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クラウス(なおみん)のトーク
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  • クラウス(なおみん)
    「誰かのためにプロジェクト」応援!(仮)「誰かのためにプロジェクト」応援!(仮)
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    しのちゃんとジオラマの話 ①
    「エピソードのはじめに」

    ♪〜それはとてもお人好しなツバメのものがたり〜♪

    秋物語と言う歌だ。

    ある秋が終わる季節にツバメがいた。ツバメは夏が終わるとみんな去っていくのにどうしてだろう?

    それは街の壁に貼ってあるポスターの子が、寂しそうだからツバメは命の火が消えるまでずっと寄り添っていたという歌だ。

    こども達はしのちゃんがツバメに似てるね!と言った事がある。それがなんだかずっとオレの胸に残り続けている。

    秋物語のツバメはポスターになっているこどもが生きていると信じて、雨や風でボロボロになっていくのが可哀想で、夏が過ぎ、秋になっても、例え言葉が通じなくても、ずっとそばに居てあげようと約束をした。

    そして雪の降る日にポスターの側で冷たくなったツバメは見つかる。でも、そんなお人好しのツバメとポスターのこどもの話は人々の心に残り、忘れられない小さな物語になった。

    しのちゃんとこども達を巡るエピソードはなんだか寂しくて、そしてとても大切な事を教えてくれる秋物語だ。その交流の物語は、今でもオレにこども達に何ができるかと問いかけ続けている教訓となっている。

    しのちゃんは「こども達に会いたい。ジオラマを観に行きたい」と言った。

    その言葉の裏にあった、ほとんどの人が知らない様々なこども達と、しのちゃんの交流の秋物語をこれからみんなに紹介していきたい。

  • クラウス(なおみん)
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    しのちゃんとジオラマの話②
    「ジオラマ展示会での出会い」

    2015年8月7日。幕張メッセの大握手会でジオラマが展示された。

    握手会の1日目はメンバーさんブースに展示会され、多くのメンバーさんがジオラマを見に来て、こども達に会ってくれたり、ジオラマを見て喜んでくれたんだ。

    そこにこども達が待ち望んでいたメンバーさんの1人が訪れた、はるたん先生こと上野遥さん。

    はるたん先生はジオラマの歴史の中で、ただ1人自分からぐぐたすのコメント欄でリクエストをしてくれたメンバーさんだ。そこからこども達を見守ってくれるようになり、今でもエールを送ってくれている。

    展示会の日ははるたん先生がリクエストしてくれた、ジオラマの建物が完成したので見てもらう約束をしていて、こども達が望んだ通りはるたん先生は笑顔で見学をしに来てくれた。

