貴方も私も熱狂
トーク情報てぃーおー 削除されたユーザー削除されたユーザー 早朝、編集者の箕輪からラインが入る。
「理由は言えませんが、『人生の勝算』重版してください」、「悪いニュースではありません」と。
ちなみに箕輪はメディアでは露悪的に活動しているが、実は誰よりも仕事熱心で、早朝深夜土日も関係なく連絡が入る。こっちが聞いたことも同様に即リアクションがあって、彼とのコミュニュケーションに時差がまったくない。
スクランブル交差点、オザケン、六本木のABC。90年代のような毎日だ<コグマ部長の営業日誌、これも仕事ですから>コグマ部長 - 幻冬舎plus http://www.gentosha.jp/articles/-/10303てぃーおー 藪 医師(中山祐次郎)藪 医師(中山祐次郎) ⬆︎このお言葉を実践して、人とどれほど深く交わることができたかわかりません。
「感想」は一見して、とても簡単で誰にでもできる行動に見えます。
しかし、まず「感想を、作品や発言した張本人に伝える」ことをする人は100人に1人くらいしかいない。ここ755は特殊で、見城さんの影響で感想を言う文化があります。
しかし、普通に生活していると100人に1人くらいでしょう。
さらに、「発信者の胸を打つ感想」となると、感想を言った中のさらに100人に1人ほどしかいないのではないでしょうか。
ですから、「発信者の胸を打つ感想を、その張本人に伝える」ことをするは1万人に1人くらいしかいません。
だから、感想はキラーカードの1つになり得るのだと思います。しかも、誰にでも持ちうる、キラーカードです。
キラーカードの中では最も初歩でしょうが、これを25枚持ったら、とてつもないカードになるでしょう。
それをやったのが若き日の見城さん。
誰にでも出来そうだが、誰にも出来ないーーそれが、「感想」の持つ力です。てぃーおー 見城徹見城徹 静岡新聞夕刊、僕の連載コラム[窓辺]第12回『19のままさ』(2019.3.25掲載)
最終回である。「初恋」の結末を書かねばならない。
1年遅れて彼女も東京の大学に入学した。渋谷か新宿で待ち合わせ、映画を観、喫茶店で粘り、ささやかな食事をし、一緒にデモに参加した。アルバイトも常に一緒だった。
しかし、僕が出版社に就職してから周りの景色が変わって来た。彼女は卒業したら清水に帰らなければならない。僕は東京で編集者を生業とする決意が固まっていた。お互いの気持ちに齟齬が生まれ始めた。
そんな時、同期入社の女性と特別な関係になった。2人と同時進行はできない。僕は彼女に好きな女性が出来たことを正直に告白した。新宿駅ビルの2階の喫茶店に彼女は僕より遅れて入って来た。雨が降っていた。白のTシャツに薄緑のカーディガン。黄色のスカートと緑のレインコート。その時の彼女の服装を今でも僕ははっきりと覚えている。彼女は声を上げて泣き、僕は耐えられずに1人で先に店を出た。後で考えると人生で1番後悔する瞬間だった。若さとは愚かで残酷だ。僕は多分、生涯で最も純粋に愛した女性をその時に失った。
1988年8月20日、僕は浜名湖で行われた浜田省吾の屋外コンサート会場にいた。夕闇の中に彼女もいた。凍りついたように一瞬目が合い、彼女は闇に紛れた。その瞬間、浜田省吾が「19のままさ」を歌い始めた。
「いつまでも忘れない 今でも目をこうして閉じれば19のままさ
でも僕等 もう二度と あの日のきらめきこの腕に取り戻せない」
最後は清水で死にたいと思っている。初恋の浜のきらめきを僕は取り戻すことができるだろうか?