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だいき
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『女王陛下のお気に入り』 歴史の真の支配者は女に有り。 絢爛豪華な美術と衣装。 しかし、その水面下で行われるのは生身の女たちの戦い。 女王も女官もFワードを撒き散らし、殴り、嘔吐し、そして生々しい欲望の炎を燃やす。 数々の変態作品を生み出してきたあのヨルゴス・ランティモス監督が普通の宮廷モノを撮るわけがないと分かっていたが、やはり普通ではない期待通りの作品だった。 犬歯が生え変わるまで外出禁止というルールがある『籠の中の乙女』や、独身者は動物に変えられる『ロブスター』、家族から一人生贄を出さなければならない『聖なる鹿殺し』と一貫してヨルゴス・ランティモス作には登場人物を理不尽に縛りつけるルールが存在する。 本作は初めて監督以外が脚本を担当した作品ということもあり、過去作ほどルールは押し出されていない。 だが、後半になるにつれ、階級社会のルールに基づくゲームに囚われた登場人物を黒く笑う姿勢が浮き上がり、ランティモス節が炸裂する。 気品や高貴とのギャップに笑いつつ、人間の普遍的な情念を感じた。 気品と下品、喜劇と悲劇、愚かさと切実さ。 この絶妙なバランスに尽きる。 一歩間違うと風刺的な側面のみが目立つギャグ映画になってしまう所を、リッチな画面や強かな演技でしっかりドラマとして見せていく。 だからこそ、幻想が剥ぎ取られる衝撃、そして人間の悲哀を感じる。 「強かな女と愚かな男」という戯画化された構図を感じなくはないが、主眼はあくまで女性を人間として描くことであり、その面に関してはあまり気にならなかった。 寧ろ、「男も女も愚か」という視点が大前提にあり、今回は女性側にフォーカスしたという印象の方が強い。 三角関係を築く女性たちはそれぞれアンビバレンスを抱えている。 女王は愛を求めつつそれを弄ぶようなことをしてしまうし、二人の女官については片方は安全のため、片方は権力(信念)のために愛を利用する。 しかし、彼女らに愛する感情が無かった訳ではない。 そこに悲哀がある。 技巧面としては、広角レンズで不安な感覚を与えたり、鳥撃ちでパワーバランスを示したり、「あなたは安全を求める」や「アライグマ」など序盤の台詞が後に効いてきたりと、色々特筆すべきものがある。 だが、やはり前述したようなバランスが最も肝心だと思う。 女王に背を向けないように退室するというような史実上のディテールを大切にしつつ、「ダンス」や「狼」などあえて荒唐無稽なシーンも入れてくる。 これにより、時制感覚が曖昧になり普遍性が立ち現れてくる。 ラストシーンのオーバーラップは凄く印象的。 ある時は愛でられ、ある時は足蹴にされた愛の象徴。 失って始めて気付くアンビバレントな関係の愛しさと哀しさ。 愛の存在と不在とを本人たちは確かに自覚しているのだが、もはや誰も幸せになれない。 かなり苦い後味だが、アカデミー賞最多ノミネートも納得のクオリティーだった。 2019年劇場鑑賞8本目。

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映画評論中
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  • だいき
    だいき
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    『ホムンクルス』

    何を見させられてるんだ。

    本作は元々Netflix配信用に製作しており、先行上映として2週間の限定劇場公開を経て、4月20日の公開から僅か20日でNetflixに登場。
    Netflix絡みか配給会社の戦略だろうが、各種割引適用外の特別興行で一律1900円という強気な金額設定に一時は波紋を呼んだ。
    それだけ作品に自信があるということで、観客としてはお手並み拝見となり、ハードルが上がる。
    内容は記憶を無くしたホームレスが、第六感を覚醒させるための手術「トレパネーション」の実験台になることで開かれた世界によって、様々な「心の歪み」を持つ人物と接触し、自身の記憶を取り戻すと同時に、人間の正体に迫っていく物語。