    何度もみんなには説明をしているが、ジオラマを作っているのは沿岸被災地のこども達だ。だからメンバーさん達はそのこども達が被災して、頑張っているのを知っている。

    そしてそのジオラマを支えているのは自分のファンの皆さんだという事も知っている。だからメンバーさんはジオラマやこども達を大切にしてくれているんだ。

    はるたん先生が見学に来た時、1人のメンバーさんと一緒に来てくれた。

    そのメンバーさんこそ、しのちゃんことHKT48の岩花詩乃さんだった。

    しのちゃんはジオラマの事も、オレの事も知らない。当然の事だった。

    ジオラマの事を色々説明するこども達とオレ。そんなオレにしのちゃんが言ったはじめての言葉は

    「誰なんですかw」だった。

    オレは内心「強敵があらわれたな」と、その時は思った。笑

    しのちゃんはこども達の説明を聴いて、ジオラマの経緯を理解してくれて、リクエストを託してくれた。

    この日はここまでだった。

    しのちゃんとは普通にこども達も出会った訳で、特別なシチュエーションとか、感動の涙みたいな事は一切なかった。

    普通に出会い、普通にジオラマを見てこども達とも話した。

    オレは展示会が終わり、岩手に戻ってジオラマ製作に携わっているこども達それぞれに展示会で何があったのかを報告をした。

    その時にしのちゃんがジオラマを見学する写真を見て、気に留めたこども達がいた。

    そのこども達は何かをしのちゃんに見出したらしく、それから応援をするようになった。

    写真を集めたり、SNSを見たり、まあ特別な事はない。普通に応援をした。

    だが、オレにはこの時、少しだけ引っかかりがあって不思議に思った。
    しのちゃんを応援すると言った子達にはある共通点があったからだ。

    しかし、この時はなにせ鈍感なオレだからそんな事は気にならなかった。

    だが、このしのちゃんとこども達の出会いは後に意外な展開を見せていく事になるんだ👍

  • クラウス(なおみん)
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    しのちゃんとジオラマの話③
    「誰かのためにステージ」

    2016年の正月。オレはこども達や親御さんと一緒に初詣をした。

    楽しい初詣にするハズだったんだが、こども達はふと思い出を振り返ると淋しそうな顔を見せた。

    こども達はみんな、ある共通する事情を抱えていた。それは

    帰るべき故郷が無い

    と、言うものだ。初詣に集まった子達は震災の津波で家や財産全てを失い、家族も奪われ、沿岸で生活を立て直す事が出来ず、全くツテがない新しい土地へ引っ越して行ったこども達だった。

    初詣だけは、みんな故郷に戻って来て楽しくやろうとなり、親御さんと一緒にわずかな時間、戻ってきていたと言う訳なんだ。

    だが、集まればやはり前はこうだったとか、昔の思い出はよぎるものでそんな話になる度に、こども達は会話が止まった。

    ヤバいと判断したオレは、話題を変えるべくこども達の共通点であったメンバーさんの755を開き見せた

    それがしのちゃんの755だった

    オレはこども達が喜ぶと思ってコメントを入れた、そこをしのちゃんが引用して返事をくれたんだ

    「わたしもそこにいきたい」

    と、しのちゃんはコメントを返してくれた。これにこども達は喜んだ、地道に応援していたメンバーさんからの返事がとても嬉しかったんだと思う。

    こども達はこれで盛り上がって、みんなそこからは楽しく初詣をして過ごせた。こども達の喜びように親御さん達はホロリと泣いた。

    誰も悪くない。だが震災で全てを破壊され、生活がなかなか立て直すことが出来ないツラさは大人でも耐えられないぐらい厳しい。

    他のこどもが当たり前に持っている家族や家、流行のモノをそんなこども達は持っていない。

    これが重なるとこども達も我慢する事が必然と多くなり、ふさぎ込んでなかなか立ち直れなかった。

    そこに自分達に向けてのしのちゃんからの755でのメッセージは特別であり、とても嬉しかったのだと思う。

    この事がジオラマ製作のこども達それぞれに伝わり、しのちゃんに恩返しをしようと言う事になった。

    そしてこども達はジオラマに

    「誰かのためにステージ」

    を作ろうと提案した、ジオラマはそのメンバーさんの固定の建物である場合がほとんど。そこに誰でもセンターになれて、誰でも歌えるステージを作ろうとなった。

    ジオラマはAKB、SKE、NMB、HKTを応援するこども達に分かれていて、ジオラマ製作の際はこども達から選ばれたジオラマリーダーが取りまとめて、製作の指揮をしている。

    今回の場合は、しのちゃんへの恩返しとする為に、グループ推し関係なくこども達みんなが意見を出しあって製作が進んだ。極めて異例だった。

    この誰かのためにステージは極めて製作が難しかった。メッセージが流れる電光掲示板、ステージが切り替えられる仕組みと、今まで全くなかったシステムを導入した。

    これには本当に苦労させられた。

    製作の場合、オレはこども達と打ち合わせをしてメンバーさんやファンの方が喜ぶのは何か、こども達にはどんな製作のイメージがあるかを調べて、理解してから進める

    だが、この作品はキツかった。何故ならしのちゃんに恩返しをする作品でありながら、誰の、どのメンバーさんの建物ではないからだ。

    そんなこんなでこども達に励まされつつ、誰かのためにステージはジオラマに完成したんだ👍

  • クラウス(なおみん)
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    しのちゃんとジオラマの話④
    「こども達が見ていたもの」

