ログイン
詳細
じょんれのん。

1 名前:豆次郎 ★ :2020/02/28(金) 17:22:50.31 ID:QB2p51iZ9 【北海道に“外出自粛”要請検討】 #新型コロナウイルス の感染が広がる #北海道 に対して #政府 が「住民に不要不急の外出の自粛」を要請する方向で調整していることが関係者への取材で分かった。 https://twitter.com/tbs_news/status/1233296928240091136?s=21 https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) ※前スレ https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1582876048/ https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)

前へ次へ
指がちょっと血を流し始めるまで打楽器のように酔いどれピアノを弾け
トーク情報
  • じょんれのん。
    じょんれのん。

    ☆日本競輪学校の歴代校長 初代☞市岡忠男 2代☞松本学 3代☞加村覚蔵 4代☞倉茂貞助 5代☞川上大典 6代☞篠崎政治 7代☞小野正男 8代☞川上大典 9代☞篠崎政治 10代☞豊田英之助 11代☞剣持克昌 12代☞浅井廣幸 13代☞井上純 14代☞西村輝彦 15代☞袴田剛 16代☞那須野五夫 17代☞和田輝彦 18代☞梅原忠雄 19代☞矢島正雄 20代☞関根一正 21代☞大池新次 22代☞倉升善徳 23代☞滝沢正光
    からのー24代☞神山雄一郎

  • じょんれのん。
    じょんれのん。
    投稿画像

    フジアナウンサーの水谷さん(仮名)
    2021年冬 編成部長Aからグランドハイアット飲み会に呼び出される
    水谷さん以外の2人の女子アナも呼び出される
    中居と某タレント女子アナ3人で接待
    水谷さんがトイレから戻ると某タレントが全裸で手招きしていた
    水谷さんは半泣きで性接待を拒否
    これ以降A制作の番組出演無し
    水谷さん 文春取材に対して、A氏と港社長を批判
    フジテレビには古くから上納文化がある

  • じょんれのん。
    じょんれのん。

    【訃報】紅白12回出場歌手のアイ・ジョージさんが逝去 91歳 関係者が悼む「昨年も元気にマッコリを飲んで…」ラテン歌謡ブームを牽引 [征夷大将軍★]

  • じょんれのん。
    じょんれのん。

    1:征夷大将軍 ★:2025/01/20(月) 20:52:40.93 ID:CABQwwMa9
     1960?1971年まで『NHK紅白歌合戦』に12回連続出場した歌手で俳優のアイ・ジョージさん(本名・石松譲冶)が亡くなったことが1月20日、NEWSポストセブンの取材でわかった。91歳だった。

    NEWSポストセブン2025.01.20 20:18
    https://www.news-postseven.com/archives/20250120_2018605.html?DETAIL
    https://www.news-postseven.com/uploads/2025/01/20/ai_george03-644x750.jpg

    「東京都内の自宅で倒れているところを親族が発見し、そのまま死亡が確認された。病死で、事件性はないようです」(関係者)

     日本人の父とスペイン系フィリピン人の母を持つジョージさんは、流しの歌手を経て「黒田春雄」名義でデビュー。その後1959年に「アイ・ジョージ」名義で再デビューすると、1963年には米ニューヨークのカーネギー・ホールで日本人のポピュラー歌手として初めて公演したとされている。

    「1959年にメキシコから来日した『トリオ・ロス・パンチョス』が作った“ラテン歌謡ブーム”に乗ってブレイク。1960年には楽曲『ラ・マラゲーニャ』で第11回NHK紅白歌合戦に初出場しました。

     1961年にリリースした代表曲『硝子のジョニー』は、翌年に宍戸錠(享年86)さん主演で映画化され、ジョージさん本人も出演しています。その後も『赤いグラス』などのヒット曲を生み、1971年まで12回連続で紅白歌合戦に出場しました。

     俳優としても活躍し、本人の自伝的映画『アイ・ジョージ物語 太陽の子』(1962年)のほか、長嶋茂雄さんが主演した『ミスター・ジャイアンツ 勝利の旗』(1964年)、高倉健さん主演の『顔役』(1965年)などにも出演しています」(スポーツ紙記者)

     昭和の流行歌として誰もが親しむ曲を複数作ったジョージさん。晩年も、音楽の仕事に意欲的だったという。直近までともに仕事をしていたという芸能関係者の話。

    「先週も会いましたが、いつもと変わりなく元気でした。『今年は80歳の新人歌手のプロデュースがあるんだ』と話しており、本人も楽しみにしていただけに、亡くなったと聞いて驚いています。

     近年は心臓にペースメーカーを入れていましたが、昨年の9月にも知り合いのスナックで、ジョージさんの誕生日パーティーを開いていました。マッコリを飲みながら、変わらない歌声で堂々と歌っていたのが印象的です」

     ご冥福をお祈りします。