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とざま

見城社長、 ご返信ありがとうございます。 私のような無名な人間が見城社長と会うためには、社長の心を動かす必要があると考え、何が見城社長の心に刺さる言葉であるのかを考えて書きました。そこには見城社長への想像力が絶対的に欠如していたことは言うまでもありません。私の不徳の致すところでございます。特に見城社長がほんの小さな約束ですら無下にはできない性格の方だと知っていたのであれば尚更です。 自分本位に気持ちをぶつける、衝突させることは相手の気持ちを考慮に入れていません。 出会って2秒で、好きです付き合ってくださいなんて言ってフラれるのに近いです。 それをしてしまった自分に今は嫌悪感を感じています。 「『本気の想いは相手に届くと信じる』のは精々中学生のホームルームくらい」 実に秀逸な例えで、胸が抉られるような思いがしました。確かに私の精神年齢は「中学生のホームルーム」のまま止まっているのかもしれません。 私は、高校生まで他人に望まれる自分というものを意識して生きてきました。親や教師は私の成績が上がれば喜ぶ、友達は私が楽しそうにしていたら喜ぶ、先輩後輩はおだてれば喜ぶ、そうやって私は高校まで相手が喜ぶ自分というものを演じて生きてきました。その意味では他者への想像力だけで生きてきたと言っても過言ではありません。実際にそこにおいては結果を残しました。 しかし、大学に進学してわかったことは、他者の目を通してしか生きてこなかった自分は、個性がなく、おもしろみに欠けた人間であるということでした。私の周りにいたおもしろい人達は、他者への想像力において私を上回ってはいませんでした。しかし、彼らは自分だけの個性を持ち、何より自分がおもしろいということを自分で知っていた。私は彼らのようにおもしろくなりたいと心から願い、一度想像力のスイッチをオフにしました。それから数年、私は個性を持つこと、おもしろみを持つことにある程度成功しました。 そして先日、自分の心が赴くまま、見城社長のトークにお邪魔し、想像力に欠けるとのご指摘を受けました。 その時、私の大学時代の後悔が走馬灯のように浮かんできました。 好きだった人にフラれたこと。自分の発言で関係が修復できなくなった人。時間をかけて取り組んできたプロジェクトの不発。本気で自分と向き合ってくれた人から逃げ出してしまったこと。 全てが頭に浮かんできました。そして気付いたのは、それらが他者への想像力に欠けていたことが原因で発生した事案であったということ。それがわかったとき、心が捻り上げられるような思いがしました。 同時に気付いたのは、おもしろさと想像力は排反ではないということ。他者への想像力を持ち、尚且つおもしろいというのは存在しうるということです。むしろ想像力から生まれるおもしろさもあるのだと今は思います。当たり前なことでしょうが、不器用な私にはそれを気付くのに時間を要しました。 このようなこと全てを気付かせていただけたのは、見城社長が本気で私にコメントをくださったからだと思います。おかげさまで私は新たな成長の糧を得ることができ、心から感謝しております。同時に私に費やさせてしまった見城社長の時間に思いを馳せ、申し訳なくも思います。 私の想像力は一度止まってしまい、それを「中学生のホームルーム」レベルとまで評されましたが、これからは人との関わりの中で、誰よりも想像力を持った私でいる、想像力を持った私だけのおもしろさを探していく所存です。そのための努力は惜しみません。 読み返すとひどく自己満足な文章で赤面いたしますが、最後までお読みくださり、感謝申し上げます。 次回からは想像力のある、見城社長にお時間を取らせない「やじコメ」をさせていただければと思います。

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