ログイン
詳細
修治
投稿画像

トルストイやフォークナーを読むと、時々作品によっては〝この描写、必要?〟って自分には思えるシーンや登場人物が出てくる事があった。 学生の頃、トルストイの作品をまとめて読み耽っていた頃、トルストイにありがちな、唐突に小説の中に出てくるドアマン、ベルボーイ(みたいな存在)、馬車の御者、酒場の酔っ払いなど。 ちゃんとその人物の名前も出てきて、2ページ位は描写されるので「あ、物語の筋に関わってくる新しい人物か。」と思って、特に注意深く読み進めていると、一向にその後出て来ない.苦笑 結局、最後まで出て来ず、その場限りのキャラ。 もっとも重要な登場人物と絡ませる事によって、メインのキャラの性格・人となり、仕事や暮らしぶり、周囲からどう思われているか?や当時の社会背景なども読み手に分からせる為の手法なのかもしれないけれど。 でもトルストイの書き方だと、その後もストーリーに関わってきそうな描写に思えたんだよなぁ、それで昔は戸惑った。 トルストイの作品は、分厚い文庫本で上・中・下巻なんてのもあるので、もしかすると、後で登場させようと思っていたけど、そのまま登場させず仕舞になった人物の描写もあったのかな?なんて考えた事もあった。 こういうのがロシア文学の特徴なのか?と思ったら、ドストエフスキーやツルゲーネフ、チェーホフには、そういうのは無かった.笑 フォークナーだけど、アメリカ南部の自然や、田舎町の風景の描写がふんだんに、どの作品にも描かれている。 時々、名前も出て来ない花の香りなどがとても印象的に描かれている事がある。 そういうシーンを読むと、中上健次が作品群の中で〝夏芙蓉〟の花や香りの描写を、しつこいくらいに描いているのを思い出す。 開高健の文章を読むと、におい・香りが立ち上ってくる様な特徴があるけれど、中上健次も同様に感じる。 夏芙蓉の香り、茶がゆの香り、汗の香り、肉体労働の合間の川での水浴び、炎天下の下で飲むサイダーの味・・・読んでいてすごく印象づけられる描写が沢山ある。 フォークナーや中上健次に共通するのは、土地の老人達が登場してきて、その土地の風土を語らせるシーンかな・・・ 作者が作品を書く際に、土地の老人達に取材を行なって、深く掘り下げてその土地の事を、聞き込んでいたという事実があるからかもしれない。 フォークナーの自然の描写はちょっと重い。何か自然の中の綺麗な物を描こうとしているのじゃなくて、そこに住む人との関わり方を描写している気がする。 自分の印象だとスタインベックの描くアメリカの田舎の自然の描写が美しく感じる。 スタインベックの描くモノも、そこに住む人との関わり方を書いているのに、なぜこう雰囲気が違うのだろう。 フォークナーは風光明媚な自然の中に、酒の密造所として使われている廃屋などを登場させて、それに関わる人物を描写する。 スタインベックは同じく雄大なアメリカの田舎の自然の中で、馬車で行商してくる鋳物屋(鍋の修理なども行う)の男性に昂りをおぼえる人妻の心理を描写したりする。 まったく書く小説のテイストは違うけれど、二人ともアメリカ人作家の中でも、特に大好きな作家だ。

前へ次へ
修治のトーク
トーク情報
  • 修治
    修治
    投稿画像

    時に漫画の絵の中で語られるシーンや台詞というものは、文章以上に分かりやすく物事の本質を突いている。
    飲食店の...食べ物の値段というものには適正な価格というモノがある。
    例えば都心の一等地にある高級寿司店で出している本鮪も、自分の店で出している本鮪もモノは一緒である。つまり同じ魚体という事だ。
    そして調理する職人の技術も、自分の技術にも変わりはない。
    しかしお客が財布から支払う額は方や25000〜4、5万円。自分の店は一万円を切るか、高価な食材をふんだんに使った時ですら13000〜15000円以内。
    高い金払って、高級な店へ行く人は【ロケーションが・店の内装が・雰囲気が・職人の情熱が(?)】違うから、そういう場へ行くのだと言う。

