佐藤 優 評
『読者という荒野』
見城 徹 著 (幻冬舎・1512円)
【ピカレスク小説の主人公のよう】
小説でもノンフィクションでも作家だけでは本を作ることはできない。第1読者であり、プロデューサーでもある編集者の存在が不可欠だ。ただし、編集者の世界には「黒衣に徹する」という美学があるので、その仕事の実態は外部からよく見えない。出版社にはそれぞれ個性がある。見城徹氏が社長をつとめる幻冬舎は優しさと乱暴さが複雑に絡み合った独特の個性を持つ出版社だ。本書は見城氏の自伝、編集という特殊な文化についての紹介、作家論が有機的に結合したユニークな作品だ。
見城氏は、慶應義塾大学法学部を卒業した後、廣済堂出版に入社する。入社後、初めて企画した『公文式算数の秘密』(1974年)は38万部のベストセラーになった。この成功体験が見城氏の編集哲学を形成した。
<今思えば、公文式にはベストセラーになる条件が揃っていた。/まず、オリジナリティーがあること。公文式は独自のノウハウで教師に教え方を指導していて、教材も自分たちで作っているのだから、オリジナリティーがある。オリジナリティーがあるということは、極端だ。そして極端なものは明解である。さらに数万人の会員を持っているという癒着もあった。/僕はいつも、「売れるコンテンツの条件は、オリジナリティーがあること、極端であること、癒着があること」と言っている>
と見城氏は指摘する。オリジナリティーと極端さは表裏一体の関係にある。明解さも、実用書を含むノンフィクションの場合は重要だ。しかし、見城氏が偉大なのは、それに加えて癒着をベストセラーの条件に加えていることだ。政治でも業界でも、徹底的に癒着することで自己の影響力を拡大するという見城氏のスタイルは、ピカレスク(悪漢)小説の主人公のようで面白い。
見城氏は、人たらしでもある。見城氏が角川書店に在籍したきに五木寛之氏にアプローチする。五木氏の作品が出るたびに、5日以内に感想を書いて五木氏に送る。5日という期限は、五木氏の「五」に因んで決めたという。25通の手紙を出した後、五木氏との面会が叶う。そして『燃える秋』(78年)という小説ができる。
<五木さんと二人でイラニアン航空に乗ってイランまで取材に行くこともできた。(中略)ペルシャ絨毯は一人の女の一生を吸い取って、美しく織り上がるのだ。これは感動的な小説になる。/ペルシャ絨毯に魅せられてイランへと旅立つ女。それを追いかけていく男。しかし情緒に流されず、女は自分の生き方を貫く。そんな頭でっかちの女がいてもいいじゃないか、義と信念に生きる女がいてもいいじゃないかという小説である。それが五木さんと僕の最初の仕事になった>。
『燃える秋』の主人公・桐生亜希は、「義と信念に生きる女」であるが、この小説は、亜希の目を通じて、イラン帝政の終焉とイスラム革命を予告する凄みのあるラブストーリーだ。著者と編集者が化学反応を起こさなくてはこういう作品は生まれない。
見城氏は、
<僕の持論に、「自己検証、自己嫌悪、自己否定の三つがなければ、人間は進歩しない」というのがある。この三つは「三種の神器」と言ってといい。人は表現するときに言葉を選び取る。この作業は苦しく、否応なしに自分を否定し、自分の未熟さを見つめ直すことを余儀なくされる>
と強調する。確かに作家にとって、言葉を選び取る作業は、孤独で苦しい。作家に伴走する編集者には作家とは別の辛さがあるのだと思う。自己検証、自己嫌悪、自己否定の先に悔い改めがある。見城氏の価値観は、意外とキリスト教に近いのかもしれない。
[毎日新聞 掲載]
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