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三上雅博のトーク
トーク情報
  • 三上雅博
    三上雅博


    ↑親父のこの文章を読むと毎回涙が出てきます。心が激しく動き出します。
    小学生の頃にこんな素敵な言葉と出会えていたら、きっと今とは違う生き方をしていたことと思います。
    前にも755で書きましたが僕も小学生の頃いじめられていました。

  • 三上雅博
    三上雅博
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    今日は、世界ベストレストランに何度も選ばれているデンマークの「NOMA」メンバーにご来店頂きました。
    これからみんなでBARへ向かいます。

  • 三上雅博
    三上雅博
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    語らいの時。お互いの近況報告。
    NOMAのヘッドシェフ「パブロ」に夫婦円満の秘訣を教えて頂きました。笑

  • 三上雅博
    三上雅博
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    ミュージッククラブに行くぞーって言われてる写真です。
    人生で初めて「クラブ」へ行きました。
    僕にはあまり向いていないかもしれません。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    静岡新聞夕刊、僕の連載コラム[窓辺]第12回『19のままさ』(2019.3.25掲載)


    最終回である。「初恋」の結末を書かねばならない。
    1年遅れて彼女も東京の大学に入学した。渋谷か新宿で待ち合わせ、映画を観、喫茶店で粘り、ささやかな食事をし、一緒にデモに参加した。アルバイトも常に一緒だった。
    しかし、僕が出版社に就職してから周りの景色が変わって来た。彼女は卒業したら清水に帰らなければならない。僕は東京で編集者を生業とする決意が固まっていた。お互いの気持ちに齟齬が生まれ始めた。
    そんな時、同期入社の女性と特別な関係になった。2人と同時進行はできない。僕は彼女に好きな女性が出来たことを正直に告白した。新宿駅ビルの2階の喫茶店に彼女は僕より遅れて入って来た。雨が降っていた。白のTシャツに薄緑のカーディガン。黄色のスカートと緑のレインコート。その時の彼女の服装を今でも僕ははっきりと覚えている。彼女は声を上げて泣き、僕は耐えられずに1人で先に店を出た。後で考えると人生で1番後悔する瞬間だった。若さとは愚かで残酷だ。僕は多分、生涯で最も純粋に愛した女性をその時に失った。
    1988年8月20日、僕は浜名湖で行われた浜田省吾の屋外コンサート会場にいた。夕闇の中に彼女もいた。凍りついたように一瞬目が合い、彼女は闇に紛れた。その瞬間、浜田省吾が「19のままさ」を歌い始めた。
    「いつまでも忘れない 今でも目をこうして閉じれば19のままさ
    でも僕等 もう二度と あの日のきらめきこの腕に取り戻せない」
    最後は清水で死にたいと思っている。初恋の浜のきらめきを僕は取り戻すことができるだろうか?

  • 三上雅博
    三上雅博

    おはようございます。
    2019年3月の親父の投稿のリトークです。

    静岡新聞[窓辺]に掲載された親父の連載コラム最終回。第12回『19のままさ』。遂にシリーズ完結です。
    出会いと別れ。初恋の結末。切ない恋の物語。思い出は色褪せる事無くいつまでもキラキラに輝いている。涙涙の最終回。

    親父の連載コラムはこれで終わりですが、朝のリトークは続けます。
    皆様本日もよろしくお願い致します。

  • 三上雅博
    三上雅博
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    彼らと会うと元気をもらえる。
    情熱的で熱狂的な親愛なる友人達。
    鮨を食べて去年よりさらに美味しくなってると感動してくれた。嬉しかった。
    次は僕がNOMAに食べに行く。
    楽しみにしてる。

  • 三上雅博
    三上雅博

    11月。僕は震え上がっている。
    スケジュール帳を見て恐ろしくなる。
    絶望的なハードルが連なっている。
    まるでヒマラヤ山脈みたいに感じてる。

    まさか、時代を作ってきた人達の前で僕が鮨を握る日が来るとは夢にも思っていませんでした。
    小樽の端っこ「オタモイ」から、いつの間にか随分遠くまで来てしまいました。
    なんだか不思議に思います。

    一流は己の不安とワルツを踊る。
    ーーー 三代目魚武濱田成夫

    僕は三流だけど、己の不安とワルツを踊ろう。一歩でも一流に近づいて死ぬために。