だというのも心惹かれ、時間を捻出して高校の同級生を誘って行ってみた。水餃子、油淋鶏、里芋のスープ、ガーリック炒飯、茄子そば…。ごく普通の中華屋なのに出てくる1品1品がとんでもなく美味しい。今や豚まんは全国的に有名で韓国にも進出した。
    オーナー・シェフの石田雅也さんは物静かなナイス・ガイ。以後、755で僕を慕ってくれるユーザー達と何度も訪れている。
    755は不思議な仮想空間だ。見ず知らずの人たちとネット上で会話し、心が通い合えばリアルな世界でも親しくなって行く。長太郎飯店に出会わせてくれたのも755だ。朝のベッドの上。仕事から仕事へ向かう車の中。寝る前の書斎。かくして僕は、今日も無名だけれども懸命に生きている人たちに想いを馳せながら心を込めて文字を打ち込む。

  • にじいろ
    見城徹見城徹

    テレビ画像を撮影したものが755にアップされているようなので、覚悟を決めて、15秒スポットのオリジナル画像をアップします。7月17日から8月5日まで142本が静岡朝日テレビで流れています。
    製作費、媒体費他、全て自分で出しました。
    静岡朝日テレビを応援したかったのです。

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  • にじいろ
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    母校の創立50周年の記念誌に寄稿

    静岡県立清水南高等学校 創立50周年記念誌に寄せて~

    <かけがえのない今日>

    44年前、僕は四回生として、静岡県立清水南高等学校を卒業した。

    小学校・中学校と劣等生だった僕にとって、
    高校入学は今から考えても決定的に大きな人生の転機になった。
    東京での大学生活を通じても、高校時代ほど生命のエキスが凝縮された時間はなかった。

    海と山に囲まれて、日差しがさんさんと降り注ぐ、花と緑が目に染みる、
    青春ドラマの舞台になるような高校で、僕は全身をぶつけて、
    恋愛や友情、勉強やスポーツに向き合った。

    あれほど懸命に生きた記憶は、後にも先にもあの三年間だけである。
    あの三年が今の僕を形作り今の僕をあらしめていると、はっきりと断言できる。
    それほど僕にとって、濃密で一心不乱の季節だった。

    はじめて異性を愛しいと思い、一挙手一投足に振り回され、思い詰めた日々を過ごしたこともなかったし、
    ロックンロールに夢中になって
    ビートルズという一組のミュージシャンにあれほどの熱量でのめり込んだこともなかった。

    ラグビーに出会って、鈍い運動神経ながらも初めてスポーツを楽しいと思ったのも、高校の三年間だけだった。
    社会に出てからも、ラグビーのクラブチームをつくってトレーニングにも励んだけれども、高校時代のようなトライの快感は得られなかった。

    嫌だ嫌だと逃げたい心を押さえつけて一日3時間睡眠で受験勉強をしたのも、
    海辺で友人と日が暮れるまで議論したのも、
    本を片端から読んだのも、その三年間に限られている。

    一歩を踏み出すこと、目標に向かって努力すること、死ぬ気で何かに熱中すること、
    それらすべてを高校の三年間は僕に天の恵みのように教えてくれた。
    自分の信じた道を真っ当に努力さえすれば、時間がかかろうとも必ず少しは報われる、そのことに僕は高校に入って初めて気づいたのだった。

    何故それが高校時代だったのか、
    丁度、強烈な自我に目覚める年頃だったのか、よく解らないけれど、
    高校三年間で僕は、生きるという営みの歓喜と切なさを全身で受け止めたのだ。

    自分が信じたものに熱狂できる特権は若者特有のものだ。
    社会に出れば、様々な大人の事情が、それを許さない。

    小・中学生では子供過ぎるし、大学生では自由過ぎる。
    親のスネをかじりながら、受験という目の前に立ちはだかる乗り越えるべき大きな壁にぶつかりながら、自分が熱狂するものにもがき苦しみ、全力を尽くす。

    僕が清水南高で得たものは62歳の僕の人生を左右し、僕の人生を決定づけた。
    あの三年間がなかったら、今の僕はなかった。

    そのさ中にある者には、その貴重さは解らない。
    そのさ中をどう生きるのか。
    何とどう向き合うのか。

    君達は二度と戻らない、その貴重な季節のさ中にいる。
    何でもいい。何かに熱中しろ。何かと格闘しろ。もがき、苦しみ、悩み抜け。
    それが、どれだけ大切だったか、思い知る時がきっと来る。
    光陰矢の如し。今日と違う明日をつくれ。

    それには圧倒的努力が必要だ。10年なんてあっという間だ。
    昨日と同じ今日、今日と同じ明日。そんなものはつまらない。

    「君がなんとなく生きた今日は、
    昨日死んでいった人達が、どうしても生きたかった大切な明日だ。」
    アメリカ原住民に伝わる言葉である。

    人生の中で最も恵まれた季節を、なんとなく生きるな。
    失恋してもいい。失敗してもいい。
    勇気を出して、自分が夢中になれる何かに一歩を踏み出してくれ。
    どんなにボロボロになっても、それがあとで、かけがえのない一日になる。

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