    現代日本を題材にしているはずなのに全体的にアングラな雰囲気のある独特の世界観と、綾野剛の不思議な魅力、そしてこういう役をやらせたら昨今の役者の中では抜きん出る気がする成田凌の演技力のお陰で一気にクオリティが増している。
    最初のヤクザの話で「成程こういうことか」と理解させるまでは上手かった。
    しかし、女子高生編からテンポが早く、何が起きているのか、動機は何だったのか、背景が多く語られずやや置いてけぼりになってしまう。
    菜々子との過去もめ急展開に次ぐ急展開で、尺の都合だろうとは思いつつ、少し残念な印象。
    本来メインに据えられるべき伊藤のエピソードも弱く、オチも何となく意味深にしとけばいいだろうみたいな雑な扱いを受けていた。

    誰もが深層心理に抱えているトラウマ。
    そのトラウマが見えてしまうという、独特の世界が広がる本作だが、込められたテーマは誰もが必ず悩み、生きて行く中で切り離せない「人との距離感」「人とのコミュニケーション」の難しさ。
    ただ、トラウマやコミュニケーションに関しては、受け止め方が人それぞれで、本人からすると重要なことでも他人からすると「そんなことで悩んでいたの?」ということもある。
    敢えて説明的な台詞を使用せず、想像させる余白を作り、観客が色々な解釈ができる作品となっている。
    全く面白くないとは言えないが、1900円を出して観る価値があるかと言われれば、自信を持って頷けない内容だった。

    4/10点

    2021年公開映画1本目。

  • だいき
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    『新感染半島 ファイナル・ステージ』

    GO TO ゾンビ映画。

    2017年公開映画『新感染 ファイナル・エクスプレス』の続編。
    いきなり邦題の愚痴から入るが、英題は「Peninsula」(半島という意味)で、「新感染半島」と訳すのはまだ納得できる。「新」がつくのは前作は電車が舞台だったため「新幹線」とかけたダジャレで、それをそのまま引き継いでいる。
    ちなみに本作は電車が舞台では全くないため、何の意味もない継承。
    しかし、「ファイナル・ステージ」はなんなんだと。
    前作の「ファイナル」は理解できるが、本作はファイナルな要素ゼロ。
    そもそもこんなシリーズものに「ファイナル」を付けまくるセンスもどうなのか。

    一応続編ではあるが、キャラクターなどの引継ぎはなく、完全に独立した物語になっている。
    そのため、前作の予習は全く不要。
    前作は電車という閉鎖的な空間を最大限に活用したシチュエーション・スリラーだった。
    一方、本作は“ステージ”と銘打っている割にはステージ的なものはなく、非常にスケールの広い世界観。
    まず韓国の地へと辿り着いてからの『バイオハザード』感。
    確かに過酷で戦慄な世界だが、それなりに使える装備を持たせてくれる辺り、案外親切。
    前作みたいな身の回りにあるものでどうやって対抗するのかという創意工夫もなく、かなり勢い任せで、何故か知らないが主人公も異様に強い。

    続いて、ゾンビわんさか大群は『ワールド・ウォーZ』を彷彿とさせ、本作はそれに車で対抗するというまさかの『ワイルド・スピード』。
    この場面もツッコミどころ満載で、普通そんな車は丈夫ではないし、あんなにぶつかれば車はクラッシュするだろうが、この車はスーパーカー。
    その車を少女が運転するというジャンル的な遊び。
    ペダルに届くのか?とか気にせず、格好良ければそれで良しの世界。
    やはりこれからの時代に求められる車の機能は耐ゾンビ性能か。
    まだまだいくらでも続編は作れそうだが、このコロナ禍を経験した後のゾンビ映画はまた一味変わったものになるだう。

    5/10点

    2021年公開映画2本目。

  • だいき
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    『ヤクザと家族 The Family』

    まともに生きようとしても社会がそれを許さない。

    1999年、2005年、2019年という3つの時代を舞台に、社会の於けるヤクザの存在や、その衰退を描いた意欲作。
    ヤクザや前科者の人権をテーマに持ち込む視線は鋭いし、日本の映画界で貴重な存在と言えるだろう。
    20年という時間の経過を扱いながら、一部を除いて同じ俳優が演じているのも見所で、3つの時代を演じ切った主役ケン坊こと山本賢治役の綾野剛は、『日本で一番悪い奴ら』で見せた破天荒さを内包しながら、『天空の蜂』で見せた危なっかしさの両方を兼ね備えた魅力的なキャラクター。
    これが新たな代表作と言っても良いほど強烈な存在感を放っていた。

