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吉田真悟
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中井 由梨子 「栄光のバックホーム 横田慎太郎、永遠の背番号24」 慎太郎、あんたの人生は、奇跡だったよ!! 阪神タイガース18年ぶり優勝の年、28歳で生涯を終えた元選手がいた。 母の目線で描く、もうひとつの「奇跡のバックホーム」――感動のノンフィクションストーリー。 阪神タイガース18年ぶり優勝の歓喜に沸くなか、「背番号24」のユニフォームが仲間たちの手で宙を舞った。 その2か月前、7月18日に28歳で亡くなった横田慎太郎選手のユニフォームだった。 2019年、脳腫瘍の後遺症で視界がぼやけるなか引退試合で見せたプレーは「奇跡のバックホーム」と呼ばれ、多くの人に感動をもたらした。 引退後、再発・転移と入院を繰り返しながらも「生きたい」と願った横田選手。 3度にわたる闘病を支えたのは、病室でともに寝泊まりしながら看病を続けた母・横田まなみさんをはじめとする家族だった。 本書は映画『20歳のソウル』の脚本を務めた中井由梨子氏が、まなみさんと対話を繰り返し、まなみさんに成り代わって横田選手とのかけがえのない日々を描いた、感動のノンフィクションストーリーである。 もうひとつの「奇跡のバックホーム」がここにある。 『「阪神の優勝、見たいな」 そう言った慎太郎の想いを、チームの皆さん、ファンの皆さんが温かく抱きしめてくださいました。 優勝決定後には岩崎選手と共に、慎太郎の24番のユニフォームを胴上げしてくださいました。 私には、ユニフォームを着た笑顔の慎太郎が、両手を大きく広げて宙を舞っているように見えました。 いくつもの時を越えて。 慎太郎も私も、ようやく、この日に辿り着きました。』 ――本文より 【目次】 プロローグ 甲子園の空 第一章 夢のグラウンド 第二章 奇跡のバックホーム 第三章 最後の港で エピローグ ホームランボール 著者について 1977年、兵庫県出身。劇作家・演出家・演技指導講師。1996年、神戸で旗揚げされたガールズ劇団・TAKE IT EASY! に座付き作家として入団。2005年に活動拠点を関西から東京へと移す。2010年、劇団CAC中井組の座付き作家・演出家に就任し、2013年まで活動。2018年にmosaïque-Tokyo、2022年に東京モザイクを結成。著書に『20歳のソウル』(幻冬舎文庫)がある。同書を原作とした映画『20歳のソウル』の脚本・プロデュースを担当。「インスピレーションを形にする」株式会社インスピインカ代表。 栄光のバックホーム 横田慎太郎、永遠の背番号24 https://amzn.asia/d/6SqsMia

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前略 見城先生
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  • 吉田真悟
    吉田真悟

    10月は大谷、大谷と騒いでいたが、反動で引きこもり状態です。😅

    もうすぐ3人目の岩手県出身メジャーリーガーが誕生します。どこに行っても応援しよう。孫と一緒に

    米敏腕記者、佐々木朗希の状況は「スーパーの在庫処分にあるカシミアのスーツ」…マネーゲームのない超一流の才能「30球団争奪戦」へ(中日スポーツ) - Yahoo!ニュース 米敏腕記者、佐々木朗希の状況は「スーパーの在庫処分にあるカシミアのスーツ」…マネーゲームのない超一流の才能「30球団争奪戦」へ(中日スポーツ) https://news.yahoo.co.jp/articles/2c9f7a1f170a98228146284a73ad08d4bd4518fe

  • 吉田真悟
    吉田真悟

    ↑個人的にはパドレスに行って、ダルビッシュに投球術を教えてもらって欲しいな。今のダルビッシュは投手の理想型だと思うから。
    いずれ速い球が投げられなくなっていくと頼るのはコントロールや緩急、いっぱいの引出しを作って15年くらいメジャーで投げて楽しませてくれい。

  • 吉田真悟
    吉田真悟
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    国立西洋美術館のモネ展を横目に東京都美術館へ

    なめてました。いきなり200人ぐらいの列ができてました。😅

  • 吉田真悟
    吉田真悟
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    この「アダンの海辺」は30分くらい粘って隅々まで観ておりました。

    絹に描いた大胆な構図が点描の細かさで柔らかく枯れた色合いに落ち着いていて、精魂尽き果てたと添え書きもあり、かなり身近に感じられました。個人に売った絵なのでそうそう観られない模様です。是非ご覧下さい。

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