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🐕人生信頼のお手🐈[ポチのトーク]
トーク情報
  • 🥃🍶キノユウ🍷🍺
    中川 剛中川 剛

    【2016年8月】
    〔Day1〕
    🔹1本目
    クリュグ、クロダンボネ
    (2000年)

    🔹2本目
    コシュデリ、ムルソー
    (1994年)

    🔹3本目
    ルロワ、アムルーズ
    (1980年)

    🔹4本目
    シルシオン(スペイン)

    〔Day2〕
    🔹1本目
    ラモネ、
    バタール・モンランッシェ

    🔹2本目
    ポマール リュジアン
    (1939年)

    〔Day3〕
    🔹1本目
    ドンペリ
    (1962年)

    🔹2本目
    ソゼ、
    バタール・モンランッシェ
    (1983年)

    🔹3本目
    ボギエ、
    シャンボール・ミュジニー
    (1975年)

    🔹4本目
    シャトー・ディケム
    (1958年)

    〔Day4〕
    🔹1本目
    DRC、モンラッシェ
    (1999年)

    🔹2本目
    ロマネコンティ
    (1995年)

    〔Day5〕
    🔹1本目
    G.H.マム ルネ・ラルー
    (1979年)

    🔹2本目
    ルフレーヴ 、
    バタール・モンラッシェ
    (2004年)

    〔Day6〕
    🔹1本目
    ルフレーヴ、
    シュバリエ・モンラッシェ
    (1976年)

    🔹2本目
    ボキエ、ミュジィニイ
    (1959年)

    🔹0本目がありました。
    ドンペリニョン
    (1973年)

    🔹3本目
    DRC、リシブル
    (1975年)

    🔹4本目
    コシュデリ、ムルソー
    (1998年)

    〔Day7〕
    🔹1本目
    ソゼ、
    ピュリニィ・モンラッシェ・コンペット
    (1978年)

    🔹2本目
    アルマン・ルソー、
    シャンベルタン
    (1964年)

    🔹3本目
    アンリ・ジャァイエ、
    エシェゾー
    (1992年)

    🔹4本目
    シャトー・ディケム
    (グレート・ヴィンテージ1967年)

    〔Day8〕
    🔹1本目
    ドーヴネ、ムルソー
    (2007年)

    🔹2本目
    クレール・ダウ、
    シャンベルタン クロードベーゼ
    (1973年)

    🔹3本目
    フランソワ グロ、
    リシブル
    (1972年)


    【2016年9月】
    〔Day1〕
    🔹1本目
    コントラフォン、ムルソー

    🔹2本目
    ソゼ、
    ビアンヴニュ・バタール・モンラッシェ

    🔹3本目
    ボギエ、ミュジィニイ

    〔Day2〕
    🔹1本目
    クリスタル
    (1985年)

    🔹2本目
    コシュデリ、ムルソー
    (1996年)

    🔹3本目
    DRC、グラン・エシュゾー
    (1975年)

    🔹4本目
    シャトー・ディケム
    (1975年)

    (以上、見城さんのトークルームより引用)

  • 🥃🍶キノユウ🍷🍺
    中川 剛中川 剛

    『或る3ヶ月のワインの記録』
    (見城さんのトークルーム)

    見城さん、ソムリエ・ドヌールご就任、誠におめでとうございます❗️❗️

    下記は、奇蹟のトークルームで見城さんがアップして下さったワインの奇蹟的な記録です。ソムリエ・ドヌールご就任に至る背景の一部ではないでしょうか(ほんの一部だと思いますが)。
    アップされなかったワインもあるだろう中、たった3ヶ月間にアップされたワインだけでもこの凄さ!圧巻です。

    【2016年7月】
    〔Day1〕
    🔹1本目
    ルロワ、
    コルトン・シャルルマーニュ

    🔹2本目
    ラターシェ

    〔Day2〕
    🔹1本目
    ルフレーヴ、モンラッシェ

    🔹2本目
    ドーヴネ、
    バタール・モンラッシェ

    🔹3本目
    ロマネコンティ
    (1975年)

