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見城徹

イギリスの不世出の名ラガーといわれたある選手が、ある大試合でタイムアップぎりぎりに逆転のトライを挙げた。大観衆は総立ちとなって歓声を上げたが、レフリイの無情のホイッスルが鳴り、寸前に反則がありトライは認められず、そのままノーサイドとなって試合は彼のチームの負けとなった。 しかし試合後も、あの時のレフリイの判定が正しかったかどうか、しきりに議論の的になったが、当の選手は、 「ラグビーの試合ではレフリイは神に等しい」 と一言いっただけで、彼は一切ものをいわなかった。当時のこととてビデオテープもなく、判定が正しかったかどうかは遂に判定されずに終ったが、人々はその惜敗に奮起して次のシーズンの彼の活躍を期待したが、第一次大戦が始まり、世の中はもはやラグビーどころではなくなった。 その戦争の最中、ある激戦地の野戦病院で、ある軍医が重症を負った一人の兵士を看護した。兵士の認識票を見て、医者は驚いた。ラグビー気狂いだった医師にとっては忘れ難い名前、かつてのあの大試合のヒーローが、この重症の兵士だった。 それを知って医師は看護に専心したが、傷は重く、遂にその兵士は死んだ。 彼の臨終の際、すでにファンと選手として相識る中になった医師が、かつての名選手に、何かいい残すことはないか、と尋ねた時、死に際の懺悔の聴聞を終った後、件の選手はかすかに唇を動かし、聞きとり難いほどの低い声でいった。 「あの試合のあのトライは間違いがなかった。レフリイが間違っていたのだ」と。 一生をかけた遺言としての、この言い訳を信じぬものがどこにいるだろうか。 ⬆︎ これが石原慎太郎[男の世界]の中の《男の言い訳》の文章です。 僕はこれを読んでラグビーを生涯やることを決めました。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    三上雅博三上雅博

    親父、リトーク有難う御座います。
    親父にそう言ってもらえると救われます。
    あまり学校へも行かず、真面目に勉強してこなかったので自己流でなんとか言葉にしております。毎日755で親父始め皆様の文章を読んで勉強させてもらってます。

  • 見城徹
    見城徹

    ↑ 実は本を沢山読んでいた時期があるんだと推察しています。でないと、このような文章は書けません。正確な言葉で世界の本質を射抜く驚くべき表現力です。

  • 見城徹
    見城徹
    kaaki67
    見城さん お忙しい中、リトークありがとうございます。喜んでいただけて私も嬉しいです。以前ご紹介いただいた映画「チンソクの夏」を観ました。(※ネタバレ注意) 一番印象的だったのが、懇親会会場でアン君が日本の深夜ラジオで流れてた憶えたての「なごり雪」を歌い始めた時、韓国選手団の教師から「日本語の歌は禁止だぞ!」と激怒され中断させられるシーン。その1

    はい。それがラストに繋がって来ます。

  • 見城徹
    見城徹
    kaaki67
    その2 時が過ぎ、皆それぞれ別の道を歩み、 20数年振りの再会。 アン君が「なごり雪」を口ずさんでるシーンから涙が溢れ、イルカさんがハングルから歌い始めた所で号泣しました。堪らないですね。良い映画を紹介頂いきありがとうございました。

    堪らないですよね。何という映画!何度観ても涙が溢れます。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博

    そう言われ思い返すと、「想像するのが好きで」小説にハマっていた時期がありました。ハリーポッターが初めて日本に上陸した時、小説の面白さを初めて知りました。
    その後、映画も観ました。比べられた事が幸いしました。「小説の方が面白い」。それを知る事が出来ました。映像で観るよりも小説を読んで自分の想像の中で思い浮かべていた方がもっと「世界」が広かったんです。もっと壮大なシーンを思い浮かべていました。文章から伝わってくる感情や情景を想像している状態にのめり込んでいたのです。
    恥ずかしい話ですが、AVを観るより官能小説の方が興奮していました。
    もっと昔、中学生の頃に新聞配達をしていた時もスポーツ新聞の官能小説を楽しみにしていました。笑

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博

    20代前半くらいの頃、暇すぎて携帯のメモに誰に見せる訳でもなく小説を書いていました。
    子供の頃から物語を想像するのが好きでした。
    それは今も変わらず、鮨も口の中の物語を想像して握らせてもらっています。

  • 見城徹
    見城徹
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    廣本グラン・シェフの作るスパゲッティ・バジリコは最高。浦上マネージャーのサービスも心がこもっている。