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djyoshiro

・六然(りくぜん) 自處超然(じしょちょうぜん) 自ら處(しょ)すること超然 人間は自分の問題となると、物にとらわれて執着したり、拘泥するものである。 事に臨んで自分に関する問題から解脱し、抜け出せるように努めることだ。 處人藹然(しょじんあいぜん) 人に處すること藹然 人に対しては好意に満ち、温かい気分を持って對(たい)するのである。 藹は草木の青々とした雰囲気をあらわす文字である。 有事斬然(ゆうじざんぜん) 何か問題があるとき、うろうろしたり、うじうじせず、活気に満ちきびきびしていること。 無事澄然(ぶじちょうぜん) 何もない時は、氷のように澄み切っていること。 得意澹然(とくいたんぜん) 得意の時は威張ったり驕ったりし易いものであるが、人間はその時あっさりしていることが肝腎である。 まだまだ足りないという謙虚さを抱くことだ。 失意泰然(しついたいぜん) 失意のときは、ばたばたせずにゆったりと落ち着いていることである。 『安岡正篤活学語録カレンダー』 郷学研修所・安岡正篤記念館

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森本義朗の独り言。
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  • djyoshiro
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    この世界の醜さおよび卑しさを過度に強調することは罪である。この世界は醜いが、とても美しくもある。非人間的でもあるが、人間的でもある。
    カール・ポパー『フレームワークの神話』

  • djyoshiro
    djyoshiro

    モノサシの長さは誰が決めたのか、何を示しているのか、それを理解していない発言は空虚である。
    私は空虚な発言はしたくない。
    自分のモノサシをもう一度、見つめ直す。

  • djyoshiro
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    よく、私たちは、脳のほんのわずかしか使っていないなどと言われるが、実は、それは世界のありようを「ごく直感的にしか見ていない」ということと同義語だ。
    世界は私たちの気がつかない部分で、依然として驚きと美しさに満ちている。

  • djyoshiro
    djyoshiro

    なぜ皆が禁じられた本を読もうとするんか。

    知りたいからです。
    学びたいからです。
    変えたいからです。

    今までの学問じゃもう日本国は守れん!
    本当にこん国の事を思う者は知っとる。

    死に物狂いで学ばんにゃ、
    こん国は守れんと! #花燃ゆ #村塾

  • djyoshiro
    djyoshiro

    発見者と発見を見逃してしまった人との差は、準備された心の有無である。

  • djyoshiro
    djyoshiro

    ペンで描く直線は実は小さな丸の連続。
    PCで描く直線は実は小さなドット(四角)の連続。
    直線と判断しているのは人間の勝手な思考であり、目に見えるもの。

    また、、ペンで描く丸は実は液体であり、ドットは数列である。
    ミクロにしていけばいくらでも解釈でき、それはマクロにしても同じこと。

    これを階層的思考という。

  • djyoshiro
    djyoshiro

    何千億というと騒ぎ、1兆というと騒がずスルー。

    頭で大金と思う金額は万とか億とか兆よりもその前の数で多い少ないを判断。

    美談で終わらす戦略に涙し、その涙に満足。

    平等と公平を勘違い、縛られた時間で働き、契約しているところに貢献していると自分に言い聞かせ。

    これは今までの自分、今までの自分、今までの自分。

    武士道読んで自分の生き方をもう一度見直そう。