いしいのトーク
トーク情報いしい 見城徹見城徹 かつく見城さん、おはようございます。「たった一人の熱狂」読み終わりました。読みながら「憂鬱なネガティヴな気持ちをバネに圧倒的努力で成果を勝ち取る」見城さんの熱を感じました。現在、私は就職活動をしており昨日から面接が解禁されました。不安な気持ちに負けそうになっていました。しかし、不安を越えるために努力をしてきたし、正面突破でぶつかっていこうと覚悟を決めました。勇気をくださってありがとうございます。憂鬱でネガティヴな気持ちをバネにすると言うのはちょっと違います。難易度が高いもの、誰もが不可能だと感じるものを常に選んで仕事や今抱えている問題に取り組めば、憂鬱になります。むしろ、憂鬱にならなければ、自分は安易な道を歩いていると思った方がいい。
憂鬱だからこそやり切る価値がある。憂鬱だから結果が大きい。
憂鬱は鮮やかな結果を出すための必須条件である訳です。
憂鬱はアクティブの最大の友です。
憂鬱の方へ、憂鬱の方へ、自分を追い込んで、それを楽しむのです。
それが精神のダイナミズム、精神の弁証法です。
憂鬱や不安は最初から決まっている戦いです。だって、自分が選び取ったんだから。- いしい
いしい 私は今から2年前、見城さんの事を初めて知りました。きっかけはこの755の秋元康さんのトークでした。そこで初めて見た見城さんの言葉に、衝撃を感じたんだと思います。その後ほぼ毎日、見城さんのトークを拝見するようになりました。当時、私は大学2年で、在り来りな大学生活を送っていました。そんなある日、偶然にも同時に、秋元さんと見城さんのトークに出会いました。この755で。秋元さんの言葉に触れ、勇気や希望をもらいました。夢を持って努力を続ければ、いつか叶うんだと。その後直ぐに見城さんのトークで、人生そんな甘いもんじゃ無いんだ、それには圧倒的努力が必要なんだ、という現実を突きつけられました。一見、相反する意見の様に見えるお二人だけれど、どうしてこのお二人がこんなに仲が良いのかすごく疑問でした。しかし、その疑問は直ぐに解けました。秋元さんも圧倒的な努力をし続けている方だった、ということです。圧倒的な努力を積み重ねるお二人の発する言葉が見事に両極端に分かれてて、それが不思議で面白くて、お二人が書かれた本を読み始めました。それをきっかけに、私の本嫌いは嘘だったかのように、本を読むことが好きになりました。今では本屋に行き、面白そうな本を自分の興味の赴くままに手にとるあの感覚がたまらなく好きです。
これが、見城さんと秋元さんのトークに出会った当初の自分です。
その後、段々と見城さんのトークの内容についていけるようになりました。一番衝撃だったことは、「死」について常に意識しているという事でした。それまでの私は「死」について考えると怖くなり、極力考えないようにしてきました。つまり、その現実から目を背け続けていました。でも人はいつか死ぬんだよ、という極当たり前のことですが、誰も教えてはくれなかったこの現実を突きつけてくれたのは見城さんだけでした。そして、それから私は少しずつ「死」について考え始めるようになり、自分の「人生」について初めて向き合うようになりました。ここから、日々の過ごし方、自分の考え方が少しずつ変わっていきました。これが私の今までの人生の中で何より大きい変化だったと思います。
見城さんの生き方は、とても真似できるものではありません。ですが、その生き方を見て、学ぶことはたくさんあります。たとえば、返信するなら全員にしなければ気が済まない。小さな文章の打ち間違いの訂正。ジムで走りながらも、どうにか時間を捻出し、全てのやじコメに対するありったけの誠意を込めた返信。ときには厳しい言葉を返しても、素直に過ちを認める方達には、また来てくださいの言葉をかけること。SNSという完全な他者とのコミュニケーションにも関わらず、一人一人に真剣に向き合っていること。リトークした方のトーク一つ一つに足を運んでいること。言葉以外の部分でも、この755を通してでさえ、これだけ学ぶことができます。
圧倒的努力、暗闇の中でジャンプ、他者への想像力、小さなことにくよくよしろよ、自己検証。どれも全く実行出来ていない自分が情けないですが、どの言葉も私の人生に於いて重要な軸となりました。
これだけ人生について学べたことは、本当に見城さんのお陰です。
まだまだ未熟すぎではありますが、一歩一歩精進していくことを改めてここに決意します。
本当にありがとうございました。そして、本当にお疲れ様でした。 いしい マルチェロマルチェロ 「翼はいらない」AKB48
「翼はいらない」が2016年に最大枚数を売り上げたことをファンが嘲笑するようなネット記事を読んだ。
これについて私は否定しない。もしかしたら楽曲への期待が裏返ってこんな発信になるのかも知れない。好みだってあるだろう。
これは私がもしこの会話の場に居合わせたらこんな話をするだろうというものである。
「もし翼があったら、、、」これはおそらくは太古から人間が抱いた空想や夢である。古代芸術にもしばしば鳥は描かれる。これは空を美しく飛翔する姿と、何より自分より天に近い場所に行ける鳥への羨望や憧れがあるからだ。
この羨望を強く抱いたライト兄弟や、それを受け継いだ同士たちにより人間は航空という技術を手に入れた。そういう意味では文化・技術の発展はこの''○○が出来たら、○○があったら”という欲求が生み出したとも言える。
考えると私たち、いつも何かを欲しがっている。休みがあったら、お金があったら、もっと才能があったら、、、という具合に。こんなに何不自由なく暮らせる社会に生きていながらこの通りだ。欲求や羨望は尽きない。
この曲の大サビはちょっぴり皮肉にも思える。空を飛ぶ鳥が私たちを見て思う「翼がないって 素晴らしい」と。
一日中羽根を動かす事もないし、のんびり寝っ転がることも出来て、自由に踊ることだって出来る、そんな感じだろうか。鳥も欲しがりなのだ。
この皮肉、優しく温かい皮肉であるが、これが何を語るかと考えると、”ないってことに良さもあるよ”という事だ。例えばいつも車で通う通勤路を散歩した時に見つけた素敵な景色や、道ばたのベンチでひと息つく心地良さ、そんなささやかなもの。
だから翼なんかなくったって幸せは足元に転がってるよ、そういうメッセージの曲だと私は思ってる。”無い無い言ってるより、今自分の目の前にある大切なもの見つけようよ”そんな気持ちが湧いて来る。
曲の構造もちょっとリンクするのが面白い。
この曲はサビがないような構造だ。Aメロがあって、Bメロがあって、Aメロに返ってワンコーラス。とってもシンプルな構造。
派手さもない。特にビートがリズミックなわけでもないし、ギラッとしたサウンドの装飾もない。そう、一聴すると何の変哲もない曲なのだ。そしてそれは私たち自身と同じ、夢もない、才能もない私たちと。
でも目をつぶって聴いてみると聞こえてくる。”大切なものがあるんだよ”って聴こえてくる。メロディが心の琴線に触れるのだ。もちろん言葉がメロディと重なってメッセージになってるのだと思う。気が付けば”ないもの”から”そこにあるもの”へ気持ちが移って行く。
こんな具合に、サビもない、派手さもないとても素朴な楽曲だけど、凄く大切な気持ちを伝えてくれるのが「翼はいらない」という曲だと私は思う。大切なものがたしかにそこにあるのだ。
もしこの曲の話になったら、こんな事言ってた奴がいたよって伝えて欲しいのである。