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岩崎淳一のトーク
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    見城徹見城徹

    ↑ 2012年秋から冬。僕にとってこんなに政治にコミットした経験は後にも先にも無い。安倍晋三をもう一度自民党総裁→日本国総理に出来なければ日本は救われない、そう思い決めて戦略を練り、実行した。テレビの中継で安倍晋三が自民党総裁になった瞬間、号泣し、滂沱たる涙が流れた。不可能を可能にする戦いだった。翌朝、安倍晋三さんに呼ばれて自民党総裁室に行った。部屋には菅義偉さんも一緒にいた。安倍晋三さんと抱擁した。3ヶ月後、安倍晋三は総理大臣に返り咲いた。2022年、日本は石原慎太郎と安倍晋三を失った。

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    見城徹見城徹

    木原誠ニ官房副長官ほど人を舐め、国民を舐めている政治家はいない。人として終わっている。僕が会った政治家の中では最も政治家になってはいけない一人である。こんな人を中枢に置いている岸田政権はどんなに岸田総理が頑張ったとしても根本的腐っている。木原誠ニの言動がいかにデタラメかはいずれ明らかになるだろう。去年の12月週刊新潮が木原誠ニの銀座の女性との隠し子をスクープしていたが、それ以上に女、金、癒着などなど、僕に入って来ている情報はいくらでもある。

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    見城徹見城徹

    「岸田総理は自分な意のままだ」と言いまくっているのが僕の耳にも入って来る。傲慢過ぎやしないか?

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    見城徹見城徹

    総理時代の安倍晋三氏や菅義偉氏と食事していて不愉快になったことは一度もない。ある方の紹介で木原誠ニ氏と初めて会った時、本当に不愉快な気持ちになった。「礼儀」とか「仁義」や「筋」というものが全くない人で、その上、傲慢だった。行くんじゃなかったと激しく後悔し、自己嫌悪に陥った。
    その時の彼の行状には呆気に取られた。その後、色んな話が入って来るが、僕は人として終わっていると思う。やがて、書く時もあるだろう。

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    見城徹見城徹

    ガーシーという人が自民党の木原誠ニ官房副長官に対して言っていたまとめを初めて見た。本当にガーシーという人が言っている通りだ。こんな人が政権の中枢に居るなら、もう日本は終わる。
    若い女性と金と権力にしか興味のない上昇志向だけの人物だと僕は思う。
    コロナの猖獗、ロシアのウクライナ侵攻、円安と物価上昇、統一協会問題ーー。
    岸田政権が直面する問題は山積している。
    木原誠ニ氏が官房副長官をやっている岸田政権を僕は支持出来ない。

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    僕は自分の名刺は自分の命が入っていると思っている。目の前で破られたら辛いだろうなあ。
    日本を代表する企業の社長から木原誠ニさんを紹介されて8ヶ月以上が過ぎた。名刺を送っていただけないかと紹介してくれた社長に直ぐにお願いしたのだが、名刺はまだ届かない。社長は確かに木原さんに伝えたと言う。僕は木原誠ニ先生にまともな人間扱いされていないと思うしかない。少なくとも対等ではないのだ。木原誠ニ先生に渡した僕の名刺を返して欲しいとさえ思っている。いや、あの場で泥酔していたようだから、既に紛失しているか、破られたり、捨てられたりしている可能性が強い。人を人だと思わない政治家。人の痛みなど感じない政治家。そういう政治家を許してはならない。

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    見城徹見城徹

    政治とは夢や希望や理想を語るホームルームではない。「全国民の生活と安全の保証」という怪物と激闘する「リアリズム」という名の苛酷なリングなのだ。

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    2022年11月29日、イタリアンの[ドンチッチョ]にて。この夜が2人にとって最後の晩餐になった。

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    ↑ 2012年秋から冬。僕にとってこんなに政治にコミットした経験は後にも先にも無い。安倍晋三をもう一度自民党総裁→日本国総理に出来なければ日本は救われない、そう思い決めて戦略を練り、実行した。テレビの中継で安倍晋三が自民党総裁になった瞬間、号泣し、滂沱たる涙が流れた。不可能を可能にする戦いだった。翌朝、安倍晋三さんに呼ばれて自民党総裁室に行った。部屋には菅義偉さんも一緒にいた。安倍晋三さんと抱擁した。3ヶ月後、安倍晋三は総理大臣に返り咲いた。2022年、日本は石原慎太郎と安倍晋三を失った。

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    見城徹見城徹


    結 党 宣 言

    日本ほど素晴らしい国はないと私は断言します。

    神話とともに成立し、以来およそ二千年、万世一系の天皇を中心に、一つの国として続いた例は世界のどこにもありません。これ自体が奇跡といえるでしょう。

    日本列島は豊かな自然に恵まれていますが、反面、世界有数の地震国であり、台風や河川の氾濫、豪雪など、つねに厳しい災害に見舞われてきました。そのなかで日本人は互いに助け合う知恵を育み、和して穏やかに暮らしてきました。

    古代の漢籍に「日本人は盗みをしない。争いは少ない」と記されています。幕末から明治にかけて日本を訪れた欧米人らも一様に、日本人の誠実、勤勉、善良さを特筆しています。

    同時に私たちの先人は、痛手を受けても立ち直る逞しさをも培いました。

    国難のとき、先人は勇敢に戦って国を守ってきました。刀伊の入寇、元寇、幕末も然りです。一九世紀半ばには、列強によって鎖国の扉をこじ開けられ、欧米の植民地争奪戦のジャングルに引きずり出されはしたものの、有色人種のなかで唯一、日本だけが独立を守ったばかりか、瞬く間に列強と肩を並べる強国となりました。

    ところが、第二次世界大戦により、日本は木っ端微塵となりました。三百万余の尊い命が失われ、世界最貧国の一つにまで落ちぶれました。しかしそこから世界が驚倒するほどの復興を見せたのです。世界第二の経済大国へと成長し、戦後の日本は世界の平和に貢献し、多くの途上国を援助してきました。

    これが、私たちの国、日本です。

    その日本の海が、山野が、いま脅かされようとしています。

    他国に攫われた同胞は、何十年も祖国の地を踏むことができません。野放図な移民政策やLGBT理解増進法にみられる祖国への無理解によって、日本の文化や国柄、ナショナル・アイデンティティが内側から壊されかかっています。

    これらを座視していてはなりません。

    断固として日本を守る――。そのための新たな政治勢力が必要です。

    三十年間、国民の賃金は上がらないまま負担だけが増え、若い人たちが将来に希望を見い出せないでいます。早急に経済を確かな成長軌道に載せていく必要があります。

    結成したばかりの私たちの党は、巨象のような与党の前では「蟷螂の斧」のごとき小さな存在でしかありません。しかし、「日本を守る」という堅い意志を持つ国民が一人、また一人と集えば、必ずや大きな力になると信じています。

    私の残りの人生を、この党ともに歩むことをお誓いします。

    「日本を豊かに、強く」。皆さん、これを合言葉に、ともに歩んでいきましょう。

    令和五年十月吉日

    百田 尚樹

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