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にゃんこのトーク
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  • にゃんこ
    にゃんこ

     おお、人の子らは何と愚かで、虚栄心が強く、邪悪で悪魔に従い、何と罪悪を行うのが早く、善を行うのが遅いことか。
     何と悪しき者の言葉を聴くのが早く、俗世のむなしいものに執着するのが早いことか。
     まことに、何と高慢になるのが早いことか。何と誇るのが早く、あらゆる罪悪を行うのが早いことか。
     人の子らは何と主なる神を思い起こすのが遅く、主の勧告に耳を傾けるのが遅いことか。何と知恵の道を歩むのが遅いことか。
     見よ、人の子らは、自分たちを造ってくださった主なる神に治められ、統治されるのを望まない。
     主が深い慈しみと憐れみをかけてくださっているのに、人の子らは主の勧告を軽んじ、主が自分たちの導き手になってくださるのを望まない。 (ヒラマン 12:4-6)

  • にゃんこ
    にゃんこ

     現代風に言い換えるとこうなります。
     「好きなようにやれよ」「善悪は気分次第で決まるのさ」
     このような態度は神への反抗であり、前世におけるルシフェルとまさに同じです。
     ルシフェルは、真理を宣言し律法を確立される神の権利を拒絶しました。
     前世の大会議でルシフェルは、イエス・キリストが擁護する天父の計画に反抗して、自分の考えを押し立てました。 

  • にゃんこ
    にゃんこ

     「本来、高慢とは神の御心を忘れ、自分の考えに固執したものの考え方です。
     ルシフェルが悪魔と呼ばれるようになったゆえんは、その高慢さにあったのではないでしょうか。
     悪魔は人を自分の支配下におこうとしましたが、キリストは御自身のところに私たちを導こうとされたのです。
     悪魔の望みは人間の上に立つことでした。

  • にゃんこ
    にゃんこ

    実は、クリスチャンである私たちも、以前は闇の中にいたのです。肉の目は見えていましたが、霊の目は閉じられ、真理を見ることも、理解することも出来ませんでした。しかし、イエス様によって闇から光へと移されたのです。クリスチャンになっても、この世で生きている限り苦難はあります。しかし、クリスチャン与えられている苦難は、闇の中で起こっている苦難とは違います。ヘレン・ケラーさんがおっしゃっているように、クリスチャンの苦難は、神様の栄光を現すための苦闘なのです。ですから、そこには必ず目的があり、私たちをクリスチャンとして成長させるための恵みが秘められているのです。

  • にゃんこ
    にゃんこ

     また、人間は豪勢な生活を「楽園」と思いこんでいますが、それは必ずしも真の楽園ではないのです。
     豪勢な生活、欲しいものが何でも手に入る生活、好きなものに取り囲まれている生活というものは、その幸福の基盤を欲望に置いています。欲望を満たすことを幸福と考え、外部の所有物に幸福を依存しているのです。
     しかし、欲望を満たすことによる幸福、外部の所有物による幸福は、一時的であり、刹那(せつな)的です。それは決して永続的な幸福とはなり得ません。