ログイン
詳細
ちかぽん

「読書という荒野」圧倒的な気迫。眠たい時に読んでも目が覚める。頭が一気に冴え、鼓動が早くなる。普通、逆だろ。本を読めば眠くなる事が多いはずだ。それぐらい、自分の魂にぶっ刺さる言葉ばかり。例えば、冒頭から驚いた。『読書とは「何が書かれているか」ではなく「自分がどう感じるか」だ』私が普段言っている「読書とは対話」に限りなく近いじゃないか!そこからは学びだらけ。石原慎太郎の「太陽の季節」「弟」すぐに買って読んだ。前から気になってはいたものの手に取って無かった自分が恥ずかしい。宮部みゆき「火車」、北方謙三「楊家将」、恩田陸「蜜蜂と遠雷」はこれから読む。自分は全く言葉が足りてないし、他者への想像力が足りてない。自らの引き出しの少なさに唖然とした。読書を対話と言っていた自分も恥ずかしい。血で血を洗うような想いで読書と向き合っているのか?全く足りてない。唯一、三島由紀夫については、私も学生時代にほとんどの作品を読み「豊穣の海 4部作」が自分のその後の生き方を決めたと言っても過言では無い。その当時の衝撃が呼び起こされた。18歳頃に燃え滾っていた自分の何かをもう一度取り戻すきっかけになったような気がする。今、日々時間だけが過ぎ去っていく。こんなんじゃダメだ。立ち止まる時がくるまで走り続けたい。人生に猛突撃!

前へ次へ
魂の叫び
トーク情報
  • ちかぽん
    ちかぽん

    「Instagramで公式アカウントって持つ必要ありますか?」と聞かれたから、「Instagramで自社のショールームを持ちたくないですか?」と言っておいたw

  • ちかぽん
    ちかぽん

    Instagram内で生活者がめちゃくちゃアクティブに動いてる訳だから、そこに店を構えて、見てもらい、世界観を好きになってもらうとか普通の話だと思う。

  • ちかぽん
    見城徹見城徹

    あと25日で68回目の誕生日がやって来る。子供の頃から、誕生日を祝われることに興味はないが、68回目ともなると感慨は深い。随分長く生きて来たがまだ68回目かという想いもあるが、とうとう68回目まで来たかという想いもある。25年前に不安と恐怖を胸に幻冬舎を立ち上げた。何とか生活出来ればいいかと思っていた。その25年前は初めてハワイに行き、モアナ・ホテルに泊まった。夢のハワイだと感動した。50年前も25年前もささやかに生きていた。思えば遠くまで来た。今の自分を想像も出来なかった。沢山の「大切なもの」を失い、世間的な「成功」は得た。まだまたプロセスだ。あと25年先は僕は生きているだろうか?今よりもっと遠くに行くのか?確かに[あの世]は遠いところだけど、90歳を超えて生きていたら体はどんな感じだろう?痛い腰を抱えながら、やがて来るべき日のことを考える。人生は儚い。そして死が全ての人を平等にする。つかの間の人生。どうせ一夜の夢ならば最後まで熱狂して生きる。圧倒的努力をして、世界の価値を紊乱する。ゼロで元々。改めてそう考える。

    1
  • ちかぽん
    藤田晋藤田晋
    投稿画像

    武田さんから全社メールに送った飲み会での注意換気動画、免許更新の時に見せられるビデオをイメージして作りました。見てね

    2