Takeshi Kamiiのトーク
トーク情報Takeshi Kamii 見城徹見城徹 幻冬舎を創った時によく使った言葉。
圧倒的努力は岩をも通す。
顰蹙は金を出してでも買え。
新しく出て行く者が無謀をやらないで、一体何が変わるだろうか?
たった一人の熱狂。
極端こそ我が命。
スムーズに進んだ仕事は疑え。
感想こそ人間関係の最初の一歩。
[この世あらざるもの]を作れ。
薄氷は自分で薄くして踏め。
考えて考えて考え抜け。
憂鬱でなければ、仕事じゃない。Takeshi Kamii 見城徹見城徹 ⬆︎ 「月刊カドカワ」の2代目の編集長を引き受けた時、僕は2つのことを[極端]に変えた。1つはターゲットの年齢を40歳から20歳にした。もう1つは文芸誌だった「月刊カドカワ」を小説は減らさないで、音楽誌に見えるようにミュージシャンの内面の特集を組んだ。特集するミュージシャンを表紙にも起用した。負けている時は[極端]に振り切らなければ勝ち目は出て来ない。自分一人の[極端]な意思を押し通す。皆んなの意見を聞いたら[平均]になるだけだ。[平均]は勝っている時にしか意味がない。部数は1年で30倍になった。
Takeshi Kamii 見城徹見城徹 ⬆︎ 中川君から戴いた「郵便屋さん ちょっと」に関する手紙には胸を打たれました。こうして僕の命懸けの試みに熱狂してくれる人がいる。僕は道行く人々の生きる営みに僕が送り出すコンテンツで連帯を共有したい。感動を分かち合いたい。それだけです。
Takeshi Kamii 見城徹見城徹 ⬆︎ 66歳の僕は33歳の沸騰の倍の沸騰で疾走することが出来るだろうか?極端をやり切ることが出来るだろうか?[出来るか?出来ないか?]ではない。[やるか?やらないか?]だ。行きたまえ。戦われるものだけが全てだ。自己嫌悪からは涙にまみれた再生が、肉体からは苛酷への決意が伝えられ、僕は救いのない世界から力の限り立ち上がる。