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セイイチ

昭和30年代に着工された羽田空港から都心を結ぶ首都高速道路の建設に関して、片側2車線を推す声が圧倒的だった中で、田中角栄だけは断固として片側4車線にすべきだと主張した 将来の車社会の到来を予見していた証拠だが、当時においては卓抜すぎて誰もついていけなかった感が

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