    栄枯盛衰。
    ヤクザが繁華街を牛耳っていた1990年代だったが、無惨にも時の流れと共にその勢いが削がれていく。
    今や、どの契約書を交わす際にも暴排条例というのがほぼ必ずと言っていいほど盛り込まれており、ヤクザら反社会的勢力を締め出す社会的な動きの一つである。
    2019年の本編では、ヤクザが威圧するだけでは簡単にコトが動かない世の中になっていた。
    もちろん我々の感覚でいえばヤクザを排除するのは当たり前だし、彼らがデカい顔して闊歩するのはいい迷惑。

    国は一つの社会として体を成しているように見えるが、そこにはたくさんの共同体やその人にとっての居場所、そして突き詰めていくと個人がある。
    ヤクザと無縁に生きている自分は無論、彼らの世界のことは深く知らない。
    深く知らないから一つの側面から見た情報でイメージづけられてしまう。
    これは戦争映画を観るときにも感じることだが、自分が生きてきた中でこれは絶対にダメだろうという事象が、異なる時代や境遇、組織の中では正しいものとされることもある。
    ヤクザは、良くも悪くも世界が狭く、世間知らずのような印象。
    でも、だからこそ家族のようなここまでの強固なつながりが他人同士でも築けられ、大事なものをみんなで大事にできるのだろう。
    様々な「生きること」について考えさせられ、それぞれの生き様に心揺さぶられ感動する傑作だった。

    8/10点

    2021年公開映画3本目。

  • だいき
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    『Swallow/スワロウ』

    観客は息を呑む。

    本作は食べ物ではないものを食べてしまう「異食症」という実在の病気が題材となっている。
    一般的には氷や土、体毛を食べることが多いらしいが、劇中の主人公ハンターのように食べられるサイズならビー玉や画鋲など何でも飲み込んでいくまでになってしまうこともあり、嚥下後に満足感が得られるという。
    主に子どもや若い女性に多くみられる症状で、特に妊娠時に確認されやすいそう。
    摂食障害だが、原因はよく分かっておらず、明確な治療法も無い。
    ただ、「飲み込む」ありきの衝撃映像系の映画ではなく、そこにはしっかり現代的なテーマも内包されていた。

    ハンターがハマった異物を「飲み込む&出す」という行動。
    強迫性を伴っているかもしれないが、女性の主体的な行動。
    自分で好きなものを飲み込んで、出して成果を得る。
    対する「妊娠&出産」は、こちらも飲み込まされて出すという行動に他ならない。
    しかし、何故か世間では前者は異常で、後者は異常ではないという扱いになる。
    それは理不尽ではないか。
    この社会に於ける女性たちは望まぬものを飲み込まされ、痛みと共に出すことを余儀なくされている。

    つい最近、ファミリーマートの惣菜シリーズ「お母さん食堂」の名前を変えるよう同社に訴える署名キャンペーンを女子高校生3人が立ち上げたことが話題になっている。
    賛同の声が集まる中、騒ぎ過ぎだという冷笑の嘲りの反応も残念ながら散見される。
    斬新なアプローチで女性の束縛と解放を描く海外映画が公開される傍ら、その映画館のすぐ傍にあるコンビニでは露骨な女性ステレオタイプが堂々と陣取っているこの歴然の差。
    日本は未だにおふくろの味とか言っている中、本作は女性が画鋲を飲み込んで排泄することで充実感を獲得している。
    そんなくそマズい味しかしない差別意識はバリバリに嚙み砕いてそのへんに吐き捨ててやりたい。

    7/10点

    2021年公開映画4本目。

  • だいき
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    『さんかく窓の外側は夜』

    さんかく顔の外面は良し。

    除霊師の冷川は霊が見える体質の青年三角を通すことでハッキリと霊が見え、その霊の記憶をも読むことができる。
    ブロマンス要素強めのオカルトミステリー漫画原作の実写。
    冷川に岡田将生、三角に志尊淳、裏で呪い師をしている謎の女子高生ヒウラエリカ役に平手友梨奈とひたすらに美男美女の集まりで、メインキャストの顔の良さで売っている感じもしなくはない。
    さらには、ワンシーンのみの役柄に北川景子をキャスティングするというあまりの勿体なさ。
    無駄に顔の良さ全開で攻めており、ビジュアルは良いが、後半になるにつれて肝心のビジュアルが落ちていく惜しい作品だった。