    〔Day3〕
    🔹1本目
    ルイジャド、モンラッシェ

    🔹2本目
    コシュデリ、ムルソー・カイユレ

    🔹3本目
    シャトー・ディケム
    (1971年)

    〔Day4〕
    🔹1本目
    ルフレーヴ、ムルソー

    🔹2本目
    DRC、モンラッシェ

    🔹3本目
    DRC、ロマネサンヴィバン

    〜続きます⬇︎

  • 🥃🍶キノユウ🍷🍺
    徹の部屋徹の部屋

    2月の「徹の部屋」は、2月25日(日)の夜9時から!
    もちろん今回もAbemaSPECIAL2チャンネルにて2時間生放送!

    今回、MC見城社長がお招きするのは、このお2人!

    1982年にドラマ「父の恋人(TBS系)」でデビューして以来、数々のドラマで主演を務め、特に2時間ドラマの主演が多いことから“2時間ドラマの帝王”、“サスペンスの帝王”と呼ばれ、現在も多くのドラマやバラエティで活躍する俳優の船越英一郎さん。
    今月24日からは、船越さんが南部博士役の声を務めるアニメ映画「劇場版Infini-T Force / ガッチャマン さらば友よ」が公開。
    そしてもう1人は、2007年にThe Japan Cup2007で「ベスト・クロースアップ・マジシャン」に輝き、クロースアップマジックからメンタリズムイリュージョンまで幅広いマジックで人々を魅了し、様々な舞台やメディアで活躍する世界的マジシャンの魔耶一星さん。スタジオで驚異のイリュージョンが見られるかも知れません。
    ゲストのお2人は実は仲がいいんです。

    俳優として、マジシャンとしてエンターテイメント業界の第一線で活躍するお二人を招き、MC見城社長が激熱トークで盛り上がります!
    この番組でしか見ることのできない、珠玉の2時間!
    25日の夜も、一時も目が離せません!

    ぜひ、お見逃しなく!!

    https://abema.tv/channels/special-plus/slots/CWe4ph8t3ErEUP

    6
  • 🥃🍶キノユウ🍷🍺
    見城徹見城徹

    イギリスの不世出の名ラガーといわれたある選手が、ある大試合でタイムアップぎりぎりに逆転のトライを挙げた。大観衆は総立ちとなって歓声を上げたが、レフリイの無情のホイッスルが鳴り、寸前に反則がありトライは認められず、そのままノーサイドとなって試合は彼のチームの負けとなった。
    しかし試合後も、あの時のレフリイの判定が正しかったかどうか、しきりに議論の的になったが、当の選手は、
    「ラグビーの試合ではレフリイは神に等しい」
    と一言いっただけで、彼は一切ものをいわなかった。当時のこととてビデオテープもなく、判定が正しかったかどうかは遂に判定されずに終ったが、人々はその惜敗に奮起して次のシーズンの彼の活躍を期待したが、第一次大戦が始まり、世の中はもはやラグビーどころではなくなった。

    その戦争の最中、ある激戦地の野戦病院で、ある軍医が重症を負った一人の兵士を看護した。兵士の認識票を見て、医者は驚いた。ラグビー気狂いだった医師にとっては忘れ難い名前、かつてのあの大試合のヒーローが、この重症の兵士だった。
    それを知って医師は看護に専心したが、傷は重く、遂にその兵士は死んだ。
    彼の臨終の際、すでにファンと選手として相識る中になった医師が、かつての名選手に、何かいい残すことはないか、と尋ねた時、死に際の懺悔の聴聞を終った後、件の選手はかすかに唇を動かし、聞きとり難いほどの低い声でいった。
    「あの試合のあのトライは間違いがなかった。レフリイが間違っていたのだ」と。
    一生をかけた遺言としての、この言い訳を信じぬものがどこにいるだろうか。

