てっぺいてっぺい 2012年7月に今の妻と出会い、一目惚れをしてなんとか連絡先を教えてもらった。そして翌日に次の週末のデートを取り付けて、当日は夏バテ気味と聞いていたので向日葵を一輪お渡しした。その後何度かデートを重ねて2ヶ月後にお付き合いが開始した。しかし、9月から11月まで音信不通になり、私は連絡をひたすら待った。12月に突如連絡がきて付き合いが再開した。翌年の2月に結婚して現在11年目である。2人の子供を授かり9歳の男の子と4歳の女の子だ。
てっぺいのトーク
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- てっぺい
てっぺい 自己紹介です。
1980年生まれ北海道札幌市にて地場企業の営業職を勤めて21年。我社はあらゆる物、コトを扱える問屋である。世の中が求めるであろうことを想像と創造して北海道で展開する。そんな仕事に惚れこんで日々格闘している。
挑戦を実践すると抵抗や慎重論が必ず出るがそんな時に「正面突破」、「顰蹙は金を出してでも買え」を胸に刻んで孤独と戦うように生きている。
私の原点は学生時代のスポーツにある。高校時代に34年間連続北海道で優勝しているチームに入った。私が3年生の時にその連続優勝を途切れさせてしまった。そこから半年間死に物狂いで練習し優勝を奪回した。その挫折と成果への執念が体の芯に染み込まれている。 - てっぺい
てっぺい そんな人生の中で最初にトークした妻との出会い、今の生活がある。私の最優先事項は妻だ。1人の愛する人を最優先にするということはまさに孤独との戦いだ。2人の関係で自分の言動や行動に言い訳は出来ず、全て自己責任であり自業自得となる。決断出来るのも自分しかいない。自分が正解だと思ってもそうとは限らず、むしろ大失敗だったりする。相手の思考や心理がどのような状態か五感を集中させる。
そこに自分中心な考えは存在すらしない。その時は気付いていなくても少しでも自己的なニュアンスがあると反射的に見透かされる。そしてその結果に対し真摯に反省、理解できるまで繰り返し検証して次に活かす。
相手がどんなに自己的で理不尽であってもそれはすっぽりと飲み込む必要がある。ただ、それは同様に相手も感じていることであり、このように私が考えてること自体が自己中心的なんだと嫌悪感に苛まれながら生きている。 - てっぺい
てっぺい 今日は父親の一周忌法要を実家で執り行った。
小学3年生の長男は感受性豊かで父親が亡くなる寸前はずっと励ましながら声をかけ、亡くなった時に大声で泣いた。4歳の妹の面倒見も良く、妹の成長に一喜一憂している。
そんな長男と昨日久しぶりに夜遅くまで話しをした。
1ヶ月程前、毎朝学校に行っている同じマンションの友達に腹が立ってランドセルを壁に投げつけた事件が起きた。その時に何があったかを聞いたところ、相手は常に言葉でマウントをとり理不尽で腹がたったそうだ。その後は何事も無かったように毎日一緒に学校に行っていた。
そして昨日その後のことを聞くと、なんと2日前にその子を殴ったというのだ。
私はそれを聞いて頭ごなしに叱った。めちゃくちゃ叱った。
そうするとワンワン泣き崩れてこう言った。
「大人は言葉の暴力は置いておいて、殴ったことだけを叱る。僕だって殴ったのは悪いと思っている。ただ、小学校に入って3年間僕はずっと言葉の暴力に命を削られてきたんだ。」と。
友達ではあり、先方も悪気があるのかないのかわからないが、何度もやめてほしいと言って解決しようとしたが一向に改善されなかったようだ。
私が今出来ることは2つ。1つはひたすら深い深層心理まで話しを聴いてあげること。1つはやはり暴力は何があってもしてはいけない、場合によっては自分も相手も人生が終わるということを知ってもらうこと。
まずは明日、殴ったことを謝って解決に向かいたいということではあるが、言葉の凶器に苦悩する息子を感じとれなかった自分を親として恥じる。