    SNSの発達により、リアルな友達とは違った繋がりを持つことが当たり前になった昨今。
    本作では、現代に潜む「言葉」が、どのようにして人を追い込んでしまっているのか、また「言葉」がやがて穢れを含んだ「言霊」として他者を傷つけ、知らず知らずのうちに「呪い」となり「死」に追いやっているのかにも言及している。
    劇中では人間は黒い服を着て歩き、幽霊は白い布を羽織って登場する。
    恐らく人間が着ている「黒」は穢れの象徴だろう。
    増幅してしまった穢れを浄化するには言霊として吐き出すことしかできず、我々はいつしかそうやって生きてきたのかもしれない。

    9巻まで出ている内容を102分に纏めているため、一話完結の除霊シーンはほぼカットされていたり、冷川が幼少期の記憶がない設定になっていたり、キャラの改変もバリバリにしており、ラストはオリジナル展開だったり、原作とはほぼ別物である。
    欠損描写含めて気合いが入っているのは分かるが、ホラーとして考えると怖くないし、終盤になると観客をビビらせる演出は皆無。
    あくまでも劇中で登場する「霊」や「呪い」といったオカルト的な要素を話の舞台装置やメタファーとして割り切って活用している。
    ところどころツッコミどころがあるし、後半は一気にチープ&間延びしている側面があり、顔の良さで全てを許容してくださいと言わんばかりの作品だった。

    4/10点

    2021年公開映画5本目。

  • だいき
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    『ラーヤと龍の王国』

    新時代のヒロイン誕生。

    ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ長編作品59作目。
    本作はディズニープリンセス作品であり、舞台はディズニープリンセス初となる東南アジア。
    古臭くなったクラシックなディズニープリンセスのイメージを転身することが今のディズニーの最大の使命の一つで、『プリンセスと魔法のキス』、『塔の上のラプンツェル』、『モアナと伝説の海』、『アナと雪の女王2』とその試みは着実に一歩一歩進んできた。
    本作ではもはや王子に恋するお姫様のステレオタイプは欠片も無く、『モアナと伝説の海』を継承するような「使命を背負った女性」が描かれる。

    それだけでなく今回はもう少し踏み込んでおり、まず恒例のミュージカル要素の排除。
    これはプリンセス系のアニメ映画では初の快挙。
    歌がないなんてディズニーらしさが無くなって寂しいという人もいるかもしれないが。
    さらに、プリンセス作品ではかつてないほどにアクション要素が強化された。
    従来の作品でも、太陽の力、水の力、氷の力と超越的な戦闘力を発揮してきたプリンセスばかりだったが、本作のラーヤは単純に物理の戦闘力に特化。
    宿敵となるファング国の首長の娘であるナマーリとは、キャプテン・アメリカ顔負けの激しい肉弾戦を展開。
    ラーヤのデザインもとてもワイルドかつクールに仕上がっている。

    その一方で、ちゃんとディズニーらしいコミカルな要素も用意されているのは流石。
    特にシスーという龍は、初登場時から一気に物語の空気を変え、場をグッと和ませてくれる。
    また、動物系のキャラのマスコットとしてはトゥクトゥクも愛嬌たっぷり。
    アルマジロみたいだが、東南アジアにアルマジロはいないため、ダンゴムシを可愛くデフォルメしたキャラだろう(ダンゴムシに乗っかるヒロインなんて前代未聞)。
    そしてノイ&オンギという赤ちゃん詐欺師と猿3匹。
    ディズニーは大人観客や批評家よりも子どものウケを第一に考え、スクリーニング・テストでも反応を見て、そのうえで作品を修正している。
    こういう子ども・ファーストなディズニーの姿勢は本当に大切で、ここは当初から変わっていない。
    現行の子ども向け作品としては十分すぎるクオリティであり、ディズニープリンセスのさらなる進化が楽しみになる一作だった。

    8/10点

    2021年公開映画6本目。

  • だいき
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    『ファーストラヴ』

    “諦め”からの“救済”。

    「動機はそちらで見つけてください」という挑発的な言葉が世間を騒がす女子大生の父親殺人事件に興味を抱いた公認心理師の真壁由紀は、彼女の弁護を担当する義弟の庵野迦葉と共に犯行の動機を探る為に面会を重ねるが、容疑者である環菜の供述は二転三転して振り回され続ける。
    主演の北川景子が演じた真壁由紀の心情は、子どもの頃の行き場のない怒りで苦しんだ経験のある人なら、共感できる部分も多いのではないか。
    同じように追い詰められた、芳根京子演じる聖山環菜の気持ちもある程度は推測できる。
    芳根京子の圧倒的な演技で魅せられたが、主演の北川景子も素晴らしかった。