    ⬆︎ これが石原慎太郎[男の世界]の中の《男の言い訳》の文章です。
    僕はこれを読んでラグビーを生涯やることを決めました。

    3
  • 🥃🍶キノユウ🍷🍺
    早川誠早川誠
    投稿画像

    石原慎太郎さんの
    男の世界を、手に入れました

    スナック徹で、
    見城徹さんが
    ラグビーを始められたきっかけと
    なった
    男の世界の中の 短編
    男の言い訳

    見城徹さんが
    この内容を語って下さった内容が、
    胸を締め付けられる程の
    興奮で聞き入っていた

    改めて
    文章で読むと
    これこそ 私が憧れる
    男の行き方 だと
    しびれた

    ラグビーの試合の判定が
    間違っていたのに
    主審言うことは絶対だと
    トライは無かったことを
    受け入れたが

    戦争の中で
    傷つき死の間際で
    「あの試合のあのトライは間違いなかった。」と語った
    この言葉(言い訳)を誰が、
    信じないというのか

    この男の言い訳

    の他の

    短編も、私が今まで読んできた
    読みやすい本とは違い

    読み進めるのに
    時間がかかる

    読むのに疲れている自分がいる

    一つ一つの文章に
    こめられた思いが
    ずしりと思い

    この本に出会えたことに感謝

  • 🥃🍶キノユウ🍷🍺
    見城徹見城徹

    イギリスの不世出の名ラガーといわれたある選手が、ある大試合でタイムアップぎりぎりに逆転のトライを挙げた。大観衆は総立ちとなって歓声を上げたが、レフリイの無情のホイッスルが鳴り、寸前に反則がありトライは認められず、そのままノーサイドとなって試合は彼のチームの負けとなった。
    しかし試合後も、あの時のレフリイの判定が正しかったかどうか、しきりに議論の的になったが、当の選手は、
    「ラグビーの試合ではレフリイは神に等しい」
    と一言いっただけで、彼は一切ものをいわなかった。当時のこととてビデオテープもなく、判定が正しかったかどうかは遂に判定されずに終ったが、人々はその惜敗に奮起して次のシーズンの彼の活躍を期待したが、第一次大戦が始まり、世の中はもはやラグビーどころではなくなった。

    その戦争の最中、ある激戦地の野戦病院で、ある軍医が重症を負った一人の兵士を看護した。兵士の認識票を見て、医者は驚いた。ラグビー気狂いだった医師にとっては忘れ難い名前、かつてのあの大試合のヒーローが、この重症の兵士だった。
    それを知って医師は看護に専心したが、傷は重く、遂にその兵士は死んだ。
    彼の臨終の際、すでにファンと選手として相識る中になった医師が、かつての名選手に、何かいい残すことはないか、と尋ねた時、死に際の懺悔の聴聞を終った後、件の選手はかすかに唇を動かし、聞きとり難いほどの低い声でいった。
    「あの試合のあのトライは間違いがなかった。レフリイが間違っていたのだ」と。
    一生をかけた遺言としての、この言い訳を信じぬものがどこにいるだろうか。

    ⬆︎ これが石原慎太郎[男の世界]の中の《男の言い訳》の文章です。
    僕はこれを読んでラグビーを生涯やることを決めました。

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  • 🥃🍶キノユウ🍷🍺
    BOND編集長 コヤナギBOND編集長 コヤナギ
    投稿画像

    で、で、で、できた。。。
    できました!BOND 20号!
    二週間前の緊張と、そして感動のインタビューから、二週間。我々なりの、見城さんへの想いを凝縮した一冊になりました!
    福岡のみで発刊されている、たった40ページのフリーペーパーのために、本気で話していただいて、ギリギリまで文章を自ら監修してくださった、見城社長!
    24年の想いが結実しました。ありがとうございました!!
    明日から、配布します!

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