    誰かのためにステージをジオラマに作る時、オレはスランプに陥った。

    普段ならメンバーさんに向けて、そのメンバーさんが主役になるジオラマを作るので、製作は時間がかかっても止まることはなかった。

    しかし、誰のためでもない、誰のためでもある作品となると全く製作が見えなくなり手が止まったんだ。

    オレはこども達にグチを言った。

    「正直言うと、メンバーさんやこども達がジオラマに何を見ているか、何を見たいのかわからなくなった」

    そんなオレにこども達は、しのちゃんやはるたん先生が見たものだよと言った。

    オレにはその意味がわからなかったが、まず言われた通りにこども達に色々と話を聞いたり、工夫をして完成をさせた。

    こども達の望む通り、ステージの電光掲示板には、しのちゃんが辛い時にこども達を支えてくれた事に対して、感謝のメッセージを入力した。

    そして755で完成の報告をして、電光掲示板のメッセージを動画で撮ってしのちゃんに報告した。

    しのちゃんはその報告を見て、自分の755に一枚の自撮りのアップ写真をあげた。

    それがこの記事の写真だ。

    オレはそれを見届けて、こども達に無事に完成報告が終わった事を告げた。

    そして、こども達に結局1番悩んでいた事、こども達やメンバーさん達がジオラマに何を見出したのか、それが何であるのかがわからなかったと笑って話した。

    こども達はスグに返事を送って来た。それはしのちゃんが完成報告を受けとった時の写真をよく見て欲しいと言う内容だった。

    キバさんが見つけたかった答えはこれだと思うよ。と言われたんだ。

    しのちゃんのあげたアップの写真を見て、それが良くわかった。

    よく見ると、瞳の中にジオラマが、しのちゃんに宛てた電光掲示板の感謝のメッセージが写り込んでいる事がわかった。

    しのちゃんはこの写真になんの説明も、フォローもしていない。写真だけをアップした。

    こども達はそれがしのちゃんの最大の賛辞で感謝だと気付いた。そしてオレに教えてくれたのだった。

    オレはこの一件で、色々学ぶ事があった。しのちゃんはこども達に何をすれば良いか、どう応えたら良いかを知っていた、そしてこども達もそれを受け止めて応えた。

    不思議なもので、こども達としのちゃんは直接に交流をしていない。しのちゃんはこども達の事を聞かなかったハズ、でもこども達に対して深い理解と気持ちを寄せてくれた。

    こども達もしのちゃんに会って話してはいない。だが、しのちゃんの気持ちや心に何かあたたかいものを感じて、応えようとした。

    それは目に見えるコミュニケーションではなかったと思う、しかしお互いにチカラになろうと支えあっているようにオレには見えた。

    こうして、こども達はしのちゃんから大切な事を学んでいったんだ👍

  • クラウス(なおみん)
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    しのちゃんとジオラマの話⑤終
    「しのちゃんと被災地のこども達」

