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藪 医師(中山祐次郎)

「天才について」 GWが始まったのだが白衣を着ている。ふと考えた。 天才って確かに存在する。同じ時間同じ量を勉強して自分の倍以上の理解と暗記をした奴がいた。ちらりと読めば写真のメモリのように頭にインプットされる奴がいた。各駅停車で走る自分の横を新幹線が通るように、すっ飛んで行った。 勉強が苦手だったから、いつも羨ましかった。父も兄もそういう人間の一人だったし、あの高校や大学にも何人もそういう奴がいた。 だけど天才には天才なりの苦悩があったのかもしれない、と最近思うようになってきた。 そりゃあもちろん一秒でも早く目的地に着いた方がいいに決まっているし、なるべく最短距離で行った方がいい。それは絶対に間違いない。 でも、鈍行で止まる無人駅の吹きっ晒しのホームに咲いた蒲公英を見たり、線路の途中にある踏切のカンカンカンという流れる音を聞いたりは、出来なかったかもしれない。 天才でない自分にはその過程の全てがあった。何度聞いても漸化式を理解できなかったし、英単語はロクに知らなかった。でも基本的には(光速に近い速さで運動していなければ)天才も僕も同じ時間を過ごしているので、天才が1日で走り去ったところを5、6日かけて歩いた僕は、その道すがらの景色を間違いなく飲み込んでいたんだろう。記憶力も異常に悪いから何度も行った店の場所も憶えられないし、100回はお邪魔したやなちゃんちの部屋番号もまだ憶えてないし、何度か挨拶した人に「初めまして」と言ってしまう。 だけど毎度毎度人より多い手順で答えに達するということに、そこに時間がかかるということに、たまに豊潤さを感じるのだ。いつもタクシーで通る道をゆっくり歩いてみたら、ミクロな発見があるのだ。そう、時に肉眼像よりも顕微鏡で見た臓器の方が雄弁な様に。 天才が、スーパーマリオのジャンプ台でビョーンと画面の上まで高く飛ぶ。僕は一つ一つブロックを持ってきて、ピラミッドみたいになるように重ねて積んでいく。登れるように、きちんと段々にして積んでいく。 僕はブロックを積みながら、上がるにつれ広がる視界と、上空を流れる風を体に感じていく。少しずつ、少しずつ。僕は積まれるブロックに想いを馳せる。 その頃ジャンプした天才は、もう次のジャンプの準備をしている。彼らは風が吹いていることにも気付かないし、ブロックも想わない。必要が無いからだ。 ただ、高く高く。高みを求め続ける。 過程なき天才は、果てしない高みに登ったらどうするのだろう。その意味もピンと来ず、実感も湧かずに。世の中にそういう人は必要だし、天才のおかげで僕らはずいぶん便利にさせてもらっている。けど、ちょっと天才が不憫だ。過程なき高みに、幸せが実感できるとは思えないから。

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