    時代は常に子どもたちに犠牲を強いる。
    いじめの連鎖は断ち切らなければならない。
    いじめられた子どもが子どもをいじめる大人にならないために、公認心理師がいる。
    少なくとも真壁由紀はそう信じている。
    子どもに必要なのは物質的な豊かさではない。
    好きなだけおもちゃを買い与えても、好きな遊園地に何度連れて行っても、子どもは満たされない。
    満たされない子どもはいじめる子どもになる。
    まして下り坂の日本では物質的な不足が心理的な不満を増幅させる。

    タイトルの『ファーストラヴ』については、正直物語の展開を知らなければ「なぜ初恋なのか?」と疑問を持つのだが、これが実は見事。
    内容としてはサスペンスだが、間違いなく登場人物の初恋が物語に深く絡んでくる。
    本作の肝となる絵画はトラウマものだが、環菜にとってはそれが日常であり、当たり前なのだ。
    子供の頃、自分で意思の判断が難しい時はどうしても親が基準になる。
    自分の両親がルールであり世界の全て。
    だからこそ、大人になった環菜には“救い”となる未来が訪れてほしいし、信じられる友人や知人ができることを願うばかり。

    6/10点

    2021年公開映画7本目。

  • だいき
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    『あの頃。』

    今が一番楽しい。

    ハロプロファンの人、元ファンだった人、そしてファンではなかった人でも、本作で描かれた「あの頃。」があった。
    人生に迷子になって袋小路に入ってしまった時、元気の源になるアイドルと出会い、その思いを共にする仲間ができたら、それは掛け替えのないものになる。
    小学校から大学まで、学業には必ず「卒業」という儀式がある。
    社会人になれば仕事で手一杯になり、学生の時のようなくだらないことや馬鹿馬鹿しいこともできなくなる。
    気付けば学生時代を懐かしみ、歳をとったことを実感し、身も心も老け込んでしまうことだってある。

    青春とは学生時代に送った日々のことを指すのだろうか。
    青春は大人になるとできないことなのだろうか。
    そんなことはない。
    学生時代を終えても、同じ趣味や同じ興味を持つことで、いつだって「青春」を送ることはできる。
    かけがえのない存在と出会うことで、どんなに彼女ができなくても、どんなにお金が無くても、どんなに辛い出来事があっても、心はいつだって幸せになれる。
    「推し」が頑張っているから自分も頑張れるし、寝る時間を削っても、少ない生活費をあてても、「推し」のためなら声が枯れるまで誠心誠意応援できる。

    そして何より自分と同じ思いで応援している仲間がいるからこそ、過ごした時間は濃密なものになる。
    同じ町の中で同じ年齢の者たちと机の並べた学校生活とは違い、年齢も収入もバックグラウンドも性格も違う者たちが、ただただ「同じ趣味」という共通点だけで集う奇跡。
    こんな素晴らしい出会いはない。
    死を迎えるまで卒業のない「大人」の時間の中で、気が付くと「あの頃。」を卒業し、別の何かに入学し、青春を謳歌している。
    今言えることは、「あの頃」に負けないくらい楽しい。
    正に自分が過ごした青春時代を振り返らせてくれる作品だった。
    タイトルの「。」は「モーニング娘。」に肖ったのだろうか。

    6/10点

    2021年公開映画8本目。

  • だいき
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    『あの夏のルカ』

    ピクサーにも夏が来た。

    ピクサー・アニメーション作品24作目。
    北イタリアの情緒溢れる街並みを舞台に、2人の少年が友情を深めていくというこれ以上ないほどシンプルなストーリー。
    だが、そんな平凡な物語に少しのマジカル要素を加えて、子どもでも大人でも気楽に楽しめるファンタジーに変えている。
    本作の凄いところは、徹底してミニマムな世界観に抑えていること。
    恐らくピクサー史上でも最もスケールが小さいのではないか。
    街が崩壊する危機も、戦争の前触れもなく、他作品で見られるような大規模な展開は起きない。
    では何を描くのかと言えば、ひたすらに「交流」に専念する。

