#1584『渡邉美穂論 pretend to be fine, but...』
わがままと思いやり 胸の奥 綱引きしてる
そんな彼女の本音と、日向坂への想い。
渡邉美穂。日向坂46第2期生
2000年2月24日(22歳)埼玉県出身
7枚目シングル「僕なんか」の活動を以て
日向坂46を卒業。
2022年6月28日卒業セレモニーが開催。
明るく活発な女の子だった。好きな言葉は「全力疾走」。特技のバスケットボールは小学校から高校まで10年間やっていた。キャプテンを務めチームを埼玉県ベスト8まで導いた。
そんな彼女は幼少期より、密かに大好きだったアイドルになりたいと思っていた。だが親や友人など誰にも言えずにいた高3の夏、日向坂46の前身である「けやき坂46」の追加オーディション開催を耳にする。すると学校の三者面談の際、母親と担任の前で「芸能界を目指したい」と初めて口にした。突然の告白に母親は猛反対。だが夢を諦め切れない彼女は、オーディションと大学入試の準備を両立させる夏休みの計画書を作り1日12時間の勉強時間を約束し母親を説得した。そして2017年8月13日「けやき坂46の2期生」として加入する。
僅かひと月後、そんな彼女にチャンスとも呼べる試練が訪れる。2017年10月20日放送開始のけやき坂46主演ドラマ「Re:Mind」に2期生から出演者を選ぶオーディションが実施され彼女が選ばれた。勿論これがドラマ初出演、だが十分なリハーサルの時間は取れず。そして何よりこの現場が先輩である1期生メンバーと初対面。演出家からはダメ出しの繰り返し。この時記された彼女のメモ帳には「つらい」「逃げたい」「辞めたい」の文字が並んでいた。
傷付きやすい彼女を誰よりも心配していたのは母親であった。きっと芸能界に入ると辛い事が多い。出来るなら普通の道を歩んで欲しい。だから反対していた。そして彼女がけやき坂46に合格したあの日「お母さんは反対してた訳じゃないの。あなたの将来を心配してただけ。応援してるから」二人で寄り添い泣いた。そんな母の言葉を思い出す。その思いと共に彼女は芝居に取り組んだ。そしてクランクアップする頃には演じるやり甲斐を感じる様に。将来は女優さんになりたい、そう芽生え始めた。
2018年2月12日、幕張メッセで2期生初のイベント「ひらがな2期生おもてなし会」が開催。2019年1月17日、けやき坂46として初のソロ写真集となる「陽だまり」が発売された。その頃の2期生は小坂菜緒・渡邉美穂の2トップ体制だった。2020年1月16日、日向坂46総出演のドラマ「DASADA」でも2人がW主演を務めた。
だが、注目される度に目に飛び込んで来るSNSでの誹謗中傷が彼女を苦しめた。実際「日向坂46」に改名して以降、彼女の序列は下がっていった。
「どうしても人気だったり、ポジションだったりがある世界で、それはわかっていたけど耐えられない時もあったんです。当時は周りの意見を気にし過ぎる性格だったので。
今はどんなポジションになっても頑張って続けていれば何ヶ月後、何年後とかに絶対に結果に出てくると信じてやっています。
やらないで文句を言うより、とにかくやってみて、結果がついてこなくても糧になると信じる、無駄なことでも全力でやるようにしています」
彼女はその体育会系のキャラクターから堂々としてると誤解もされて来たが、本来は繊細で他人の事を優先する控え目な性格であった。
月日は流れ、
日向坂46念願の東京ドーム公演を終えた
2022年4月3日、渡邉美穂は卒業を発表。
メンバーには7枚目シングル選抜発表の場で初めて伝えた。「私の事で負担を掛けたくない」との理由で誰にも相談してなかった。
今の私は感情を遮断しないと
一個一個の事に全部泣いちゃうんです。
嬉しいだけでもないし、寂しいもあるし...
なんか不思議な気分です。
でも卒業セレモニーの日には
皆さんに「卒業おめでとう」と背中を押して頂けるように気持ちは整えておきます。
夢はいつでも ここじゃないどこかにあるよ
一緒にいたら きっと叶わない
「卒業のことは誰にも相談出来ず二年ぐらい前から考えていて。それでも決めた1番の理由は、女優さんへの道が全てを失ってでも進んでみたいと、ここ一年で思えるようになったから。
ただやっぱり何よりも思うのは、本当に私、このグループに居たから、日向坂だったから、頂けていたお仕事っていうのも沢山あって。
日向坂という場所が私に色んな物をもたらしてくれて、すごく感謝の気持ちでいっぱいです」
卒業を決意した、私が私であるために。
渡邉美穂はこれからも全力で走り続ける。
パステルブルーの空の下
彼女の道はきっと陽だまりに包まれて。
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