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harukiのトーク
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  • haruki
    見城徹見城徹

    そして、裏表なく、嘘をつかず、誠実に。狡くやったことは必ずバレる。その人の評価になる。仕事の結果はその人の人間性に付いて来る。

    自分で汗をかきなさい。
    手柄は人に渡しなさい。
    そして、それを忘れなさい。

    最初の2行は竹下登元首相。最後の1行は日本テレビ氏家齊一郎元会長が加えたもの。僕は氏家さんに本当に多くのことを教わった。氏家さんの最後の5年間、ほぼ毎日3回は携帯に電話をいただいた。
    「見城、最初の2行は何とか実行出来る。しかし、俺が加えた最後の1行はなかなか出来ない。俺も出来ない。おまえがそれを出来るようになった時、おまえに人は付いて来る」
    氏家さんのダンディな佇まいを時々、思い出す。

  • haruki
    見城徹見城徹

    現実が戻って来た。憂鬱でなければ、仕事じゃないが、憂鬱過ぎるのもキツい(笑)。今日は6月の月次決算の結果と7月の月次決算の予想について話し合う月に一度の役員会がある。6月はまあまあだが、7月は厳しかった。8月も見通しが立たない。やっぱり、溜息。やっぱり、憂鬱。
    圧倒的に業績が良くても藤田晋だって憂鬱の種はコインの裏表のようにあるだろうし、業績が良ければ良いほど不安にも駆られるだろう。
    藤田はそれを口にしない。僕はそれを口にする。数字のスケールは違うけどね。生きるということは憂鬱と不安と同棲するということだ。もう一回、溜息。同棲するなら大好きな彼女との方がいいに決まっている。なんちゃって(笑)。

  • haruki
    見城徹見城徹

    あと25日で68回目の誕生日がやって来る。子供の頃から、誕生日を祝われることに興味はないが、68回目ともなると感慨は深い。随分長く生きて来たがまだ68回目かという想いもあるが、とうとう68回目まで来たかという想いもある。25年前に不安と恐怖を胸に幻冬舎を立ち上げた。何とか生活出来ればいいかと思っていた。その25年前は初めてハワイに行き、モアナ・ホテルに泊まった。夢のハワイだと感動した。50年前も25年前もささやかに生きていた。思えば遠くまで来た。今の自分を想像も出来なかった。沢山の「大切なもの」を失い、世間的な「成功」は得た。まだまたプロセスだ。あと25年先は僕は生きているだろうか?今よりもっと遠くに行くのか?確かに[あの世]は遠いところだけど、90歳を超えて生きていたら体はどんな感じだろう?痛い腰を抱えながら、やがて来るべき日のことを考える。人生は儚い。そして死が全ての人を平等にする。つかの間の人生。どうせ一夜の夢ならば最後まで熱狂して生きる。圧倒的努力をして、世界の価値を紊乱する。ゼロで元々。改めてそう考える。

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  • haruki
    秋元康秋元康

    見城徹の「たった一人の熱狂」の文庫版、今日、発売。
    親本に、さらに書き足している。どんなことにも、手を抜かない。
    熱狂するしか生きる方法が見つからないんだ。

    毎日の憂鬱を床に置きっぱなしにすることなく、顔を歪めながら持ち上げる男。精神のボディービルダー。

    「体調が悪そうだし、今日はトレーニングを休んだらどうですか?」
    「つらいことをやってないと、生きている感じがしないんだ」

    人は弱い。
    嫌なものは見ない。
    つらいことは避ける。

    でも、見城徹は、義理と人情と恩返しのしがらみの負荷をかけ、
    憂鬱のウェイトトレーニングを続ける。

    精神と肉体の真剣勝負。
    正面突破。

    「たった一人の熱狂」を読んで欲しい。何かに熱狂してみたくなるだろう。