reikapiのトーク
トーク情報reikapi 中川 剛中川 剛 涙が出るほど美味しかったDRCの『モンラッシェ』❗️
あのDRC(ドメーヌ・ド・ラ・ロマネコンティ)が手掛けた極めて稀少な『モンラッシェ』と聞いた時は、驚きでひっくり返りそうでした。
見城さんの奇蹟のトークルームでも以前書き込みがありました小説家アレクサンドル・デュマが「脱帽しひざまずいて飲むべし」という言ったという『モンラッシェ』。ワインを上手に表現するには、あまりに未熟なのですが、果てし無く豊かな味わいのワインをいただきました。芯の通った酸味の強さ、口の中に優雅に広がる芳醇さが今も蘇ってきます。
『モンラッシェ』のワインにますます興味が出ました。
見城さん。本当に有難うございました!
一生の思い出です!
また、柴田さんともご一緒させていただけて本当に嬉しかったです!有難うございました!reikapi 見城徹見城徹 ↑ この引用はどの本からだろう?銀色夏生の文庫書き下ろしは僕が考え、会い、交渉し、企画会議を強引に通した。その時はカドカワの誰も銀色夏生を知らなかった。最初の一冊[これもすべて同じ一日]を出した。売れなかった。二冊目[わかりやすい恋]は銀色夏生の強い希望でデビューしたばかりの森高千里をモデルにして北海道の礼文島で銀色夏生が写真を撮影。それと銀色夏生の詩を組み合わせた。これがジワジワと売れて、やがて爆発した。それに連れて一冊目も売れ出した。三冊目の[LESSON]、四冊目の[Go Go Hevenの勇気]と勢いは加速した。
僕がカドカワを辞めるまで僕は13冊の銀色夏生の書き下ろし文庫を出版し、その全てが100万部を超えている。凄まじい売れ方だった。
僕が編集者としてしたことはたった一つ。
銀色夏生の思い通りに本を作ること。タイトルは勿論、中身から装丁、文字や紙の選択から文字組まで全ては銀色夏生がした。編集者は一切口を出さなかった。いや、出せなかった。こうして100パーセントピュアな銀色夏生の世界が次々と出版されて行った。カドカワの最後の日、僕は銀色夏生と西新橋の「京味」でご飯を食べた。その時、銀色夏生が言ってくれた言葉を僕は忘れない。
『見城さん、今後大変でしょう?お金が足りなかったら言って下さい。私が出します』
勿論、お金を借りることはなかったが、銀色夏生には恩があると思っている。