    本作はルカとアルベルトの2人の交流に始まり、それは海と陸の世界の交流へと拡張されていく。
    これほどまでにシンプルを極めるストーリー構成で勝負できるのはピクサーだからこそ。
    下手したら5分、10分の短編で終わってしまうような内容だが、これほどまでに心を鷲掴みにする巧みな技はもはや流石としか言いようがない。
    毎度のことながら映像的演出も見事。
    ピクサー前作『ソウルフル・ワールド』では徹底して人種をリアルに違和感なく描いていたが、本作は一転して漫画チック。
    そのおかげでシー・モンスターから人間への変化のシーンもそれほど不気味ではなく、万人に受けやすいものになっていた。
    だが、ちゃんと不気味要素として叔父のウーゴという深海在住のキャラを用意してくれているのも地味に嬉しい。

    ルカの成長を示す要素も巧みに組み立てられており、まずは「海を出る」ことから始まり、次に「歩く」、そして「自転車に乗る」ことに発展し、やがては「本当の姿を現す」という着地。
    その中で、ルカの相互理解の原動力になるのが「好奇心」だというのも良い。
    「学ぶ」ことへの純粋な憧れ、それはまさに対立を乗り越える最もポジティブな道具。
    受け入れる者もいれば受け入れない者もいる。
    しかし、学び、触れ合い、思い出を共有するのは楽しい。
    コロナ禍で忘れそうになっていたものを呼び戻してくれる作品。
    こんなに「夏」全開なピクサー映画は初めてで、夏の思い出という意味ではしっかり観客の記憶に刻まれただろう。

    8/10点

    劇場未公開。

  • だいき
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    『プラットフォーム』

    食うか、食われるか。

    主人公ゴレンが閉じ込められたのは何階層にも渡る高い塔の中。
    無機質なコンクリート部屋の真ん中には穴が空いており、上の階層から食事を載せたエレベーターが降りてくる。
    上層階の人間が優先的独占的に豪勢な料理にありつけ、下層に行けば行くほど食べ残しのおこぼれを頂戴する仕組み。
    しかし、最下層に至っては食べ残しにさえありつけず、生きるためにお互い殺し合い、相手の死肉を漁るか、絶望して自殺するかを余儀なくさせられる。
    まさに現代社会の縮図といえる設定。
    現代社会と唯一異なるのは、一ヶ月過ぎると階層の住人が入れ替わること。
    下層が上層にまたは上層が下層に、これが幾度となく繰り返される。

    ガルダー・ガステル=ウルティア監督は本作が初長編作品であり、この仕組み・発想は抜群に面白い。
    本来なら上層に移った者は下層にいた経験から下層のために食べ物を残してあげようと考える。
    そして、この考えが全ての階層の住人に行き渡れば誰一人飢えに苦しむことはなくなる。
    このシステムの開発者たちはそのような考えが現代でも浸透すれば格差社会の問題解決の糸口になるとでも思っているのだろうか。
    だが、現実はそんなに甘くはない。
    現実社会では格差は今や固定され、入れ替わりは疎かその格差は大きくなるばかり。
    シチュエーション・スリラーと呼ばれるジャンルの密室劇で、『CUBE』を連想させるが、本作は謎を解く要素は無く、寧ろ謎は謎のまま放置されて進んでいく。

    何故彼らはこんな塔の中にいるのか、指定された期間過ごすと「認定証」が貰えるようだがそれはなんなのか、「管理者」は何を目的にしてこの施設を運営しているのか。
    こういった疑問の全てに明確な答えは出ず、何となく想像できるくらいに留まっている。
    そもそも、降りてくるエレベーターをよく見ると、吊るしているリールなどがなく、反重力で浮いているオーバーテクノロジー溢れる代物であり、そこら辺は考えるだけ無駄かもしれない。
    何らかのSF的ディストピアだから仕方ないくらいの姿勢で挑み、不条理を飲み込むが吉。
    つまるところ、悪のバイキンマンをやっつけるだけでなく、それ以上に自らの体を切り分けて他者に施すという見事な自己犠牲の精神を持つアンパンマンは偉大ということである。

    6/10点

    2021年公開映画9本目。