    2016年3月末、ジオラマは九州のHKT48劇場に展示される事になった。

    ジオラマは当初から、HKTのファンの皆さんの熱い支援や協力があった。

    そうしたファンの方々は被災地である岩手沿岸まで足を運んで下さったりしてくれていた。

    こども達はいつかジオラマをお世話になった九州まで、みんなの感謝の気持ちを込めて展示運ぶのが大きな夢の一つになった。

    HKT48劇場さんはもう閉鎖まで時間がなかった。そこでこども達の夢を知った運営スタッフさんが実現してくれる機会を設けてくれたんだ。

    この旧HKT劇場での展示は、こども達だけではなく、オレにとっても忘れられない大切な人々との出会いになった。

    出会った人達はみんな素晴らしく、優しく、それぞれのメンバーさんへの想いに溢れた人達だったんだ。

    この時の展示会にはメンバーさん達も見学してくれた。その中にしのちゃんが居た。

    しのちゃんはこの日、劇場に用はなかった。だが、ジオラマを見に来るだけの為に来てくれたのだとファンの皆さんの前で打ち明けてくれた。

    しのちゃんはファンの皆さんと一緒に、ジオラマを見学した。じっと見て笑ったり、写真を撮ったりしてくれた。

    それを見て、旅立つ前のこども達との会話がふと頭をよぎった。

    「きっと、しのちゃんは見に来てくれるよ。そしたらキバさんはみんなのぶんまで感謝を伝えてね」

    実は展示の前に、オレは運営スタッフさんから聞いていた。展示にはメンバーさんは誰も来れないという事を。

    展示の期間はメンバーさん達の大半は博多におらず、また総選挙の準備や届け出が忙しく、ジオラマの展示会には来れないと聞いていたんだ。

    でも、こども達にそれを話しても、しのちゃんは必ずくるよ。と言われたんだ。そして、こども達の言った通りにしのちゃんは見学に来てくれた。

    オレはずっと思っていた事をしのちゃんに聞いた。どうしてそこまでしのちゃんがこども達に協力するのか、そしてこども達も必死でしのちゃんを信じて応援している事も。

    しのちゃんはそこで、ある事を打ち明けてくれた

    東日本大震災があった時、こども達が違う土地に一時避難やホームステイとして移り過ごす事があった。

    被災地の過酷な生活や環境から逃れ、少しでも楽しい環境の土地のご家庭にホームステイをして、一緒に過ごすというものだ。当時はこうした事が本当に多かった。

    しのちゃんの家庭はそこで、宮城県の被災地から来たこども達をホームステイとしてあたたかく受け入れ、共に過ごした事を告白してくれたんだ。

    これを聞いて、オレの中でバラバラだったピースが全部おさまった。

    しのちゃんは被災したこども達を家庭に受け入れていた、だから被災してジオラマを作っていたこども達の心情を、立場を理解していたんだ。

    それはあの2015年8月のジオラマ展示会の時から、ずっとわかっていたに違いない。

    それを誰にも打ち明ける事なく、被災地のこども達のために大人にはわからないように、こども達だけに向けてずっと密かにエールを送り続けていた。

    そんなしのちゃんからのエールにこども達は気付いていた。知らなかったのはオレだけだった。

    こども達もしのちゃんも、直接的なやり取りや会話をせず、お互いに信じあう事だけで交流をしていたのだ。

    こども達はしのちゃんを、しのちゃんはこども達を、最初から信じていたという訳だ。

    しのちゃんはジオラマに会ってから被災地のこども達を応援していたのではなく、そのずっと前から1人で応援をしていた。

    だからジオラマのこども達は、自分達だけではなく、全ての被災地のこども達を気遣ったしのちゃんに気付いて応援した。

    この後、しのちゃんと被災地のこども達のエピソードは少しづつ、大人にも知られていった。

    秋物語の歌のツバメとポスターのこどもは、お互いに言葉を交わさなかった。だがお互いを想い、そばに居続けようと約束をした。

    今もしのちゃんはこども達に愛され、応援をされている。しのちゃんもまた、応援してくれる人の気持ちに応えようと、悩みながら考えながら毎日を過ごしている。

    しのちゃんもこども達も、年齢的にはそんなに離れてはいない。

    オレから見れば、世間的に見ればこどもだ。しかし、こども達やしのちゃんは真剣に生き抜いて、不器用ながらも大切な事を真っ直ぐに伝え続けている。

    こども達は言う、しのちゃんが自分のチカラで必ず会いたかったこども達に会う日がくるよ!と。

    オレはそれを聞いて、夢を信じ続ける事、そのために誰かを信じ続ける事はいつか必ず、望んだ真実と再会にたどり着くのだろうと思う

    しのちゃんとこども達の物語は、きっと再会した時が本当の未来へのスタートなのだと、オレは信じて止まない。

  • クラウス(なおみん)
    植木南央植木南央
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    芽瑠が撮ってくれた満面の笑み…📸

    これ実は片手にカメラを持った芽瑠と手を繋いでます。。謎。。。ポーズの指定が謎すぎてめっちゃ笑顔、、(笑)

    でもやっぱり撮るの上手✨🐰

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