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作家・石原慎太郎とは── 「弟」「天才」など手がけた見城徹さんに聞く  けんじょう・とおる  1950年生まれ。75年に角川書店に入社、「野性時代」副編集長や「月刊カドカワ」編集長を歴任。93年に幻冬舎を設立。 「獰猛な異物」 創作の源泉に  二人三脚の始まりは、バラの花束と「太陽の季節」の暗唱だった。石原慎太郎さんを口説くため、見城徹さんが用意したもの。「弟」「天才」といったヒット作を世に送り出した幻冬舎社長の見城さんが取材に応じ、石原さんについて語った。  ──多忙な石原さんに会うのは大変だったそうですね。  高校時代に石原さんの短編群を読んで、眠れなくなるくらい衝撃を受けた。編集者として、絶対に一緒に仕事をすると決めていた。石原さんの年の数の44本のバラを手渡し、必死になって「太陽の季節」を冒頭から暗唱したら、「わかった、わかった。君とは仕事するよ」と言ってくれました。  ──それから17年後に幻冬舎を立ち上げました。  書いて欲しいテーマが三つあった。ひとつは裕次郎さんのこと。それが3年後に初の私小説「弟」になった。もう一つは、老残。肉体の衰えと老いの悲しみを書いて欲しいと言ったら、エッセー「老いてこそ人生」に昇華した。三つ目は総理を目指していた政治家、中川一郎氏の死。派閥の長がなぜ自殺したのかを描くことで、政治の宿命をあぶり出すことになる。しかしそれは「墓場まで持って行く」と断固としていた。十数年たって田中角栄ではどうかと提案し、2016年に「天才」ができた。  ──二人は政治的に対立していました。  同じ自民党でありながら金権政治批判の急先鋒(きゅうせんぽう)だった石原さんが、一人称で書くと言いだして、びっくりした。 「年を取ってはじめて田中角栄の偉大さがわかってきた。政治の全てが角栄にある。その視点に立ちたい」と。日本をダイナミックに動かした政治家の功罪を、その人になりきって書くという発想。天才だと思いました。題は、角栄も天才なんだから「天才」でしょう、と僕が決めました。 共同体への絶望 乗り越えるため  ──作家石原慎太郎の源泉はどこにあるとみますか。  一貫していたのは「価値紊乱(びんらん)者」だったということ。共同体とは制度でありルールであり倫理。他人が勝手に取り決めたものです。「反共同体」ではなく「非共同体(個体)」の人だったんです。  彼の体内にはわき上がる獰猛(どうもう)な異物があり、少年時代から絵や文章を書くことで飼いならしてきた。小説という観念の世界で「行為(犯罪)」と「死」を書くことは「自己救済」になる。だから人の心を打つんです。  ──なぜ政治家になったのでしょう。  いくら小説を書いても現実=共同体は変わらないという無力感からのいらだち、それを変えたいという誠実な思いが、政治の世界へと向かわせた。そのためには与党、つまり自民党に入るしかなかった。非難されることなど考えない。ある意味原始的な野性の政治家です。  作家から政治家になるということは、少年が男に、子が父に、王子が王になるということ。王子のままでいられたら幸せだが、王になり、矛盾を引き受ける。最大公約数の幸せを実現するためには「悪」にも手を染めないといけない。  ──ごく最近まで執筆していたそうですね。  2年前に膵臓(すいぞう)がんを告知されてからも小説を次々送ってきた。昨年12月9日に、待望していた「石原慎太郎短編全集 𝐈・𝐈𝐈」を届けたら、抱きしめて涙をこぼしていました。「これが俺の遺作になるな」と寂しそうに笑っていた。  死への衝動をあそこまで書いた初期の短編群の鮮烈さ、ラジカルさは古びていないですよ。だから、共同体のまっただ中で鬱積(うっせき)する憤怒を抱えた若者に読んで欲しい。現実に突き当たって苦しんだり絶望したりしたが、類いまれなる想像力で乗り越えようとした石原慎太郎という作家がいた。その情熱といらだち、絶望と恍惚(こうこつ)、その息苦しさや切なさまで感じて欲しい。文学者としてまっとうに評価されるべきだと思っています。 (聞き手・吉村千彰) 朝日新聞 2022年(令和4年)2月13日(日)掲載より ( 。・_・。)φ_

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