    自分は二十代の頃に、都心の一番価格帯の高い店を数軒渡り歩いている。料理の鉄人に出た事のある寿司職人の下でも、働いた経験がある。
    だから知った風なことを言う素人(時に料理人の間で使われる、お客を指していう言葉)の、いい加減な言葉には誤魔化されない。
    ニューヨークと東京は、パリやロンドンなどよりも、ずっとレストランで出す料理の値付けが、価格設定が高い。
    〝料理人の情熱〟などというものは、お客に過剰にアピールする様なものではない。そんなモノは大衆居酒屋の料理人にも当然あるし、それがあるなら料理に込めてお客に出せば良い。
    そんなモノを表に出しすぎる料理人の作ったモノなど、自分なら胸焼けしそうで食えたものではない。

    水上勉は自分の書いた作品の中で、こう書いている。自分が書いた文を、亡くなった父親があの世で読んだならば『バカモノが。当たり前の事を書いて銭を得ておるか?』と言うであろう、と。
    プロならば、わきまえていなければならない事だ。
    自分に出来る事は人にも出来る。自分が考えている事ならば、他の人も同じ様に考える人が出てくる。

    そんな当たり前の事に気づかない人がいる。自分のやってきた・やっている仕事への真摯な、必死な取り組み方は、同じ様にやっている人が必ずいる。ひっそりと表には出さずに、顔色を変えずに。

  • 修治
    修治
    投稿画像

    一昨日は1号店の方に、東京在住のウクライナ人🇺🇦とベラルーシ人🇧🇾の2人組の友人が来てくれた。2人とも綺麗な娘だから、他のお客さんも眼福だった事だろうw
    他の客席が、ちょっとザワついていた😂

    和食が好きな娘達だから、自分が出した鶏団子入りの湯豆腐と寿司、銀鱈の西京焼きを喜んで食べていた。2人ともビールと白ワインをグラスに2杯ずつ、合計4杯飲んだ。女の子にしては酒が強いとも弱いとも言えない、まぁ普通って感じか。

    寿司🍣は箸🥢を使って、まぁまあ上手に食べていた。寿司は彼女達曰く〝とっても美味しい♪〟らしい。
    当たり前だが、ウクライナでもベラルーシでも生の魚は食べられないし、生で食べて美味しい魚も獲れない。
    だから地元にいる時は、生魚を食べるという行為は考えられないのだが、日本🇯🇵に来ると何の抵抗もなく、美味しいと言って寿司を食べる。
    寿司という食べ物は、外国人にすら〝生魚を食べている〟という事実を忘れさせてしまう程、美味しい食べ物の様だ。

    『東京での一人暮らしはどう?自炊はしてるんでしょ?гречка(蕎麦の実)でкаша作って食べてるの?』と聞いたら、2人とも食べてると言っていた。
    гречкаはロシア・ウクライナ・ベラルーシ・ジョージアなどで広く食べられている主食に近い物で、蕎麦の実のこと。食べる方法は主にкаша(粥)だ。自分もгречкаのкашаが好きだ。
    2人に『寿司は本来は手でつまんで食べるんだよ。箸を使っても良いけどね。次は寿司を食べる時に手で食べてごらん』と言っておいた。
    仕事場でもロシア語で会話する事が出来るから、ロシア語での会話スキルが落ちずに、ありがたい環境だと思った。

    昨日は休みだったので、ゆっくりと休養して、今朝の朝食兼昼食は焼いた鶏ムネ肉とシンプルなサラダのみ。筋肉のエサみたいな食事。
    あんまり太りたくはないからねぇ〜ここ2週間程、3つの仕事があまりに忙しくて、スポーツクラブに全く行けていなかったけど、昨夜にようやく行けた。
    なるべくトレーニングも頑張ろうと思う。

  • 修治
    修治
    投稿画像

    夕定食
    鶏と豚のつくねハンバーグ&サラダ・刺し盛り(インド鮪大トロ・赤身・縞鯵・鱸・鰤・鰹・玉子焼き)3種のキノコの炊き込みご飯・味噌汁

    3
  • 修治
    修治
    投稿画像

    アラン・ドロンに対する自分の正直な想いは、このコメントに書いている事に尽きる。
    自分の中では『ボルサリーノ』のシフレディより『太陽がいっぱい』のトムより『山猫』のタンクレディより『さらば友よ』のバランより...『若者のすべて』の中でロッコという優しい青年を演じた時のアラン・ドロンの、初々しさと誠実さの演技が忘れられない。

    3
  • 修治
    修治
    投稿画像

    ただいま日曜日の早朝4時14分で、スポーツクラブにて。
    しかしトレすると古傷やら直近の稽古での小さな怪我や炎症やら、あちこち痛いなぁ。
    トレ始めて血流良くなると、痛みは消えるけど。