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加藤喬大
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見城さんが来ていらっしゃった日に、1時間ほど遅れて来ることができました。 同じパスタ、そして同じく、雑誌ゲーテ8月号を熟読させて頂きながら、至福の時間を過ごすことができた。 しかし本当に癖になる味わいです。 東京出張の度に来ているな。。。 よし、午後も頑張る。

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加藤喬大のトーク
トーク情報
  • 加藤喬大
    加藤喬大

    いつもお世話になっているGO三浦さんが、水戸にいらっしゃっている。
    自分ができる限りのおもてなしをしたいと思い、勝手ながら、各所を回るツアーを組ませていただいている。

    三浦さんから、突然、見城さんへのメッセージを、と言っていただき、動画を撮っていただいたが、大丈夫だっただろうか。

    車中でも、755や見城さんの話に。
    見城さんの著者や発信に、いつも大きな影響を受けています。
    おかげさまで、加藤は元気に頑張っております。

  • 加藤喬大
    加藤喬大

    鰻の山口楼、その後、明利酒類株式会社に寄って頂き、直近の事業の説明なども。
    これから、地元で愛されるサウナに寄って、つくば方面のレストランTSUMUに向かいます。

  • 加藤喬大
    加藤喬大
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    購入!

    本当にロジカル。

    数多くの現場での実践と言語化があるからこその、分かりやすく、シンプルな言葉で書かれている。

    だから納得感が凄い。

    今日からやってみます。
    どう変わるだろう?楽しみ。

  • 加藤喬大
    加藤喬大

    自分の名前で生きる、とかいうのは、人と付き合う時に、自分の信用で貸し借りするということなんだと思う。

    恩を頂いたときは忘れず、身を捩ってでも返す、または忘れず将来返す覚悟をするという、かなり努力が必要な道なんだと思う。

    押忍。

  • 加藤喬大
    三上雅博三上雅博

    おはようございます。
    本日も宜しくお願い致します。

    修行時代は悔しくて情けなくて、こっそり泣いてから家に帰った。
    家に帰って情けない姿は見せられない。
    今日はどうだった?と聞いてくる彼女に、今日も楽しかったと目一杯の笑顔で答えるだけだ。
    弱音なんか絶対に吐かない。
    格好付けて背伸びして、意地を張って痩せ我慢して、歯を食いしばってムキになる。

    僕はいつの時代も愛する人のために笑顔で戦争に行く。それで死んでも構わない。
    それが僕の原動力だ。

  • 加藤喬大
    見城徹見城徹

    人を恨むのは己の未熟。人を怒るのも己の未熟。全ては天が見ている。
    と、思わなければ、前に進めません(笑)。

  • 加藤喬大
    三上雅博三上雅博

    今日という日に爪痕を残せるか。
    それとも痛みを伴う傷を負うのか。
    そのどちらでも構わない。
    挑戦しない者に勝利はない。負けても良い。立ち向かえ。

    運動しろ。活動しろ。思考しろ。
    想像して、想像して、創造しろ。
    動け、動け、動け。燃え上がれ。

    竜門に挑む鯉は万に一匹。
    急流だろうが激流だろうが臨む所。
    挑む勇気と死ぬ覚悟だけあれば良い。
    龍になるべく登り続ける人生だ。
    行く道は精進にして忍びて終わり悔いなし。

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  • 加藤喬大
    見城徹見城徹

    ⬆︎ 何者かになることが価値があることかどうかは解りませんが、何者かになるためには言語も貨幣も通じない、居心地の悪い「外」に出ることです。

  • 加藤喬大
    Shin SatoShin Sato

    私の中の二十五年間を考えると、その空虚に今さらびっくりする。私はほとんど「生きた」とはいえない。鼻をつまみながら通りすぎたのだ。
     (中略)
    この二十五年間、認識は私に不幸をしかもたらさなかった。私の幸福はすべて別の源泉から汲まれたものである。
     (中略)
    二十五年間に希望を一つ一つ失って、もはや行き着く先が見えてしまったような今日では、その幾多の希望がいかに空疎で、いかに俗悪で、しかも希望に要したエネルギーがいかに膨大であったかに唖然とする。これだけのエネルギーを絶望に使っていたら、もう少しどうにかなっていたのではないか。
    三島由紀夫

    私の中の二十五年
    産経新聞 昭和四十五年七月七日



    三島由紀夫は、多くの優れた作品を残すことで名声を得たが、心の深淵を覗きみたことで、不幸になることを知っていた。
    どんなに優れた作家でも、優れた作品を無限に発表し続けることはできない。
    不幸になることを知りながらも、それでも、三島は書き続けた。それが宿命であった。

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