ゆーいちろーのトーク
トーク情報ゆーいちろー マルチェロマルチェロ この一節を語ろう 番外編
黒い花びら 静かに散った
あの人は帰らぬ 遠い夢
「黒い花びら」水原弘
作詞:永六輔
第一回レコード大賞受賞曲である。
恋する女性が亡くなったという解釈もあるが、私の解釈としては、生命を燃やすような恋が終わったその時に、真紅の薔薇のように咲き誇った恋の花は色を失い、漆黒に枯れ果てた花びらは散り、無惨に朽ち果てて行く様を描いていると受け止めている。
この曲は作曲が中村八大、作詞が永六輔という、後になって「上を向いて歩こう」を世に送りだした名コンビが、初めて出会ったその日に生み出した楽曲である。そのエピソードに触れてみよう。
中村は当時ジャズの界隈では名の知れたピアニストだったが、ジャズの人気失墜とともに演奏家として腕を振る場が無くなっていく。そんな中でも芸術に対する情熱収まらない中村は創作活動を続けるが、世間への評価はおろか中村は自らの創作自体に苦しみ、ついには薬物にも手を染めてしまう。まさにボロボロの状態であった。
しかし中村はそんな状態の中で、「音楽は観客と乖離するべきでない」とかつてエンターテイメントを観て悟りながらも、自らそれに反する姿勢にあった事に気付き、当時流行していたロカビリーやそれに熱狂する一般大衆へと寄り添って行く。
そんなある日、大きな仕事が舞い込む。とある映画の音楽を引き受けないかという話だ。
喜ぶ中村であったが、依頼元の東宝から叩きつけられたオーディションは過酷なものだった。「明日までに10曲持って来い」というものだ。
作曲はともかく作詞をしたことのない中村は困惑した。ところが困惑する中村の前に救いの神が現れる。放送作家の永六輔にばったり出会った。
今や作詞でも名が知れた永であるが、実は作詞の経験が無かった。しかし困り果てる中村の頼みに永は首を縦に振る。さらに永は譜面を起こす人間を即日3人手配して2人は制作に没頭、中村はわずか1日にして作詞・作曲・編曲・作譜を10曲という強引極まるオーディションを通過したのである。そしてその10曲の中に「黒い花びら」があった。
歌謡曲において新進気鋭の中村、作詞初挑戦の永、さらにこの曲を歌うのはキャバレー上がりの水原弘と、日本音楽界で名の知れないもの達のみで作られたこの曲がなぜ日本レコード大賞という賞を得たのか。そこにはこの賞を作った者の想いがある。今度は日本レコード大賞の創設にまつわるエピソードを書いていこう。
当時の音楽界はレコード産業とコンサートなどのライブ音楽が乖離した状態、年輩の方々がレコードで歌謡曲を聴き、若い層がコンサートでロカビリーや新しい音楽を聴く、そんな状況であった。
レコード産業は悪く言えば癒着体質、レコード会社がお抱えの作詞家・作曲家に注文を出す。コンペ全盛の今とは真逆の状況だ。
そんな状況であるから、レコードを通じて若い人たちが音楽に沸く、レコードを通じて新しい音楽を発信するということは無かったのである。
そんな状況に疑問を投げかけ、若い世代、次の世代へ新しい音楽を届けよう、新しい日本の歌を生み出して行こうと、そんな想いで立ち上がったのが日本レコード大賞である。
中心になったのは古賀政男、服部良一であったが、2人に立ち塞がったのは音楽界の古い体質であった。ビクター以外のレコード会社には協賛を断わられたという。テレビ界からもなかなか協力が得られず、唯一協力を申し出たのが今も放送を続ける現TBSであったそうだ。
資金が集まらず開催すら危ぶまれた第一回日本レコード大賞であったが、2人の開催への想いは勝り、最終的には古賀が私財まで投入、ようやく幕が上がる。
審査の中では、ロカビリーというジャンルである事などが引っかかったようであるが、新しい日本の歌を目指すという考えにおいてはまったくの不問であるという考えに至ったようだ。
かくして”新人歌手はA面で歌えない”そんな時代に、若い新進気鋭の者たちの作った音楽が大賞という賞を得たのである。
70年代の時点で創設者の一人 古賀政男は懸念していたという。大賞をめぐる加熱する競争と、賞の選考への疑問について。そして今日もレコード大賞と言えば何かと影が付き纏う。毎年のように黒い噂が絶えない。やはりこの賞は何かを失いつつあると感じる。
日本の音楽の未来を見据えて作られたこの賞は、かつての色鮮やかな輝きを取り戻すことは出来るのだろうか。それとも黒い花びらとなって散って行くのか。そんな瀬戸際にも思う。
しかしながら、「黒い花びら」とこの賞の創設をめぐるエピソードを知ると、新しい音楽や若いアーティストが躍動しそして台頭する、そんな胸を熱くする賞としていつまでも輝いて欲しいと願うのである。- ゆーいちろー
ゆーいちろー 今回のリクアワを振り返って。
今回のリクアワは、空前のNGT祭になりました。
まぁ、こういう出来事は賛否両論出てきますが、私は概ね賛成です。というより、してやられた、と言った方が正しいかもしれない。
まず思ったのは、NGT祭を起こした人達は、多分、票読みが出来ていたんじゃないかという事。そうでなければ、ここまで曲を分散させる事は出来なかったと思う。
それと、これだけ曲がかかると、ほとんどのメンバーが何かしらの曲を歌っていたんじゃないかという事。当然の事ながら、ステージに立つメンバー達は、爽やかに輝いていた。
あと、今回、チーム8推しの人達は、手持ちの全票を「47の素敵な街へ」に入れたと思われるが、また2位という結果に終わった。チーム8のメンバーは、まぁ2位だったんだから、よしとすべしと考えていたと思う。ファンの一部はそれでも不満だったようだが……。 - ゆーいちろー
ゆーいちろー https://www.oricon.co.jp/special/51323/
みなるんのお話。
ここ最近の珠理奈騒動の、一つの答えがこの中に書かれているように思いました。
みなるんらしい、客観的な視点で、頷けるところが多いです。