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  1. ptl

    アイスしか食べたくないような暑い日が続きますね。
    痛風はロキソニンではなくバファリンで今のところしのげています。

    画像は60年12月に撮影された
    ジェシー・グローバー、リー、ハワード・フォール、パット・フック。

    さて、
    私のブルース・リーファン歴はもうすぐ丸8年というニワカに毛が生えた程度。でも何人もの方に「ブルース・リーは大山倍達と会ったと思う?」と聞かれます。私見ですが69年にニューヨークであっているのではないかと思っています。

    68年は映画やTVのちょい役だったり、今までの借家と違って高級住宅地のべルエアに「家を買う」人生の一大イベントがありします。ブルース・リーはこの頃からセレブな方々に高額なプライベートレッスンを行うようになります。

    67年にグリーン・ホーネットが終わり、ブルース・リー自身のステイタスを今以上に上げたかったように思います。しかも69年のブルース・リーの行動が(私だけかもしれないが)よくわかっていないというのもあります。

    グリーン・ホーネットが始まるまでは、自分の学校(館)に当然力を注いでいます。ただ、63年の香港帰省時に香港での俳優の仕事も探したのかもしれないと思っています。ちょうど徴兵がかかった頃だと考えています。同胞を撃つわけにはいかないからね。徴兵に関しては身体検査ではじかれてしまうのですが。

    本来、帰省の目的は包茎手術…ではなくエイミー・サンボ(三宝恵美)さんとの婚約報告、がエイミーさんに振られてしまい、面子としてか弟子のダグ・パーマーを香港へ連れて帰る。お父様のホイチュンさんとは最後になってしまいましたが、一皮むけてアメリカに戻るわけです。

    ブルース・リーがシアトルにいた時期で自分の学校を広げようと思っていた頃の話。64年のエド・パーカーのロングビーチ大会(IKC)で実際にお会いしている、千唐流からご自身の鶴岡流を立ち上げた「カナディアン空手の父」鶴岡政己さんのHPには、

    1962年
    この時期、世界的に有名な中国の武術家・映画スターであるブルース・リーは、鶴岡先生と文通し、「東洋人以外の生徒をよりよく教えるにはどうしたらよいか」という意見を求めていた。また、武術哲学など、武術に関連する視点についても質問している。
    (鶴岡先生はブルース・リーからの手紙(手書き2~3通)を大切に保管されている。)

    上の画像の
    ブルース・リー達のバックに貼られている写真は、
    What is Karate? Oyama, Masutatsu
    first English-language edition printed in 1958.


    #ブルースリー
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    http://blog.livedoor.jp/lctp/

  2. ptl

    お盆休みですね。日曜に墓参り済ませておいてよかった、朝起きたら痛風で足パンパンに腫れてるし痛みで熱も出てる。

    さて、
    カルバーシティーでのトレーニング画像。
    photo courtesy : David Tadman
    別画像にはプライベート生のテッド・ウォンさんとピーター・チンさん、パティオでの画像にはミト・ウエハラさんも。

    この場所でヘイワード・西岡さんともトレーニングしていたと思うが画像がない。ブラックベルト誌の記事にあるJKDに採り入れたリズム感を鍛えるトレーニングもブルース・リーなら動画で残していると思うのだが。

    画像のタンクトップは水色に黒のピンストライプ。70年頃べルエアの裏庭でブランドンさんの板割りキックを受けている画像や71年TBBのタイロケ時のマリア・イーさんの誕生日パーティーでも着用。

    フレンチテリーであろうスウエットパンツはボロボロになるまで履く主義なのか、イングルウッドでのトレーニング時の画像では数か所に穴があり、カルバーシティーでは膝が破れている。

    シューズは別画像で見えるが、アシックスのUIライン、モデルはTOKYOかな。

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